days of heaven
低くなった大人の声で、ゆっくりと伝えてくれる。ジェームズは言葉を惜しまない。
前髪をかきあげられた額にジェームズの唇を感じながら、スネイプは今まで自分に一番縁遠かった言葉を胸の内でつぶやいていた。
幸せだ、と。
ジェームズと過ごした学生時代はあっという間に過ぎていった。
テントウムシを見つけたと思ったら、すぐに夏になり、気づけば最上級生になっていた。
ジェームズが監督生になることを断ったのは「かわいこちゃんがいるんで無理」というふざけた理由だったとか。教師も呆れ果てて何も言えず、シリウスさえ無言で手をあげた。お手上げだということらしい。女子生徒たちは楽しげにキャイキャイ騒いでいたが、かわいこちゃんが誰かは最後までわからず、結局ジェームズの戯言だと片付けられた。
「まったく失礼な話だよな」
勝手に片付けられた「かわいこちゃん発言」に憤慨していたジェームズの顔をスネイプは容赦なく平手打ちした。人ごとだと思っていた「かわいこちゃん」が自分のことだとわかったときの驚きと羞恥心と言ったら! それなのに。
「痛いなぁ」
盛大に顔をしかめながらも、嬉しそうにジェームズは文句を言った。
どんなに時が経っても忘れられない。一生忘れないんだろう。
ふくろう部屋のテント。月明かり。ブラウニー。レモネード。カラー。薄紫色のセーター。手紙。エルザ。美しい青空。まぶしい朝日。
・・・蒼い目。黒い髪。穏やかな声。吐息のような笑い。いたずらな指先。温かな唇。身体の重み。
あの日から一度も外したことのないネックレスが冷たく感じるようになっても、暗闇から光の世界に連れ出してくれた男のことは忘れない。
あの日々があるから、今も生きていられる。態度で、言葉で、視線で、頭のてっぺんから足の先まで、身体の外から内から息も止まるほど愛された。
男がいなくなってから何度目かの朝日が昇りきってしまうまで、スネイプはじっと立っていた。
「素敵な朝だな」
あの日の彼の言葉を口にする。答えてくれるものは誰もいない。湖に冷たい風がふくだけだ。
「朝食はきちんと食べているし、今日も厚着だ。ハンドクリームは勘弁してくれ」
思い出に語っているのか、自分に語っているのか、ただ口にしているだけなのか、すでにわからなくなった言葉を今年もまた口にする。
誕生日は特別な日。そう教えられ、祝福された。
「60歳になってもここで朝日を見ようか」
独り言のように呟くとスネイプはポケットに手を入れた。凍えた手にほんのりとした温かさが優しく染みる。
見上げた空には雲ひとつなく、空気も澄み切っている。
部屋に用意されているはずのホットワインのことを思い、ゆっくりと湖に背を向けた。そうでもしないといつまでもたたずんでしまうことをスネイプは知っていた。
また気の遠くなるような時間を独りで過ごさねばならない。この世に未練などこれっぽちもなかったが、次に男に堂々と会うには生きていかねばならなかった。
自分は精一杯生きていく。生きていける。蒼い目の男がまぶたの裏で微笑む限り。
生きていける。ただ一つの言葉が胸に響いている限り。
『覚えていて、ずっと。僕がセブルスを大好きだってこと』
作品名:days of heaven 作家名:かける