思想に微睡む5つの言葉 遙か3
01 大切なのは、後悔しないことじゃなくて、後悔から立ち上がること。
その一瞬。
何が起きたのか分からなかった。
熱く燃えた空気と、爆ぜる音。
遠くで何かが崩れる音。
真っ赤に燃えた色は、その瞬間まで見ていた風景を彩っていたはずだった。
しかし、望美の目に映る風景は、薄暗い空の下、雨が降る空気の冷たい、望美の生まれ育った『世界』だった。
何もかもが正反対だ。
それはまるで、『今まで』が夢だったように。
望美はぎこちなく、辺りを見回した。
しかし、そこには『今まで』いた二人がいない。
望みの前に広がる重い現実だった。
その重みに耐えかねた感情が、望美の眦から零れ落ちていく。
同時に、身体から力が抜けて、冷たい渡り廊下に座り込んでしまった。
コンクリートの地面に、ぽつりと幾つも涙が落ちる。
涙するのは、二人が存在せず、寂しいからではない。
たくさんの者を失った。
自分だけを残し、消え去った。
失うということが、残されるということが、どれほど痛いことなのか、望美は心を抉られるほどに痛感した。
今までに全く経験のしたことがない感情。
どれほど、今まで自分が甘かったか、思い知らされた。
失ってしまった、大切な人達。
地の玄武であり、剣の師匠でもあるリズヴァーン。
京に残った、地の朱雀の弁慶と地の白虎である景時。
熊野で出会った天の朱雀のヒノエと平家にもかかわらず源氏側にいる天の玄武である敦盛。
向こうの世界でも一緒だった天の白虎である譲。
対の神子である、朔。
源氏軍の軍を預かり、ずっと共に戦ってきた地の青龍である九郎。
まだ向こうの世界にいて、どこへ行ってしまったのか分からない、天の青龍である将臣。
そして、自分を逃す為に形を失った、白龍。
みんなの顔が、望美の脳裏に浮かぶ。
なのに、自分は全てを置いて、たった一人で帰ってきたのだ。
自分は何の為に向こうの世界へ連れて行かれたのか。
失わせる為なのか。
これでは、まるで自分は死神のようではないか。
望美は自分の存在の意味が分からなくなった。
その時、望美の右手が小さく光った。
唯一残った欠片。
それはまるで忘れるなと、望美に訴えるかのように手に残っている。
望美は、しっかりと握り締めた。
何故、そうしたのか分からない。
もう必要ないと、逆鱗を捨てることもできたはずだ。
このまま捨てて、何もなかったことにして、今まで通りに過ごせばいい。
しかし、望美は緩く首を振った。
それはできない。
できるはずもない。
何しろ、将臣も譲もいないのだ。
それだけで、既に『今まで』とは違う。
何もなかったことには、できないのだ。
では、どうしたらいい?
向こうの世界から、こちらに来ることはできたのだ。
「……逆は?」
思わず漏れた声は、自分で思うほどかすれていた。
こちらへ来れたということは、向こうへ行けるのではないだろうか。
その思いに反応するかのように、逆鱗が白く輝きを増した。
「……戻れる? ……戻っていい?」
あの世界に戻ったところで、誰もいないかもしれない。
目にし、耳に届く結末に、嘆くかもしれない。
それでも、望美は手にしている向こうの世界の欠片がある限り、自分はこの世界でこのまま過ごしていくことなどできないと感じた。
今もなお、白龍の逆鱗は望美の手の中で輝いている。
その白龍は以前に言っていた。
龍脈に力が戻れば、飛ばされた自分達は元の世界に帰られる、と。
応龍という姿が本来の姿であり、怨霊によって力を失っている。
だから、望美はあの春の京で決めたのだ。
白龍の力を取り戻す、と。
白龍は消えていない。
ここに逆鱗が残っている。
本来の在るべき姿は、あの世界に戻っていない。
姿は消滅して、欠片がここに残っている。
ならば、やることは決まっている。
力を取り戻す。
怨霊を封じ、白龍の力を取り戻す。
後悔する前に、まずは動かなければ、前へは進めない。
もう今だけで後悔はたくさんしている。
これからも後悔し続けるだろう。
止まっている場合じゃないことは、もう身に沁みて分かっている。
今までのように守られるだけじゃない。
守る為に、戦うことを決意する。
誰か一人でもいい。
守る為に。
まだ残っていた涙を乱暴に拭って、望美は立ち上がった。
そして、逆鱗を両手でしっかりと包む。
どうか、逆鱗の力よ。
あの世界に連れて行って。
私は、守る為に戦うから。
作品名:思想に微睡む5つの言葉 遙か3 作家名:川原悠貴