【東方】夢幻の境界【一章(Part2)】
霧雨魔理沙にとって、この魔法の森は天国のような場所だった。
言い過ぎかもしれないが、そう思えてしまうほど特別なのだ。
魔法使いである魔理沙は、この魔法の森に自生している茸を採取し、それを様々な方法で薬品に加工したり、直接使って何か魔法が発動するまで実験を繰り返す。
そしてその結果をすべて書き留め、自作の魔道書を作っている。
ただ、それはあくまで魔理沙の場合に限る。
”本物の魔法使い”なら、そんな地道な実験などほとんどしない。
そう、魔理沙は厳密には魔法使いではないのだ。
魔法使いには二種類あり、生まれながらの魔法使いと、人間が魔法使いになる者である。
前者は最初から魔法が使えるというだけで、普通の人間と変わらない。そのため、捨虫という成長を止める魔法の習得とともに、完全な魔法使いになれる。これはある種の不老不死のようなものである。
後者は修行によって魔法を習得し、捨食の魔法により食事を魔力で補えるようになって初めて魔法使いと認められる。
魔理沙は後者に当たるのだが、捨食の魔法は習得していない。
いや、正確には習得するつもりがないのだ。
不老不死に興味がないわけではない。ただ、必要ないだけなのだ。
たしかに魔法の修行や実験は楽しいし、死ぬまで続けていたい。
だが、不老不死になってまで続けようとは思っていないのだ。
魔法の実験をしているとき、もっと時間があれば今以上の結果を出せる、という場面は何度もあった。魔法の森で茸の採取をしているとき、危険な胞子を吸い過ぎて死にかけたこともある。
人間の体は弱い。
それでも捨虫や捨食の魔法を習得しないのは、ひとつの意地があるからだ。
魔理沙は、人間である自分が好きなのだ。
人間という限られた時間の中で生きる自分に誇りを持っているのだ。
千年以上生き続ける妖怪や魔法使いからしたら、魔理沙の一生はあまりに短い。空中で輝いては一瞬で消える火花のようなものだろう。
そんな儚い命でも、生きている証は必ず残る。
それは徹夜して書いた魔道書であったり、死ぬ思いをしながら収集した研究材料だったり、誰かの記憶の中だったり――
そういったものは、きっと、限られた時間の中で残していくからこそ輝くのだと思う。
たとえ無様な人生になろうとも、魔理沙にとっては魔道書や研究材料よりも大切な宝物になるのだ。
湿気に富んだ地面は、踏むたびに足が沈む。
周囲に生い茂る木の幹には苔が生え、独特の匂いが辺りを満たしている。
「さて、今日はこれくらいにしとくか」
採取した茸を詰め込んだ袋を持って、魔理沙は歩き出した。
木の根がいくつも飛び出ているが、魔法の森に通いなれている魔理沙はそれらを苦もなく避けていく。
普段は箒で空に飛びながら移動するのだが、魔理沙の家はこの森の中にあるし、森の中で飛ぶのは危険が多い。
「あぁー、だいぶ冷えてきたなぁ」
森の中はあまり風はないのだが、やはり十二月ともなると空気が冷えている。
頬を風が撫でるたびに刺すような痛みが走る。
いま鏡を見たら、間違いなく頬は赤くなっているだろう。
空いてる手に息をかけながら、魔理沙は木の根を軽快に避けながら家へと向かう。
今日は普段見かけない珍しい茸が手に入り、心なしか足が軽く感じる。
だからだろう。頬を刺すような痛みや、スカートについた苔も気にならない。
「さて、今日はどんな魔法ができるかな」
そんな独り言を呟くと、魔理沙は鼻歌交じりに歩を速めた。
結果から言えば、実験は失敗に終わった。
採取した貴重な茸を半分以上使ったにもかかわらず、新しい魔法はひとつも発現しなかった。
以前、同じ茸を採取したことがあるのだが、量が少なく、十分な実験ができなかった。
だから今回はいままでやれなかったことをやってみたのだが、その結果がこれではあまりに納得がいかない。
ただ、材料ならまだ残っているのだが、いかんせん実験器具が足りない。
「こりゃひとりじゃ無理だな」
今回の実験の結果を書き留めた魔道書を閉じ、両手を上げて背を伸ばすと、こきこきと小気味よい音がした。
長時間椅子に座り続けていたので、強張った体をほぐすのも兼ねて思いきり椅子から立ち上がった。
だが、すぐ後ろに積み上げていた魔道書に椅子がぶつかってしまった。
適当に積み上げていただけだった魔道書の塔は、案の定埃を舞い上げながら崩れ落ちた。
「っ……くそ」
魔理沙は額に手を当てながらそんな悪態をついた。
実験が失敗に終わったこともあり、気づかぬうちにいらついていたらしい。
気分を落ち着かせようと机の上に置いてある湯飲みを取った。
お茶はすでに冷め切っていたが、今はこの冷たさが丁度いいかもしれない。
