days of heaven
まだ西の空に星が瞬いている夜明け前、深い藍色をした東の空は地平線上にわずかな明るさをにじませていた。あと30分もすれば太陽の燃えるようなオレンジ色が差し込んでくることだろう。ここ数日の晴天は今日も続くようだ。
スネイプは白い息を吐きながら暗い森を通り抜け、ひっそりと広がる湖まで歩いてきた。
足元では霜柱がシャリシャリと音を立て、痛く感じるほどの冷たい風がときおり髪を揺らして耳元を吹き抜ける。
眼の前に広がる湖は北風を受けて小さなさざなみがたっていた。
湖面に大きく枝を伸ばした大木は見上げるほど高く、幹はごつごつと荒れていたがどっしりとした貫禄を見せている。今では森と湖のシンボルになっているそれはいつからあるのか誰も知らない。
もともと学校のはずれにある湖にやって来る生徒も少なかったが、きまぐれに来る生徒は何か心ひかれるかのように決まって大木の周りで過ごした。
登って昼寝をしたり、釣り糸を垂れたり、根元にタイムカプセルを埋めたり。ロープをたらして作られたブランコは古くなってくると誰かしらが魔法をかけて修理する。
秋にはたくさんの赤い実をつけ、生徒たちによって収穫されると、それは数日後にソースやジャムとなって食卓に現れた。
スネイプは大木には目もくれず、湖面沿いに歩いて6本目のなんの特徴もない木の前で立ち止まった。湖からは少し離れ、前5本の木がこんもりと生い茂っていて目立ちにくい場所だが、樹木の間からはぽっかりと空が見える。
スネイプは冷え切った手で幹をゆっくりと撫でた。
20年以上も昔のことを昨日のことのように思い出す。
この木の下でどれほどの穏やかな時間を過ごしたことか。
懐かしさに口元が緩んだ。目をつぶれば瞼の裏で過ぎ去った日々があざやかによみがえり、その心地良さを逃すまいと身体はあの日々の遠い記憶をたぐる。
学生時代が青春だと誰が言っただろう。年を重ねるにつれて、その言葉の真実がわかる。
いくつになっても忘れられない日々。柔らかな日差しの中で笑顔がはじける。
意外とゴツい指がゆっくりと動き、スネイプの髪を撫でては毛先に口づける。
本のページをめくる音は耳に優しく、読書家で、時々詩を口ずさんでいた。
靴の上の小さな蛙に目を見開いて驚いていた。あんなに小さかったのに怖がって。
伸びをした先の青空。湖面に広がる銀色の輝き。キツツキの木をつつく音。指先から飛び立つテントウムシ。
全部二人で見て、聞いて、感じて、微笑んだ。
もしかしたら世界は優しいのかもしれないと思い始めたのは辛抱強く自分を見守り続けた男がいたからだった。
「ねぇ、セブルス」
話を始めるときは必ず名前を呼んで、それに自分が答えるとたったそれだけでとても嬉しそうな顔をした。
口が悪くて、嫌いなものばかりで、何でも持っている男が望んだのは自分を手に入れること。
それはなんて小さく、ささいで、簡単なことだったんだろう。
「セブルス・スネイプ」
その声が背後から聞こえてきたとき、スネイプは別段驚きもしなかった。
もともと感情の起伏がないも同然なことを差し引いても、そろそろだろうなと思っていたのと、ようやくはっきりさせることができると思ったのとで、わずかに満足感さえ覚えた。
中庭に面した渡り廊下に誰もいないのも都合が良い。悪態もつき放題だ。
振り向くと胸にエンブレムのついた白いシャツを着たジェームズ・ポッターが一人で立っていた。
いつも一緒にいる目つきの悪い凶暴そうな男と何事にも無関心そうな淡々とした印象の男の姿がどこにもないのが少々意外だ。
他寮にまで名の知れたこの青年は来年はグリフィンドールの監督生になると確実視されていた。
成績は申し分なく常時トップグループにいて、山ほどの文句を堂々と口にしながら結局は面倒見が良くて、いつでも大勢の中心にいた。
限りなく黒に近い焦げ茶色の髪に蒼い目という珍しい取り合わせが、ただでさえ端整な顔に鮮烈な印象を与えて魅力を最大限に引き立てている。すらっとした立ち姿は腰の位置が高くしなやかだった。
しかしながら外見の良さに似合わず、いたずら好きが災いして女子生徒たちの評価は真っ二つに分かれ、熱烈に好意を寄せられるか相手にされないかのどちらかだった。その代わり、男子生徒からの人気は絶大だ。
「なに」
愛想のない口の利き方はスネイプの十八番だったが、これが気に食わない人間が多いことは知っていた。単に口を開けば、そっけなく冷淡に聞こえるだけのことで、相手のことをどうこう思っているわけではない。何か思うほどの興味もなければ気力もない。だから相手の反応がどうであれ気にもならなかった。
