ゆうぐれ、惑い花
「この花、なんか兵助みたい」
帰り道、夕暮れの頃。
世界は、柔らかい橙色に染められて温かかった。
その色が何よりも似合う人は、そう言って明るく笑った。
【ゆうぐれ、惑い花】
え?
ああ、うん。知ってるよ。
2組の。そう、髪の長いこ。背も高めで。
はちの彼女だよ。
うん? 明るくて、いいこだよ。さばさばしてる。
そうだな、かわいいと思うよ。ちょっと大人っぽい感じかな。
はは、ほんと。はちって、結構面食いだよなあ――
「兵助と一緒に帰るの、なんか久しぶりだよな」
教科書の代わりに菓子パンが詰め込まれた鞄を無造作に肩にかけて、はちが笑った。
俺はその隣を歩きながら、少しだけ高いところにある彼の顔を見上げる。
「そりゃな。おまえ、最近は彼女と一緒だったろ」
「あ、そっか。だよな。だって、前一緒に帰ったのって……」
「体育祭の前、だろ」
出来るだけそっけないふうに答えた。本当は即答できてしまうくらい、それからの時間の長さをかみ締めている自分に嫌気がさす。
俺、ちょっときもちわるくないか。未練がましい。
自分に吐き捨てて、俺はコンビニで買ったペットボトルを口に含んだ。砂糖たっぷりのジュースを選んだ筈なのに、まるで砂みたいな味に思える。
体育祭の後、はちには彼女が出来た。一緒に実行委員をやっていた女のこで、女子にも男子にも人気があるような、明るくて目立つタイプのこ。
何度か、彼女とはちが校内を歩いているのを見かけた。男女ともに友達が多くて明るいのは、はちも同じで、彼らは行く先々で冷やかされていた。
「三郎が拗ねてた。最近付き合い悪いって」
「あ~。あいつはあれだろ、雷蔵が最近部活で構ってくれないし。そんで、今自分には彼女いないもんだから」
はちは、苦笑するみたいにして笑った。そのやさしい目じりの下げ方に、抑えていた何かが零れそうになる。
(ほんとは、俺だって、)
でも、それは言うべきじゃない言葉だ。
俺はペットボトルに噛み付いた。もはや味なんかしない、冷えた液体が喉を濡らして、うまく俺の声を殺してくれた。
「もうすっかり秋だよなあ」
通学路になっている通りの木々の葉が、鮮やかに色づいているのを眺めて、はちが言う。
少しずつ、夕暮れが早くなってきている。秋から冬に向かう空気。その中をはちと一緒に歩くのは、少し前まで当たり前のことだった。それが今じゃ、ごく偶にしか叶えられない。
今日だって、彼女のほうに用事が出来て、はちの体が空かなかったら。
……ほんと、我ながら未練がましい。俺はそっとため息をついた。
不意に、はちが足を止めた。一拍遅れて、信号が赤だったのだと気づく。俺はあわてて立ち止まった。
俺の頼りない影と、はちの背の高い影が、道路の上で交わりながら、並んで伸びている。影は薄く、そして長い。
この前、はちと一緒に帰ったのは、体育祭のちょうど前日だった。
夕暮れの頃。柔らかい橙色で染められた視界。
あの時はまだ、どこか夏の名残を引きずっていて、温かかった。
(この花、なんか兵助みたい)
はちはそう言って、明るく笑った。ちょうど、この場所で。
帰り道、夕暮れの頃。
世界は、柔らかい橙色に染められて温かかった。
その色が何よりも似合う人は、そう言って明るく笑った。
【ゆうぐれ、惑い花】
え?
ああ、うん。知ってるよ。
2組の。そう、髪の長いこ。背も高めで。
はちの彼女だよ。
うん? 明るくて、いいこだよ。さばさばしてる。
そうだな、かわいいと思うよ。ちょっと大人っぽい感じかな。
はは、ほんと。はちって、結構面食いだよなあ――
「兵助と一緒に帰るの、なんか久しぶりだよな」
教科書の代わりに菓子パンが詰め込まれた鞄を無造作に肩にかけて、はちが笑った。
俺はその隣を歩きながら、少しだけ高いところにある彼の顔を見上げる。
「そりゃな。おまえ、最近は彼女と一緒だったろ」
「あ、そっか。だよな。だって、前一緒に帰ったのって……」
「体育祭の前、だろ」
出来るだけそっけないふうに答えた。本当は即答できてしまうくらい、それからの時間の長さをかみ締めている自分に嫌気がさす。
俺、ちょっときもちわるくないか。未練がましい。
自分に吐き捨てて、俺はコンビニで買ったペットボトルを口に含んだ。砂糖たっぷりのジュースを選んだ筈なのに、まるで砂みたいな味に思える。
体育祭の後、はちには彼女が出来た。一緒に実行委員をやっていた女のこで、女子にも男子にも人気があるような、明るくて目立つタイプのこ。
何度か、彼女とはちが校内を歩いているのを見かけた。男女ともに友達が多くて明るいのは、はちも同じで、彼らは行く先々で冷やかされていた。
「三郎が拗ねてた。最近付き合い悪いって」
「あ~。あいつはあれだろ、雷蔵が最近部活で構ってくれないし。そんで、今自分には彼女いないもんだから」
はちは、苦笑するみたいにして笑った。そのやさしい目じりの下げ方に、抑えていた何かが零れそうになる。
(ほんとは、俺だって、)
でも、それは言うべきじゃない言葉だ。
俺はペットボトルに噛み付いた。もはや味なんかしない、冷えた液体が喉を濡らして、うまく俺の声を殺してくれた。
「もうすっかり秋だよなあ」
通学路になっている通りの木々の葉が、鮮やかに色づいているのを眺めて、はちが言う。
少しずつ、夕暮れが早くなってきている。秋から冬に向かう空気。その中をはちと一緒に歩くのは、少し前まで当たり前のことだった。それが今じゃ、ごく偶にしか叶えられない。
今日だって、彼女のほうに用事が出来て、はちの体が空かなかったら。
……ほんと、我ながら未練がましい。俺はそっとため息をついた。
不意に、はちが足を止めた。一拍遅れて、信号が赤だったのだと気づく。俺はあわてて立ち止まった。
俺の頼りない影と、はちの背の高い影が、道路の上で交わりながら、並んで伸びている。影は薄く、そして長い。
この前、はちと一緒に帰ったのは、体育祭のちょうど前日だった。
夕暮れの頃。柔らかい橙色で染められた視界。
あの時はまだ、どこか夏の名残を引きずっていて、温かかった。
(この花、なんか兵助みたい)
はちはそう言って、明るく笑った。ちょうど、この場所で。