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とある猫の物語り

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その昔、砂色の街で私がカミサマの扱いを受けていた頃。
そのひとのような存在に、私ははじめて出会った。

私の毛皮によく似た色の肌と、晴れた夜の空にそっくりな目。煉瓦を焼く陽射しを弾いて眩しいガラベーヤの生成りとそれらの色は対照的で、とても印象的だったことを覚えている。周りのニンゲンと同じような姿形をしているのに、そのひとの纏う雰囲気は明らかに何か違っていた。

昼の熱さを――この街の昼を形容する言葉は最早『暑さ』ではない――避けて逃げ込んだ路地の日陰から、ぽかんと見上げる私の視線に気づいたそのひとは少しだけ笑って屈み込んだ。声に出して呼ばれたわけでもないけれど、私は誘われるようにしてその人の腕にするりと納まり、風通しのいい布とその下の、私の身体を支える手の力強さに喉を鳴らしたものだ。それがはじまり。

そのひとが、いわゆるニンゲンとはちょっとだけ別な存在であるようだと気づいたのは暫く経ってからだ。

私に流れる時間とニンゲンたちのそれは少々早さが違っている。ニンゲンたちが一つ歳を重ねる間に、私はその七倍ぐらい老いる。別に不満に思ったことはなく、そんなものか、と納得するだけだ。
そんな私の目には勿論ニンゲンたちの老いは随分と緩やかに映ったものだけど、それにしてもそのひとは別格だった。老いが緩やか、なんてものじゃない、まるで老いるということを知らないように、いつまで経っても出会ったときと同じ青年の姿形をしたまま、夜色の目に不思議なひかりを宿していた。

事故や寿命や病気なんかで私が何度か死んだり生まれたりする間、砂色の街を歩くニンゲンの顔触れも段々と変化していったけれど、そのひとの存在だけは何も変わらずに在り続けた。そして私の見た目がどれだけ変わっても、必ず私を見つけ出して笑うのだ。その度に大人しくそのひとの膝で丸まりながら、私はそのひとを、随分と変なひとだ、と認識するようになっていた。

私の中で『不思議なひと』が『変なひと』に変わって何百年か過ぎた頃、私はそのひとがニンゲンではなく『クニ』という存在であることを知った。
『クニ』がどういうものなのか、私には今ひとつよく分からないけれど、兎も角そのひとはニンゲンではないので、ニンゲンのように老いることもないらしい。
そんなものか、と私は思って、そのひとの指先に鼻を押し付けた。においはまるでニンゲンと変わらないのに。

それから更に長い時間を過ごすうち、『クニ』が彼ひとりでないことが私にもどうやら分かってきた。
私とそのひとの関係は湿度のようなものを全く伴っていなかったので、そのひとの交友関係などほとんど知らないのだが、ニンゲンが五回生まれて老いて死ぬぐらいの時間を経ても外見の変わらない『お客さん』は多分、そのひとと同じ『クニ』だったのだろう。

中でもよく覚えているのは感情の読み辛い微笑を常に湛えた女性と、粗野で好戦的な男。
ある頃から男が連れてくるようになった、無愛想な子供がそれからひとり。

女性の方は、随分前からこの砂の都市を訪れなくなってしまった。今も彼女の『コクミン』たちと、どこかで元気にやっているのだろうか? 私に口が利けたら、夜色の目をしたひとに訊いてみたいのだけれど。

そう、私がニンゲンのような言葉を話せないために、私はずっとそのひとの名前も知らなかったのだっけ。いつだったか、粗野な男がそのひとを呼ぶのを聞かなければ、私は多分いまでも彼の名を知らないままでいたに違いない。
名前があるなんて、ますます『クニ』がニンゲンとどう違うのか分からない。困惑して尾を揺らした日のことを今でも私は覚えている。猫という生き物はこう見えて、意外と物覚えがいいのだ。

エジプト、と呼ばれたそのひとと違って、真紅の外套に豪奢な金の刺繍を施した派手な男は確かに年をとっているようだった。
同じ『クニ』でも、固体によって随分と違うものだ。私が斑模様の毛並みを毛繕いしているときに出会った少年はもう『エジプト』より年上に見えてしまいそう。

長い間一緒にいたエジプトのことを私はすっかり好きになっていたので、エジプトに対して何かと偉そうなその男を、私は正直余り好きにはなれなかった。腰に提げた金色の柄の剣から、いつも血の臭いがするのも嫌いだった。
男が連れてくる小さな子供のことは、最初こそ警戒していたけれど(子供はいつだって私の尻尾を引っ張ろうとする!)、そのうちエジプトの次に好きになった。彼は決して私を無理に抱きかかえようとしなかったし、私に向けられる翡翠色の視線は純粋で穏やかだったから。

派手好きで好戦的な男の名前はトルコ、少し言葉の下手な子供はギリシャといった。


彼らは、決して仲がよかったわけではないのだと、私は思う。
ギリシャは明らかにトルコのことを嫌っていたし――憎んでいたと言ってもいいかもしれない――トルコはトルコでギリシャもエジプトも自分の『モノ』だと公言して憚らなかった。
エジプトは……エジプトが何を考えていたのかは、今でも私には分からない。ただトルコが何やら甘ったるい匂いのする塊を持ってやって来たときや、ギリシャがその小さな身体でトルコを蹴り飛ばす様子、そんな光景を眺めているとき、夜色の目が酷くやさしくなっていたことは確かだった。

彼らが同じ場所で顔を合わせている時間は決して長くなかった。友好的な関係ですらなかっただろう。
けれど私はそのうちに、生誕と死を繰り返す間にあれほど嫌いだったトルコの血の臭いをもう気にしなくなっていたし、ギリシャの黒い癖っ毛ならどれだけ人混みに埋もれていても見つけられるようになった。
そして私がそうであるように彼らもまた、過ぎていく時間の中で彼らなりの関係性を築いていたに違いなかった。

たとえば眠るギリシャの腹を寝台に丸くなる私の、そのときは漆黒だった毛皮を誰かが撫でたことがある。
その手はごつごつでがさがさで、おまけに少し力を込めすぎで私はちっとも気持ちよくなかったけれど、明らかにエジプトのものではない手の主が誰なのか……それから、その手の主が本当は誰をこんな風にして撫でたいのか、私はその頃にはもうよく知ってしまっていたので、仕方なくそのまま寝たふりを決め込んでいたものだ。

たとえば連れ立って離れたところへ帰っていくギリシャやトルコの背中を、ぼんやりと眺めていた夜色の目を覚えている。
アレクサンドリアの港に生まれたばかりの私を両腕で抱えて、南から吹く風がガラベーヤの白をはためかせていた。焼けつく陽射しの只中で、砂と海と空の狭間で、エジプトは随分と長い間何も言わずに佇んでいた。

寂しいのなら、口に出してそう言えばいいのに。

私は思って、けれどこのひとには多分それが出来ないのだろうということも知っている。
それはきっと彼がニンゲンではなく『クニ』だから。面倒なことだ。
それから、寂しいという言葉が本当に今、このひとの抱えている感情と等しいのかどうかなんて分からないことに気づいて、それでもう考えることを止めてしまった。

長い長い時間が過ぎたと思う。
エジプトとはじめて会ってから、トルコやギリシャとはじめて会ってから。
作品名:とある猫の物語り 作家名:蓑虫