泣き虫な俺の幼馴染
俺の幼馴染は泣き虫だった。いつもぴーぴー泣いて、俺の後を付いてくる。
俺はそんな幼馴染が鬱陶しくて情けなくて、いつも「泣くぐらいなら、付いてくるな!」って怒鳴った。それでも幼馴染は泣きながら俺に付いてきた。「しずくん」って舌っ足らずな呼び方で、大きな目に涙いっぱい浮かべながら、怒鳴られても無視されても付いてきていた。
なのに、ある日突然幼馴染はいなくなった。
鬱陶しかったけど、情けなかったけど、泣いてばかりいたけど、それでも後ろから懸命に俺に付いてくる足音が聞こえないのが気持ち悪くてしょうがなくて、せめて理由だけでも聞いてやる!って勢い込んで幼馴染の家に行ったけれど、そこにはもう誰も住んでいなかった。
人の気配の無い家。表札の取り外された門。どうして、何で、と混乱する頭で家へと走って、ようやく俺は幼馴染が遠くに引っ越したことを知った。
何で教えてくれなかったんだって怒りがこみ上げてきたけれど、母親が言った一言で怒りは一瞬で消えた。
「帝人君が言ってたのよ、しずくんにはめいわくかけてばっかできらわれてるから、言わないでって」
迷惑。確かに泣いてばかりの幼馴染は鬱陶しくてしょうがなかったけれど、でも嫌いじゃなかった。
そうだ、嫌いじゃなかったんだ。情けない幼馴染だけど、しずくんと呼ぶ声は心地好くて、大きな蒼い目はとても綺麗で、たまに見せる笑顔が可愛かった。なのに、俺はそんな幼馴染にさよならさえも、言ってやれなかったんだ。嫌ってるとか、そんな嘘を否定してやることすらできなかった。
(しずくん、まって)
俺の服の裾を握って、必死で付いてくる幼馴染。
もしその時、小さな手を握ってやれたら、何かが変わっていたのだろうか。
幼くて馬鹿な子供だった俺の胸は、ただ言いようのない喪失感にぽっかりと空いた気がした。
(しずくん)
そして高校生になった今でも、その喪失感は消えることはない。
*****
(ふわああああん!しずくんまってぇ・・っ)
(ああもう泣くなよ!こわいんなら付いてくんなってば!)
(ふえぇっ、だって、しずくんがさきに行っちゃう、から)
(行っても行かなくてもお前泣くじゃないか!男なんだからいいかげん泣きやめ!)
(うええ、みかどもいっしょ行くぅ・・・っ)
仕方がないなって許して、それなのにしっかりと裾を握ってくる手に安心していたのは俺の方だった。
朝起きぬけで思ったのは、懐かしい夢を見たな、だった。
泣きながら付いてきて俺の名前を呼ぶ幼馴染の姿と声は、忘れないし、忘れることのできない思い出だ。
それはきっと、もう失くしたくはないものでもあり、後悔でもあるから。
相変わらずの喪失を抱えて、静雄はベットを降りた。
泣き虫だった幼馴染。お前は今もどこかで泣いているのだろうか。
今ならきっとその涙を拭ってやれるのに、思い出の俺は泣いているお前の手すら握ってやれないんだ。
(情けねぇ)と思いながら、洗面台の前に立てば、鏡の中の俺はやっぱり情けない面をしていた。
のっそりと教室に入ってきた静雄に、新羅と門田が「おはよう」と手を上げた。静雄も「おう」と言葉少なに返事して、自分の席に座る。
あれからずっと幼馴染とは会えず仕舞いで、しかも今どこに何をしているかさえわからない。高校に入学した時も、掲示板に張られた名簿から無意識に幼馴染の名前を探したけれど、やっぱり見つからなかった。
そんな自分を弟の幽は「一途だね」と言ったが、静雄としてはただの未練がましい男だと思っている。会いたいと思っているなら、本当はもっと早く探せばよかったのに、どうすればいいかわからないと言い訳をして時間だけを無駄に過ごしていた。
