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ベクトル浸食

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此処に来て、二週間と少し。
初日は思いつく限りの罵声で攻撃した。効かないと分かっていても、静雄を蹴ったし殴った。肉弾ではダメージもなかったが、彼も所詮人である。罵声には効いたようでこの上なく眉が寄って悲しそうにしていたのが分かって、勝算はこちらにあるかも、と思ったものだった。


しかし、二日目には帝人が発した罵声はころっと頭の中から消えてしまったらしい。
一メートル以上近づくな、の一言は初日には効いていたのに、二日目にはもう効いていなかった。ただ少しだけ笑って、自分の名前を呼ぶ静雄がいるだけだった。正直ぞっとした。
その繰り返しだった。新しい罵声、次の日には静雄の耳すら通らない言葉達。一番自分が使える有効の武器達はことごとく破壊されていく。携帯ももう既に粉々で、静雄の携帯はどこか違う場所に隠されているらしい。それはいまだに見つけることが出来なかった。
何度も逃げようとした。だけれど、何か仕込んでいるのか野生の勘なのか、いつも捕まってしまう。


一回だけ玄関から出られたことがあったが、それも外へ出た三歩目には自分を大事そうに抱き寄せる静雄によって失敗に終わる。外へ行くには幾重もの南京錠を解かなければならない。
思いつく限りのナンバーを入れても開かない。
外へ、出られない。

涙も流した。静雄の前だけは、屈したようにも思えるため絶対に泣きたくなかったが見られた。静雄の反応は帝人の頭を撫でて、両手を封じ込めその涙を犬のように舌ですくうといった帝人にとって屈辱的なものだった。


まだ負けない。だけど限界はある。
帝人は自分でも精神的に追い詰められているのがじりじりと燻るように分かっている。
根負けするのは、何となくだけれど、たぶん帝人の方だった。
その結果を帝人は見えないフリをして、静雄を無視する。犯罪を犯して自分を追い詰め、愛なんてものを平気で囁く。今までずっと憧れていたはずの平和島静雄。


おかしな狂人に自分が壊されてしまうことは、とても怖かったから。



「なあ帝人、お茶でいいか」

「………」

「そうか。じゃあ今日は寒いから、暖かいのも煎れるな」

「……」


帝人は答えない。
悲しそうな顔でこちらを静雄が見ているのだとしても、それでも。
喋っても短く話す。長くは話したくはなかった。長く話してしまうとそれだけ、静雄の言葉に動かされてしまいそうだった。受け入れてしまいそうだった。
気遣いも、優しさも、全部が帝人のためだとしても。


「なあ帝人、大丈夫か?足痛くねえか?」

「痛いなら、離してくれるんですか」

「…すまん」

「じゃあそんなこと言わないでください」


何度言っても、明日には静雄はまた聞いてくるのだろう。
痛くないか。寒くないか。腹は減ってるか。
足に繋いでいる鎖は冷たくないか。
首輪はきつくないか。

そんな、優しさに見かけた残酷さを投げかけてくるのだろう。


「帝人、俺はお前を、その…愛してる」

「………」



答えない。
応えられるはずもない。

最初が間違っていることに静雄が気づけたら、もう受け入れてもしまってもいいのかもしれない。たまにそう思うことがあったけれど、それは崩壊の兆し。自分が確実に静雄に壊されていることの証明だった。ストックホルム症候群の一端、と理解していても、たまに見ていられない時があって、胸が苦しいから、心なんていらないと帝人は何度も何十回も思った。
作品名:ベクトル浸食 作家名:高良