ぐいと中身を飲み干し、机の上に湯飲みを置いた。
崩れてしまった魔道書を積みなおし、魔理沙は壁にかけてあった帽子を取った。
帽子はつばが大きく装飾品の少ない、これぞ魔法使いと呼べるような典型的なものだ。
魔理沙はいざという時、中に物を詰め込んで運ぶことができるこの帽子を気に入っている。
帽子を被り、残りの茸が入った袋とマフラーを持って、他の積み上げられた魔道書を避けながら扉まで進む。
「さて、やっぱり行くならあそこしかないよな」
魔理沙は扉の横に立てかけてある箒を手に取り、家を出た。
外はすっかり暗くなり、森の中はまるで全てを飲み込んでしまいそうな闇を湛えている。
普段から通いなれているとはいえ、こんなところを通るのはあまりに危険だろう。
だから、今回は徒歩とは別の方法で移動する。
魔理沙は玄関の前でマフラーを首に巻いて、箒にまたがり宙に浮いた。
森の中を箒で飛んで移動するのは危険だが、森を越えていく分には問題ない。
空を飛ぶとなると、森の中より遥かに冷える。
箒の柄をしっかりと握り、森の少し上辺りを飛ぶ。
空は高いところに行けば行くほど空気は冷たくなる。だから極力低空で飛ぶ必要があるのだ。
目的地は魔法の森の中――”本物の魔法使い”が住む洋館である。
その魔法使いは魔理沙の知り合いで、これまでも魔法の実験で何回か手伝ってもらっている。
「あいつ居るかなぁ……居なけりゃ勝手に借りてくか」
雲ひとつない夜空に浮かぶ満月が、神秘的な光で魔理沙を照らし出していた。
魔法の森の一角、そこだけ木の生えていないところがある。
知り合いの魔法使いが住む洋館はそこに建っていた。
立派なとは言いがたいが、汚れひとつなく清楚さと気品さを漂わせている外見は、この魔法の森には不釣り合いなほどに綺麗だ。
魔法で保護しているのか、それともこまめに掃除しているのか。
おそらくは前者だろう。いくら小さいとはいえ、汚れるたびにいちいち掃除していたらきりがない。
魔理沙は箒から飛び降りる形で着地すると、洋館の扉をノックした。
こんこんと木製の扉特有の音が静かな森に響く。
「おーい、居るかー」
返事はない。
ただ、人が居ないわけでもない。
魔法使いである魔理沙は、近くに強い魔力があれば探知できる。
そして、洋館の中にはかすかだが魔力を感じる。
言い過ぎかもしれないが、そう思えてしまうほど特別なのだ。
魔法使いである魔理沙は、この魔法の森に自生している茸を採取し、それを様々な方法で薬品に加工したり、直接使って何か魔法が発動するまで実験を繰り返す。
そしてその結果をすべて書き留め、自作の魔道書を作っている。
ただ、それはあくまで魔理沙の場合に限る。
”本物の魔法使い”なら、そんな地道な実験などほとんどしない。
そう、魔理沙は厳密には魔法使いではないのだ。
魔法使いには二種類あり、生まれながらの魔法使いと、人間が魔法使いになる者である。
前者は最初から魔法が使えるというだけで、普通の人間と変わらない。そのため、捨虫という成長を止める魔法の習得とともに、完全な魔法使いになれる。これはある種の不老不死のようなものである。
後者は修行によって魔法を習得し、捨食の魔法により食事を魔力で補えるようになって初めて魔法使いと認められる。
魔理沙は後者に当たるのだが、捨食の魔法は習得していない。
いや、正確には習得するつもりがないのだ。
不老不死に興味がないわけではない。ただ、必要ないだけなのだ。
たしかに魔法の修行や実験は楽しいし、死ぬまで続けていたい。
だが、不老不死になってまで続けようとは思っていないのだ。
魔法の実験をしているとき、もっと時間があれば今以上の結果を出せる、という場面は何度もあった。魔法の森で茸の採取をしているとき、危険な胞子を吸い過ぎて死にかけたこともある。
人間の体は弱い。
それでも捨虫や捨食の魔法を習得しないのは、ひとつの意地があるからだ。
魔理沙は、人間である自分が好きなのだ。
人間という限られた時間の中で生きる自分に誇りを持っているのだ。
千年以上生き続ける妖怪や魔法使いからしたら、魔理沙の一生はあまりに短い。空中で輝いては一瞬で消える火花のようなものだろう。
そんな儚い命でも、生きている証は必ず残る。
それは徹夜して書いた魔道書であったり、死ぬ思いをしながら収集した研究材料だったり、誰かの記憶の中だったり――
そういったものは、きっと、限られた時間の中で残していくからこそ輝くのだと思う。
たとえ無様な人生になろうとも、魔理沙にとっては魔道書や研究材料よりも大切な宝物になるのだ。
湿気に富んだ地面は、踏むたびに足が沈む。