最近は、もういいんじゃないか、なんて諦める気持ちも浮かんで、けれどこうして夢に見るから、結局はその気持ちも消えていく。その繰り返しに、どうしたいんだよと思い出の中の幼馴染に八つ当たりする自分が情けなかった。
「そういえば、隣のクラスに転入生がきたんだよ」
何が楽しいのか、静雄にはどうでもいいことを喋り続ける新羅を置いて、机に突っ伏した。そんな静雄はいつものことだから、門田と新羅は気にせず会話を続ける。
「この時期に珍しいな」
「でしょ?そんで名前がまた珍しくてさ、」
眠い。どうして教室に居るだけで眠くなるのだろうか。今寝たら、また幼馴染の夢を見るだろうか、なんて少し期待して瞼を閉じる。
しかし、聞こえてきた言葉で静雄の眠気は一気に取り払われた。
「竜ヶ峰帝人、だって」
「すげぇ名前だな」
「ごついよね。でも見た目は普通ぽかったよ。って静雄、どうしたのかい?」
「本当か?」
「は?」
聞き返す新羅の襟をがしっと掴んで、静雄はもう一度問うた。
「そいつの名前、本当に竜ヶ峰帝人っていうのか?」
「お、おい、静雄」
「苦しい苦しい締まってる!」
「いいから答えろ」
「本当だよ本当!だって本人から聞いたし!」
静雄は掴んだ襟ごと新羅を払って、教室を勢いよく出た。背後から悲鳴が聞こえたような気がしたが、どうでもよかったので無視をする。
竜ヶ峰帝人なんて、珍しい名前はきっと他に居ない。何より、あいつだと、無駄に冴えてる勘がそう囁いた。
隣のクラスの人間を捕まえて――酷く怯えられたが、そんなことすらどうでもよかった――『竜ヶ峰帝人』の所在を聞き出せば、紀田と教室を出て先の廊下で話していると返ってきた。
騒ぐ心のままその場所に向かっていたが、だんだんその足が速度を落ちていく。今更ながら不安が襲ってきたからだ。
会ってどうする。俺が名乗っても、あいつが覚えてなかったら、何の意味も無いじゃないか。
むしろ、怯えさせるかもしれない。
今の平和島静雄に付いたレッテルが最悪なものでしかないから、もし、あの大きな蒼い眸で怖がられて拒絶されたら、多分、いや絶対立ち直れない。
だってあいつは泣いてばっかり居たけど、一度として俺を否定することは無かったから。
とうとう立ち止まりそうになった時、静雄は目当ての人間の後頭部を見つけた。
一緒に居ると聞いていた紀田の後ろ姿が見え、その前に佇む少年を認識した途端、静雄は思わず隠れてしまった。
いやいや何で俺隠れるんだ。このままさりげない通り過ぎればいいじゃないか。とか思いながらも、そうっと二人を伺い見てしまう自分が情けない。今日は情けないのオンパレードだ。
大げさな身振り手振りをする紀田の前に立つ、細身の少年は短い前髪にまだあどけない風貌で、しかし確かに静雄がずっと、ずぅっと覚えていた幼馴染の顔の面影があった。
「会いたい人が居るんだ」
聞こえてきた声は覚えている声よりも低く落ち着いていて、けれど柔らかく心地好い音だった。記憶に在る幼馴染も泣いてばかりで舌っ足らずだったけれど、けして嫌いな声じゃなかった。
「もしかして、いつも言ってた奴?」
紀田の問いかけに、「うん」と応える声。
もしかしたら、でも、期待とそれを否定する気持ちが胸の内を交差しては消えていく。
どくり、どくりと心臓が煩く鳴った。
「お前、しょっちゅう言ってたんもんなー。おかげで俺耳タコ」
「うるさいなぁ、しょうがないだろ、―――だって、」