happy kitchen
【ある日の朝 * ホットケーキ】
「ホントにあの倉庫、色んなものがあるんだなぁ」
目の前に並べた材料を見て、呟く。
透明な袋に入った白い粉に、卵、牛乳、バター。
後ろの3点は食材としてはあって普通のものばかりだが、この白い粉をまさか置いているとは思わなかった。
つい1時間程前に朝食を済ませたばかりなのに、急にアレを食べたくなってしまったんだ。ふんわりときつね色に焼き上げた、アレ――ホットケーキを。だから倉庫にこの白い粉をダメ元で捜しに行ったら、あっさり見つかった。それも箱ごと、大量に。
こんな時に能天気に何を、と思われるかもしれない。けれど食欲というのは存外に正直だ。逆らおうとしても、逆らえやしない。だったら素直に、食べたい時には食べたいものを遠慮せずに食べることにした。
「さて、材料も揃ったし、作るかな」
まず卵、牛乳をガラスボウルに落とし、泡立て器でよくかき混ぜる。そしてホットケーキミックスを投入し、なめらかになるまで軽く混ぜる。ちなみに牛乳の代わりに水を使ってもいいらしいのだが、風味が落ちそうなので今まで一度も試したことはない。せっかく自分で作って食べるのだったら、少しでも美味しいものを食べたいものだ。
次にピカピカのフライパンを火にかけ、程良く温まった所でバターの塊を入れる。じゅう、という小気味いい音がして、辺りに香ばしい匂いが漂った。
そして十分にバターが解けた所で、先程混ぜ合わせた生地を流し入れる。あとは、表面にふつふつと小さな泡が出てくるまで少し待てばいい。
バターと生地が絡んで、なんとも言えない独特の、食欲をそそる香りが漂う中で、ボクはひと時の幸せに浸っていた。・・・が、その幸せは直後に破られることになる。
「・・・何をしているんだ、苗木」
ちょっと低めで、よく通る――でもどこか冷たい印象を受ける声に自分の名前を呼ばれ、ぎくりとした。
おそるおそる声の方向を向くと、そこには予想通り十神白夜が、いつものように腕組みをしてこちらに怪訝そうな視線を向けていた。
「えっと、ちょっと小腹がすいたから、何か食べようかなあ、なんて」
この歪んだ学園生活を楽しいと笑い、人の死に微塵も動じない。常に人を見下して、話しかければ返ってくるのは嫌味の混じったそっけない言葉。生まれ育った環境が全く違う、本来ならまるで雲の上の存在である彼の、ボクやみんなに対する態度は当然と言えば当然なのかもしれないけれど、正直、ボクは彼が苦手だった。
「お前、料理なんてするのか」
「え?あ、うん。これはただのホットケーキだから、料理とは呼べないかもしれないけど・・・。料理自体は家で手伝いとして結構やらされてたから、そこそこできるかな。作るのは好きか嫌いかと言われれば、好きだし」
出会ってから今まで、基本的に必要最低限の会話しかしていなかった彼からいきなりごく普通の、それこそ世間話レベルの話を振られて焦ってしまうのは仕方のないことだと思う。そのせいで聞かれてもいないことまでついぺらぺらと喋ってしまったのも、同様に。
「そうか」
てっきり『好きだとか嫌いだとか、そんなことまで聞いていない。無駄に喋るな、酸素の無駄だ』くらい言われるかと思ったのだが、返ってきた言葉は意外と普通だった。穏やかな会話だと本来は喜ぶべきなのかもしれないが、どうもいつもと勝手が違いすぎて、調子が狂う。
「・・・あ、しまった」
そんなやりとりをしているうちに、フライパンの上の生地には小さな穴がぷつぷつといくつも浮き上がってきていた。少し焼きすぎたかもしれない。慌ててひっくり返すと、心配とは裏腹に反対側はむらのない、綺麗なきつね色が広がっていた。――ああ、よかった。
「ふうん。上手いものだな」
「・・・え?」
がしゃん。
手にしたフライ返しが、床に落ちて耳障りな音を響かせた。
「・・・何をしている」
「ご、ごめん!」
その音が気に障ったのだろう、ぎろりと睨まれた。相変わらず怖い。
あわてて拾い上げて、汚れを水で洗い流す。
(上手いものだな、って言ったよね・・・?)
彼の口から発せられた言葉を、何度も頭の中で反芻する。褒められたんだろうか。"超高校級の御曹司"、十神白夜に。もしそうだとしたら、それは大変光栄なことなのかもしれない。しかし、なぜか全く嬉しくなかった。
単純なはずの言葉の意味を測りかねて、フライ返しの水滴を布巾で拭いながら、ついまじまじと彼を見てしまった。
「何だ?」
「いや、あの、ええと、まさか十神クンに褒められるとは思わなかったから」
「・・・俺がお前の何を褒めたと言うんだ?」
「・・・さっき、上手いものだな、って」
そんなこと言うとは思わなかったから、と正直に言うと、ああ、と彼は頷いて、嘲ったような笑みを浮かべた。
「別に褒めたわけじゃない。お前みたいなクズにも取り柄があるんだと思って言ったまでだ」
――ああ、なるほど、そういうこと。
なんだか妙に納得して、貶されたはずなのに逆に安心してしまった。これがいつものやりとりだからだろうか。どうにも歪んでいるなあ、と心の中で苦笑する。
間違った方向に落ち着いた所でフライパンの生地をまたひっくり返すと、こちらもまた美味しそうな焼き色がこんがりとついていた。
「よし、できた」
火を止めて、あらかじめ用意しておいた白い皿にホットケーキを移す。
ふっくら、きつね色。満足のいく出来に、十神クンとの会話で削り取られていった幸せが少し戻って来たような気さえする。あとはもう1、2枚同じように焼いて、皿に重ねて、バター1切れとメープルシロップをたっぷりかければ完成だ。
ホットケーキミックスのパッケージにプリントされた写真を完成予定として、またフライパンを火にかけ、バターを落とした。
「おい」
「え、あ、はい?」
思わず、まだいたんだ十神クン、と言いかけて、あわてて口を閉じた。そんなことを言った日には、ボクの命はないかもしれないからだ。
「お前に、俺の食事を作る権利を与えてやろう」
「・・・は?」
しばらく、何を言われたか理解できなかった。いや、理解するのを脳が拒んでいたのかもしれない。どういうこと?と首を傾げて意味不明な発言をした張本人を見ると、使えない奴だ、とでも言いたげに舌打ちを返された。相変わらず酷い。
「そのままの意味だ。お前に、俺の朝食・昼食・夕食を作る権利をやろうと言うんだ。光栄だろう?」
「・・・ええ?」
「そんなに喜ばなくてもいい。とりあえず、そのホットケーキもできたら食堂へ持ってこい」
困惑するボクの反応を180度取り違えて、彼は厨房を出て行った。
「・・・・・・」
彼の言っていることは呑み込めたが、やっぱり理解できなかった。
こんなに理不尽な気分になったのは、入学式でモノクマの説明を聞いた時以来かもしれない。どうしよう、という呟きが無意識に漏れた。
「・・・続き、焼こうかな。生地、まだ余ってるし」
とりあえず現実逃避することにして、ボウルとお玉を手にとってフライパンに視線を移す。・・・と、バターが黒く焦げて、苦い香りを辺りにまき散らしていた。
――まるで、ボクの心を代弁するかのように。
作品名:happy kitchen 作家名:アキ