あからさまにムッとされることが多い中、ジェームズは肩をすくめただけだった。
「そろそろだろう?」
「え?」
「はっきりさせよう」
まるで心の中を読んだかのような言葉にスネイプは何も答えられなかった。
ジェームズが近づくと、わかってはいたが自分より頭半分背が高く肩幅も広い。理想的な骨太の体格をしていて、これから大人へとしなやかに成長することは明白だ。いまだに細く華奢な自分を思うとスネイプはため息をつくのも馬鹿らしくなってしまった。
何でも持っている人は存在する。
たくさんの友達がいて、頭が良く、姿が整っていて、朗らかで、ユーモアまである。
出来過ぎていて、妬む気もおこらない。
自分とは違うフィールドで生活している。世界に接点はなく、これからもない。口をきくこともないし、きっかけもない。
そう思っていたのに、今でも半分以上はそう思っているのに、違和感を感じるようになったのはエイプリルフールを過ぎた春先だった。
もう半年も前のことになる。夏季休暇の間に何事もなかったかのように元に戻るかと思ったからこそ釈然としないまでも無視していられたのに、5年生になった新学期の初日から違和感は続くのだとさりげなく、しかしあからさまに知らせられれば眉間のしわも深くなるというものだ。
半年以上も前からジェームズ・ポッターの蒼い目は少しの揺らめきも見せずにスネイプの真っ黒な瞳をヒタリと見つめてくるのだった。
「はっきり?」
スネイプはわざと中庭に視線をやった。まっすぐに自分を見つめてくる内面を見透かすような蒼い瞳が身体の中に入ってきそうで嫌だった。自分に自信を持った人間の視線は大きな圧迫感を持ってスネイプに迫り好きではない。
視線の先で、噴水が午後の日差しを浴びてキラキラと輝く。芝生の緑が目にも鮮やかだった。
今は魔法史学の授業中だったがスネイプはサボっていた。嫌いではないがやる気がない。時々、どっと疲れてふらりと教室を出る。皆の中にいても一人だったが、自分で選んで一人になりたかった。
そしてジェームズもここにいるということは同じく何かの授業をサボっているのだろう。不真面目だという話は聞かないが、コンスタントに皆の度胆を抜くいたずらを仕掛けては懲りもせずに怒られていることを思えば真面目とはとても言えない。
「君ももうわかっているだろう? 僕が何か言いたいんだってことは」
穏やかなまなざしとすっきりとした物言いに、スネイプはまぁねと素直に頷いた。
スネイプは白い息を吐きながら暗い森を通り抜け、ひっそりと広がる湖まで歩いてきた。
足元では霜柱がシャリシャリと音を立て、痛く感じるほどの冷たい風がときおり髪を揺らして耳元を吹き抜ける。
眼の前に広がる湖は北風を受けて小さなさざなみがたっていた。
湖面に大きく枝を伸ばした大木は見上げるほど高く、幹はごつごつと荒れていたがどっしりとした貫禄を見せている。今では森と湖のシンボルになっているそれはいつからあるのか誰も知らない。
もともと学校のはずれにある湖にやって来る生徒も少なかったが、きまぐれに来る生徒は何か心ひかれるかのように決まって大木の周りで過ごした。
登って昼寝をしたり、釣り糸を垂れたり、根元にタイムカプセルを埋めたり。ロープをたらして作られたブランコは古くなってくると誰かしらが魔法をかけて修理する。
秋にはたくさんの赤い実をつけ、生徒たちによって収穫されると、それは数日後にソースやジャムとなって食卓に現れた。
スネイプは大木には目もくれず、湖面沿いに歩いて6本目のなんの特徴もない木の前で立ち止まった。湖からは少し離れ、前5本の木がこんもりと生い茂っていて目立ちにくい場所だが、樹木の間からはぽっかりと空が見える。
スネイプは冷え切った手で幹をゆっくりと撫でた。
20年以上も昔のことを昨日のことのように思い出す。
この木の下でどれほどの穏やかな時間を過ごしたことか。
懐かしさに口元が緩んだ。目をつぶれば瞼の裏で過ぎ去った日々があざやかによみがえり、その心地良さを逃すまいと身体はあの日々の遠い記憶をたぐる。
学生時代が青春だと誰が言っただろう。年を重ねるにつれて、その言葉の真実がわかる。
いくつになっても忘れられない日々。柔らかな日差しの中で笑顔がはじける。
意外とゴツい指がゆっくりと動き、スネイプの髪を撫でては毛先に口づける。
本のページをめくる音は耳に優しく、読書家で、時々詩を口ずさんでいた。
靴の上の小さな蛙に目を見開いて驚いていた。あんなに小さかったのに怖がって。
伸びをした先の青空。湖面に広がる銀色の輝き。キツツキの木をつつく音。指先から飛び立つテントウムシ。
全部二人で見て、聞いて、感じて、微笑んだ。
