バス・タイム
両手でタクトの顔を包み込み、真正面から見つめる。大きな猫眼をさらに見開いて、こちらを見つめてくる。触れていた手は離されて、力なく湯に落ちた。跳ねた湯の飛沫が、顔まで飛んでくる。
「きらいなわけ、ない」
泣きそうな顔。子どもがするように小さく頭を振りながら答えてくる。
望んだ通りの答えを聞いて、確信に踏み出す。
「じゃあ、好き?」
どうか、頼むから。
神でもほかの誰でもない、想い人に、願う。
「答えて、タクト」
赤い眼に映りこむ自分の姿がゆらゆらと揺れている。うつむこうとする顔を無理矢理に上げさせて、視線を逸らさせない。
「タクト」
逃げないで、答えてくれ。
「……すき」
恐々と、言ってもいいのかためらうように、小さく零された言葉。眼からは涙の膜が雫となって落ちていく。
「すきだよ。だいすき。ワコに嫉妬するくらい、スガタのことがすき」
つたない言葉で紡がれる想いは、鼓膜を震わせ、身体を駆け巡る。
ようやく、手に入れた。
その喜びに、目頭が熱くなる。
いつか、この島を出て行ってしまうとしても。ほんの僅かな時間だったとしても。
その間だけででも、彼を自分のものにしたかった。
「僕も、タクトに関わる人間全員に嫉妬するくらい、タクトが好きだ」
「スガタ……」
苛烈で歪な想いだと分かっている。
タクトの口から他の人間の名前が出るたびに、他の奴のことなど話すなと言いたくなった。
タクトが誰かに笑いかけるたびに、いっそ閉じ込めてしまえたらと望んだ。
それは許婚であり、自分たちの大事な友人である彼女にすら思ってしまったことで、自身の嫉妬の醜さを知った。
「それでもまだ、好きだと言ってくれるか」
「……だいすき」
真っ赤な顔でそんなとびきりの答えをくれるから、こんな悪い男にひっかかるんだ。
「タクト」
額を合わせ、至近距離で見つめ合う。その間にも、距離は詰まって、水面が揺れる。
「あ……」
零距離。
震える唇が零した吐息ごと、その唇を奪った。
ほのかに甘い味がするのは、かかった湯の甘さか、やわらかな唇が持つ味なのか。
お互いの膝が触れ合い、湯の中で熱を持つ。
深くはしないかわりに、数度確かめるように唇を合わせれば、そっと肩に手を置かれる。
「スガタ、もう」
のぼせるから、と恥ずかしげに睨めつけられた。それでは拒否にならないことを、彼は知っているのだろうか。
思わず暴力的なまでの衝動に駆られたが、性急に事を進めてはいけないと自制する。次から次へと欲が出るのは人間の悪い部分だ。
いつもの笑顔を浮かべて、内側に湧き上がるものを覆い隠す。
「そろそろ上がるか」
「……うん」
立ち上がると、タクトの身体が大きく後ろに傾いた。
「タクトッ!」
肩を掴み引き寄せ、抱きとめる。くったりと寄りかかってくる身体は熱い。
「のぼせたみたい」
アハハ、と笑ってはいても、動くこともできないのか指先すら動かせていない。
寄りかかってくる重さが愛おしく、タクトには気の毒だがこちらは非常に良い気分だ。
「じゃあ部屋まで連れて行こう」
「えっ、大丈夫だよ、少し休めば」
「その間にタイガーたちが来るかもしれないな。それでもいいのか?」
女の子の前で格好悪い姿は晒せないだろう? と穏やかに問いかければ、一つ深々と溜め息をつかれた。
「スガタって、ちょっと意地悪」
「気がつくのが遅いな」
悔しげに睨まれても威力はない。自制を破壊する威力なら抜群だが。
「で、どうする?」
「オネガイシマス」
ひどく不本意そうな響きをしていても、可愛らしいと思ってしまうのは仕方がない。
「それじゃあ、ちょっと揺れるぞ」
「え、うわっ」
肩と膝の裏を抱えて横抱きにする。細身だが筋肉が付いているため、決して軽いわけではないが、抱えられないほどでもない。
歩きながら、心地良い重さが腕にあることに笑みが深まる。
「気持ち悪くなったら言ってくれ。」
「わ、分かった。って、え、僕、部屋までこのまま?」
「まさか。ちゃんと身体は拭くし服も着せるから、安心しろ」
「え、自分でやる」
「僕がやるから」
にっこりと笑えば、こちらを見上げる顔は朱を増した。視線をふいっと逸らされる。
「もう、恥ずかしくて死にそう」
だから、そういうことを言うから意地悪をしたくなるのだ。
顔を寄せ、形の良い耳に囁く。
「もっと恥ずかしいことすれば、これくらい何でもないかもな?」
「っ!」
言葉にならないのか、口をぱくぱくと開閉させ、これ以上ないほど紅くなった顔を見て声を上げて笑う。
さて、部屋まで運んで理性と自制は持つだろうか。けれども先ほど性急はいけないと自戒したばかりだ。ここで揺らいでしまってはいけない。
「……でも」
「ん?」
「…………スガタになら、べつに、いい」
前言撤回。
これは、いけない。
「男の恥を晒すワケにはいかないな」
「スガタ?」
据え膳は喰うのが礼儀。こんな姿を見せられて、手を出さないわけにはいかない。
「湯冷めするから、早く部屋に行こうか」
手早く且つ丁寧に身体を拭き、服を着せ、足取りも軽く部屋に向かう。途中、我慢が出来ずに軽く額に口付ければ、恥ずかしげに目を伏せられる。それでも、その顔は微笑んでいて。
「タクト」
「うん?」
「好きだ」
そう言えば、さらにその笑みは増す。
花の匂いに彩られた、甘いあまい、微笑み。
「僕も」
とっておきの秘密を打ち明けるように、そっと囁かれた。
「スガタが一番、すき」