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言葉で魅せてよベイビー

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「お兄さんは、すごい人だ」
 灯りの全くない夜に小さく言われた言葉を今でも覚えている。細い声が闇に溶けた。振り向いて、目を凝らしても何も見えない。カーテン越しでもぼんやり光る、自分の部屋とは大違いだ。自分の手元すら覚束ない、こんな夜は初めてだった。健二は注意深く佳主馬のいる方向へと体を向けた。何とか無事だった布団をかき集め、ほぼ野ざらしの状態で親戚中が眠りについている。沈むような夜。そんな中に、ひっそりと、佳主馬の声が響く。静かな、柔らかいと言えそうなほどの声に、ひりつくような痛みを覚えた。
「……君がいたから、ギリギリ間に合ったんだよ?」
 健二にとっての事実に、しかし佳主馬は頭を振った。
「違う。間に合ったのは、アンタだ。アンタが諦めなかったから間に合ったんだ」
 僕は泣くしかできなかった。
 空っぽな声。この男の子がこんな出来事で何かをなくしたのだとしたら、それは違うと思った。
「それは、違うよ」
 自分の声は、ひどく軽く聞こえる。あの、おばあさんのような力強い声があればいいのに。そんなことを思いながら、健二は自分の声を出す。
「僕はいつも負けるのに慣れていたから、負けるのは自分には仕方のないことだって思ってた。でもあの時は、あの時だけは負けたくないって思った。負けちゃダメだ、負けるはずないって。多分君や、みんないたからだ」
 ここの人たちは、みんな負けず嫌いだね。
 冗談めかして言えば、「血筋なんだ」と諦めたような声が返ってきた。軽くなった声にホッとして少し笑う。健二が微かに立てた笑い声に、柔らかく佳主馬が言葉を重ねた。穏やかに言うには、彼はまだ早すぎると思うのだけれど。声はどこまでもそっと響いた。
「世の中は、僕が足りない人間だって思うことばかりで嫌になる。勝つのが好きって、きっとそういうことなんだ。僕は、勝っていないと自分を好きになれない」
 健二からすれば、ひどく鮮やかに見える少年は、同じような痛みを抱えていた。自分を好きに、なれない。その気持ちは知っている。分かりすぎるほどに。だから、たくさんの親族のなか、こうして二人で枕を並べているのかもしれない。年下の男の子と、キング・カズマと、この自分が共鳴するだなんて、世の中何が起こるか分からない。
 けれど、出会えた。
「でも、あのとき」
 佳主馬の声が夜に落ちる。まだ闇に慣れない目は、影すらも拾えない。けれど表情は、判る気がした。それぐらいでいい気がした。
「間に合ったんなら。アンタがそう言うなら。負けても立ち上がってよかった。向かっていけてよかった。だから……」
 ありがとう。
 くぐもった声はやけにはっきりと胸に迫って、ぐっと息を飲み込む。本当によかった。
「……こちらこそ」
 ようやく言うと、フンと鼻を鳴らされた。健二は今度は気づかれないように、そっと笑って仰向けになる。屋根の隙間から見える、現実味のないほどの数の星を眺めていると、横からまた、声が届いた。
「年上みたいな言い方」
「年上だもん」
「もんってさ……お兄さん、せっかくすごいんだからもっとすごいっぽくしてなよ」
 もったいない、とため息交じりの声は、どうにも本心からのような気がして健二は焦る。
「いやだから、僕なんてぜんぜんすごくないって。すごいって言ったら」
 君だろう?と続くはずの声は、本人に遮られてしまった。
「すごいよ」
 これも血筋なのだろうか。断言する声。なんて力強い。信じてしまいそうだ。呆然としながら、健二は闇の中を見る。
「お兄さんは、健二さんは、すごいよ。……僕の言うこと、信じられないの?」
 ようやく慣れた目が、何か光るものを見た。佳主馬の目がニヤリと笑いを携えている。健二は何か言い返そうとしたが、結局ため息をついてしまった。この一族には勝てない運命なのだろうか、自分は。
「その言い方、ずるいよ」
 見えなくても、がっくりと肩を落としたのが伝わったのだろうか。佳主馬の楽しそうな笑い声が辺りに響く。なんだかなぁ、と不満にも思えない自分は相当弱いと改めて実感していると、おまけのように付け加えられた。
「本当だよ」
 まだ、笑っているのだろうか。慣れたといっても、楽しげな光は気配だけが響いて良くは見えない。思わず凝らした目の先の、しかし発言はとんでもなかった。
「僕じゃダメなら、夏希ねぇに聞いてみるといい」
 きっと、おんなじこと言うよ。
 子供っぽい、鮮やかな断言。眩しすぎるだろう。自分とは程遠い評価なのに、大事にしたくなる。信じたくなってしまうじゃないか。だから健二は夏を置いてきた先でも、ずっときれいに覚えているのだけど。
 いやでも、だがしかし。
作品名:言葉で魅せてよベイビー 作家名:フミ