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マリーのお茶会

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「飽きちゃった」
臨也は開口一番そう言った。帝人は「そうですか」と無感動に言葉を返し、「じゃあ僕達ここでお別れですね」とそう言った。
「うん、悪いね帝人君。今まで付き合わせちゃって」
「いえ、臨也さんと付き合っているの、それなりに面白かったですし」
臨也と帝人はこうして別れた。別段何があったわけでもない。あえて言うなら、何もなかったが故に別れたのかもしれなかった。臨也は帝人は面白い観察対象であるという言葉を繰り返していたし、帝人も非日常に魅かれたのであって臨也さん自身は付属品ですと公言して憚らなかった。
帝人は臨也の家のリビングを通り、玄関口で「お邪魔しました」と一礼して何もなかったかのように家を出た。
臨也は一切帝人を見なかった。見送ることもなかった。ただ玄関が閉まる音がして暫くしてから、少し疲れたような色をして、
「波江、ちょっと頼まれてくれる?」
と言ったので、波江は珍しく、「仕方ないわね」と答えたのだった。


帝人は自宅に帰りつくや否や顔をくしゃりと歪めた。「飽きちゃった」と臨也に言われてから今までずっと我慢していた涙を幾筋も幾筋も流す。臨也の前では平気な振りをしていたが自宅に帰りついてからはもう堪えられなかった。声を出してわんわん泣く。振られた、飽きられたのだと帝人は悲しさに埋もれるようにしてひたすら泣いた。
非日常が好きだった。けれど同じくらい臨也のことも好きだった。それを本人に言うのが気恥しくて、そして臨也にはきっと愛されていないのだろうという思いから飽くまで自分が興味を持っているのは非日常だけ、というポーズをとっていたのに。それがいけなかったのだろうか。
「臨也さん……」
自宅の片隅で着替えもせずただ帝人は涙を流し続けた。家に帰りついた時には既に暗かった空は、うっすら白みを帯びてきている。夜通し泣いたのだ、と認識するのにさほど時間はかからなかった。
学校に行かなければ、という思いと、誰にも会いたくない、という思いが交差する。ふらりと立ち上がり鏡を覗きこめば泣き腫らした自分と目が合った。
また涙が込み上げてくる。目元を乱暴に擦ってなんとか涙を堪える。今日はもう学校には行けそうになかった。
ふと、こんこん、と玄関扉が遠慮なしにノックされた。こんな時間に客だろうか、回らない頭で扉に近づき、碌に外を確かめもせずに開く。目に飛び込んできたのは全く予想もつかない人物。
「いいかしら」
「波江さん?どうしてここに……」
「折原臨也のメッセンジャーよ」
玄関に仁王立ちした妙齢の美女。いつもの格好に、淡い色の外套を羽織って腕組をして帝人を見下ろしている。いっそ高圧的ですらあった。
泣き腫らした様子の帝人を見ると波江は僅かに柳眉を顰めて分かりやすく溜息を吐いた。帝人はびくりと肩を竦め、わけもわからず謝罪を口にしようとする。それを制して波江はずかずかと帝人の家に上がりこんだ。
「な、波江さん!?」
「台所」
へ、と帝人は目を瞬かせる。
「台所、借りるわ」
それだけ言って波江はさっさと台所へ消えてしまう。帝人は玄関扉を閉め、慌てて波江の後を追った。台所に立った波江は迷いなく薬缶に水を入れ、火にかけて沸かしはじめている。
「波江さん、何を?」
「あなたは黙って座ってなさい」
でこぴんが命中して帝人は思わず額を押さえる。振り向きざまにさらりと黒髪が流れて冷たい横顔が隠れてしまった。言われるままに帝人は畳に座り込む。普段であれば出来る気遣いも、心が疲弊している今は無理なことだった。彼女は自分と臨也の関係を良く知っていたというのに、ただ何も聞かれないことが有難かった。
ぼうっと自室の壁を見つめる。台所からお湯の沸く音がした。陶器のかちゃかちゃという音、紙袋を開ける音。やがてお盆にカップを2つ、皿に乗せたタルトを2つ乗せて持ってきた。
ことん、と音をたてて机に置かれる。呆然としている帝人の前に波江も座る。使い捨てのプラスチックフォークをタルトに突き刺した。湯呑みに注がれたのは紅茶らしい。ティーカップがなくて申し訳なかったな、と帝人はぼんやり考えた。
「食べなさい」
命令形の言葉にびくりと帝人が体を竦ませる。
「これ、どうして……」
「落ち込んでいるだろうと思ったのよ。食べなさい、どうせ夕ご飯も喉を通らなかったんでしょう」
俯いた帝人に言葉を投げつける。その言葉を受けて帝人は「いただきます」と手を合わせるとフォークを手にとってぼそぼそと食べ始めた。食べ進めるごとに心が解れるようにほろりと大粒の涙がこぼれ始める。しゃくり上げながら、それでもゆっくりタルトを咀嚼していく。波江は自分の分を食べ終えると湯呑みで紅茶を啜りながらふぅ、と息を吐きだした。
「……あなたもいっそ哀れよね」
食べ終わり、紅茶で喉を潤して帝人は憑きものが落ちたように涙を零すのを止めた。波江が2杯目の紅茶を楽しんでいる頃に、ぽつりと帝人が言葉を落とした。
「利用されているのは知ってました。いつか興味が尽きるのだろうことも。それが臨也さんという人間ですから」
やはりこの賢い子供はこうなることをちゃんと覚悟していたのだ。けれどこうして未練に泣くところは子供であり、それを誰にも見せたくないと思う程度には賢い。
馬鹿な男だ、と波江は心の中で自分の上司を罵った。
「これからどうするの?」
「どうしましょうか」
呆けた様な、諦めた様な目で帝人は言う。何も考えられないとでも言うかのように視線は宙を見つめていた。
「質問を変えましょう。これからどうしたいの?」
「…………」
何も考えられないのだろう、黙ってしまった帝人に焦れるように波江はバッグから白い封筒を取り出し、帝人の目の前に差しだした。宛名もない。封すらされていない。ひたすら白い封筒だった。
「折原臨也からのメッセージよ」
ぱっと帝人は顔を上げる。期待していない筈だった。
白い封筒の中には、不釣り合いなほど小さな四角い白いカードが一枚。その一枚の中に、たった一言だけ黒く滲んだような文字が浮かび上がっていた。
『俺を追いかけてみなよ、帝人くん』
「これをあなたに渡した時、臨也さん、どんな様子でしたか」
波江はしばし沈黙してから、帝人の顔をじっと見つめ、
「……笑ってたわ」
そう言った。
「そうですか」
期待していない筈だった。優しい言葉など、愛されていることなど最初から期待していない筈だったのだ。それでも臨也がゲーム感覚で自分と交際していたのだとまざまざと見せつけられたようだった。
「波江さん」
波江は帝人を真直ぐに見つめて、「なにかしら」と首を傾げた。
「僕と付き合ってくれませんか」
波江はしばし間を置いてから、「どういう意味かしら」と至って平然として聞いた。
「そのままの意味です」
波江はすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。字面だけでは恋愛感情を含んだ交際を申し出ているように見える。しかし波江は全く違う言葉を口にした。
「私には、折原臨也の情報を自分に流せと、そう言っているように聞こえたわ」
「それと、当てつけです」
泣き腫らした目で、空虚な表情で、それでも帝人はしっかりと言った。暫しの沈黙。波江は熟考しているようにも、何も考えていないようにも見えた。
「いいわ、付き合ってあげる」
作品名:マリーのお茶会 作家名:nini