もしかしたら世界は優しいのかもしれないと思い始めたのは辛抱強く自分を見守り続けた男がいたからだった。
「ねぇ、セブルス」
話を始めるときは必ず名前を呼んで、それに自分が答えるとたったそれだけでとても嬉しそうな顔をした。
口が悪くて、嫌いなものばかりで、何でも持っている男が望んだのは自分を手に入れること。
それはなんて小さく、ささいで、簡単なことだったんだろう。
「セブルス・スネイプ」
その声が背後から聞こえてきたとき、スネイプは別段驚きもしなかった。
もともと感情の起伏がないも同然なことを差し引いても、そろそろだろうなと思っていたのと、ようやくはっきりさせることができると思ったのとで、わずかに満足感さえ覚えた。
中庭に面した渡り廊下に誰もいないのも都合が良い。悪態もつき放題だ。
振り向くと胸にエンブレムのついた白いシャツを着たジェームズ・ポッターが一人で立っていた。
いつも一緒にいる目つきの悪い凶暴そうな男と何事にも無関心そうな淡々とした印象の男の姿がどこにもないのが少々意外だ。
他寮にまで名の知れたこの青年は来年はグリフィンドールの監督生になると確実視されていた。
成績は申し分なく常時トップグループにいて、山ほどの文句を堂々と口にしながら結局は面倒見が良くて、いつでも大勢の中心にいた。
限りなく黒に近い焦げ茶色の髪に蒼い目という珍しい取り合わせが、ただでさえ端整な顔に鮮烈な印象を与えて魅力を最大限に引き立てている。すらっとした立ち姿は腰の位置が高くしなやかだった。
しかしながら外見の良さに似合わず、いたずら好きが災いして女子生徒たちの評価は真っ二つに分かれ、熱烈に好意を寄せられるか相手にされないかのどちらかだった。その代わり、男子生徒からの人気は絶大だ。
「なに」
愛想のない口の利き方はスネイプの十八番だったが、これが気に食わない人間が多いことは知っていた。単に口を開けば、そっけなく冷淡に聞こえるだけのことで、相手のことをどうこう思っているわけではない。何か思うほどの興味もなければ気力もない。だから相手の反応がどうであれ気にもならなかった。
あからさまにムッとされることが多い中、ジェームズは肩をすくめただけだった。
「そろそろだろう?」
「え?」
「はっきりさせよう」
まるで心の中を読んだかのような言葉にスネイプは何も答えられなかった。
ジェームズが近づくと、わかってはいたが自分より頭半分背が高く肩幅も広い。理想的な骨太の体格をしていて、これから大人へとしなやかに成長することは明白だ。いまだに細く華奢な自分を思うとスネイプはため息をつくのも馬鹿らしくなってしまった。
何でも持っている人は存在する。
たくさんの友達がいて、頭が良く、姿が整っていて、朗らかで、ユーモアまである。
出来過ぎていて、妬む気もおこらない。
自分とは違うフィールドで生活している。世界に接点はなく、これからもない。口をきくこともないし、きっかけもない。
そう思っていたのに、今でも半分以上はそう思っているのに、違和感を感じるようになったのはエイプリルフールを過ぎた春先だった。
もう半年も前のことになる。夏季休暇の間に何事もなかったかのように元に戻るかと思ったからこそ釈然としないまでも無視していられたのに、5年生になった新学期の初日から違和感は続くのだとさりげなく、しかしあからさまに知らせられれば眉間のしわも深くなるというものだ。
半年以上も前からジェームズ・ポッターの蒼い目は少しの揺らめきも見せずにスネイプの真っ黒な瞳をヒタリと見つめてくるのだった。
「はっきり?」
スネイプはわざと中庭に視線をやった。まっすぐに自分を見つめてくる内面を見透かすような蒼い瞳が身体の中に入ってきそうで嫌だった。自分に自信を持った人間の視線は大きな圧迫感を持ってスネイプに迫り好きではない。
視線の先で、噴水が午後の日差しを浴びてキラキラと輝く。芝生の緑が目にも鮮やかだった。
今は魔法史学の授業中だったがスネイプはサボっていた。嫌いではないがやる気がない。時々、どっと疲れてふらりと教室を出る。皆の中にいても一人だったが、自分で選んで一人になりたかった。
そしてジェームズもここにいるということは同じく何かの授業をサボっているのだろう。不真面目だという話は聞かないが、コンスタントに皆の度胆を抜くいたずらを仕掛けては懲りもせずに怒られていることを思えば真面目とはとても言えない。
「君ももうわかっているだろう? 僕が何か言いたいんだってことは」
穏やかなまなざしとすっきりとした物言いに、スネイプはまぁねと素直に頷いた。
作品名:days of heaven 作家名:かける