周囲に生い茂る木の幹には苔が生え、独特の匂いが辺りを満たしている。
「さて、今日はこれくらいにしとくか」
採取した茸を詰め込んだ袋を持って、魔理沙は歩き出した。
木の根がいくつも飛び出ているが、魔法の森に通いなれている魔理沙はそれらを苦もなく避けていく。
普段は箒で空に飛びながら移動するのだが、魔理沙の家はこの森の中にあるし、森の中で飛ぶのは危険が多い。
「あぁー、だいぶ冷えてきたなぁ」
森の中はあまり風はないのだが、やはり十二月ともなると空気が冷えている。
頬を風が撫でるたびに刺すような痛みが走る。
いま鏡を見たら、間違いなく頬は赤くなっているだろう。
空いてる手に息をかけながら、魔理沙は木の根を軽快に避けながら家へと向かう。
今日は普段見かけない珍しい茸が手に入り、心なしか足が軽く感じる。
だからだろう。頬を刺すような痛みや、スカートについた苔も気にならない。
「さて、今日はどんな魔法ができるかな」
そんな独り言を呟くと、魔理沙は鼻歌交じりに歩を速めた。
結果から言えば、実験は失敗に終わった。
採取した貴重な茸を半分以上使ったにもかかわらず、新しい魔法はひとつも発現しなかった。
以前、同じ茸を採取したことがあるのだが、量が少なく、十分な実験ができなかった。
だから今回はいままでやれなかったことをやってみたのだが、その結果がこれではあまりに納得がいかない。
ただ、材料ならまだ残っているのだが、いかんせん実験器具が足りない。
「こりゃひとりじゃ無理だな」
今回の実験の結果を書き留めた魔道書を閉じ、両手を上げて背を伸ばすと、こきこきと小気味よい音がした。
長時間椅子に座り続けていたので、強張った体をほぐすのも兼ねて思いきり椅子から立ち上がった。
だが、すぐ後ろに積み上げていた魔道書に椅子がぶつかってしまった。
適当に積み上げていただけだった魔道書の塔は、案の定埃を舞い上げながら崩れ落ちた。
「っ……くそ」
魔理沙は額に手を当てながらそんな悪態をついた。
実験が失敗に終わったこともあり、気づかぬうちにいらついていたらしい。
気分を落ち着かせようと机の上に置いてある湯飲みを取った。
お茶はすでに冷め切っていたが、今はこの冷たさが丁度いいかもしれない。
ぐいと中身を飲み干し、机の上に湯飲みを置いた。
崩れてしまった魔道書を積みなおし、魔理沙は壁にかけてあった帽子を取った。
帽子はつばが大きく装飾品の少ない、これぞ魔法使いと呼べるような典型的なものだ。
魔理沙はいざという時、中に物を詰め込んで運ぶことができるこの帽子を気に入っている。
帽子を被り、残りの茸が入った袋とマフラーを持って、他の積み上げられた魔道書を避けながら扉まで進む。
「さて、やっぱり行くならあそこしかないよな」
魔理沙は扉の横に立てかけてある箒を手に取り、家を出た。
外はすっかり暗くなり、森の中はまるで全てを飲み込んでしまいそうな闇を湛えている。
普段から通いなれているとはいえ、こんなところを通るのはあまりに危険だろう。
だから、今回は徒歩とは別の方法で移動する。
魔理沙は玄関の前でマフラーを首に巻いて、箒にまたがり宙に浮いた。
森の中を箒で飛んで移動するのは危険だが、森を越えていく分には問題ない。
空を飛ぶとなると、森の中より遥かに冷える。
箒の柄をしっかりと握り、森の少し上辺りを飛ぶ。
空は高いところに行けば行くほど空気は冷たくなる。だから極力低空で飛ぶ必要があるのだ。
目的地は魔法の森の中――”本物の魔法使い”が住む洋館である。
その魔法使いは魔理沙の知り合いで、これまでも魔法の実験で何回か手伝ってもらっている。
「あいつ居るかなぁ……居なけりゃ勝手に借りてくか」
雲ひとつない夜空に浮かぶ満月が、神秘的な光で魔理沙を照らし出していた。
魔法の森の一角、そこだけ木の生えていないところがある。
知り合いの魔法使いが住む洋館はそこに建っていた。
立派なとは言いがたいが、汚れひとつなく清楚さと気品さを漂わせている外見は、この魔法の森には不釣り合いなほどに綺麗だ。
魔法で保護しているのか、それともこまめに掃除しているのか。
おそらくは前者だろう。いくら小さいとはいえ、汚れるたびにいちいち掃除していたらきりがない。
魔理沙は箒から飛び降りる形で着地すると、洋館の扉をノックした。
こんこんと木製の扉特有の音が静かな森に響く。
「おーい、居るかー」
返事はない。
ただ、人が居ないわけでもない。
魔法使いである魔理沙は、近くに強い魔力があれば探知できる。
そして、洋館の中にはかすかだが魔力を感じる。
作品名:【東方】夢幻の境界【一章(Part2)】 作家名:LUNA