とある猫の物語り
少しずつ少しずつ彼らは変わっていったけれど、どうしてか、私は、彼らの関係はこのまま続くものだと思い込んでいた。
好きあっているわけではなくとも確かに幸福と呼べただろう時間はこのぬるま湯のままずっと続くのだと。
そんなことがあるわけない。何度生と死を繰り返していても、私の魂は結局未だ幼かった。
ある日、たったひとりでエジプトのところを訪れたトルコは、随分と疲れた顔をしていた。
最近碌なことがねぇ。スペインは調子に乗りやがるし、大宰相は偉そうにふんぞり返るし。胡坐をかいて座り込み、ぼやくトルコの顔色は明らかに悪い。トルコ自身は気づいていないのか、それともエジプトや私に気づかれていないとでも思っているのか――至っていつもの調子で笑い飛ばそうとしていたけれど。
しばらくこっちにゃ顔出せそうにねぇわ、と暗く笑う表情は彼に酷く似合わない。
エジプトが少し席を立った隙に私は、普段なら絶対しないようなことをした。
トルコの膝に片手を乗せて、きょとんと驚いた顔を下から伺い、出来るだけ哀れみっぽく聞こえないように一度だけ鳴いたのだ。
――大丈夫か、と、尋ねたかった。
この不敵な男がこんな顔をするところなんて、想像もしていなかったから。
エジプトは多分、アレクサンドリアの港でそうしたように、トルコに言葉をかけたりはしない気がしたから。
エジプトができないなら、それはきっと私の役目なのだ。
「……馬鹿」
これまで一度も自分から擦り寄って行ったことのない私が、そうしたことは予想以上の効果を挙げた。
微苦笑、という形容がしっくりするような顔をして、トルコは相変わらず気持ちよくない撫で方で私の毛並みをぐしゃぐしゃにした。エジプトが寂しいとか心配だとか言えないように、トルコは多分泣きたくても泣けないのだろう。そんな顔だった。
「男を泣かそうとすんなぃ。イイ女になれねえぞ」
――猫の雄雌の区別もつかないくせに、何を格好つけているのだか。
私は呆れて、それから少し可笑しくなって、乱れた毛並みをトルコの大きな手に擦り付ける。トルコは私の目を覗き込んで、ムカつくぐらい似てやがる、と呟いた。
私は、そのとき私がどんな色の毛並みをしていたかは忘れてしまった。だが、このおかげで目の色だけは覚えている。そこにあったのはきっと透き通った、砂漠の只中でも失われることのない鮮やかな緑だ。あの小さな癖毛の『クニ』と同じ色。
甘いお茶を入れて戻ってきたエジプトは、トルコの膝を占領している私の姿に何を思ったのか。ふたりはそのまま少し、本当に何てことのない会話を楽しんで、そしてトルコは帰っていった。
「ギリシャに、よろしく」
相変わらず不調そうな顔色のまま、船に乗り込むトルコに向かってエジプトが言った言葉を私は忘れない。
何度違う猫になって生まれてきても、きっと忘れはしないだろうとそう思う。
トルコはトルコの務めを果たすために帰っていく。その背中に向けて寂しいとも心配だとも、言うことのできないエジプトが、多分彼なりに思いつくことのできた唯一の言葉だった。
「また、遊びにおいで」
「……あいよ」
ひらひらと片手を振って、トルコの姿が船に消える。船は海へと漕ぎ出して、そのうち一面の青に埋もれていった。
私はそれを、エジプトの腕に抱かれたままずっと眺めていた。
そして考えていた。彼らは『クニ』で、それぞれに『コクミン』たちがいるから、不自由なことも多いのだろう。だけど私は所詮猫でしかなく、『クニ』でも『コクミン』でもないのだから、彼らがいつかまた同じ屋根の下で顔を合わせる日が来るのを願ったって悪いことはないに違いない。
過ぎた時間は二度と戻らない。確かに幸福と呼べただろうあれらの日々と同じものは戻らない。
だから私は、未だ目にしたことのない形の幸いな時間を願っている。
この辺りもじき、戦火に覆われてしまうかも知れないね。美しい港町を悲しげに眺める夜色の目と共に祈っている。
寂しいなら寂しいと言えればいいのに。トルコの消えていった海に背を向けて、歩き始めるエジプトのために祈っている。
――ああ、私はつまり、単純に、…………。