【東方】夢幻の境界【一章(Part3)】
博麗神社の裏には大きな湖がある。
周囲は森で囲まれており、日中は霧で覆われていて視界が非常に悪く、霧の湖とも呼ばれている。
この湖には多くの妖精や妖怪が集まるため人間はほとんど寄り付かず、幻想郷の中でも比較的危険な場所に当たる。
ただ、その湖には妖精や妖怪すら集まらない場所がある。
湖の畔に建つ洋館――紅魔館である。
名前のとおり真っ赤なレンガを使用したひときわ異彩を放つデザインの洋館なのだ。また、廊下には窓が少なく、日の出ている間はカーテンで閉め切られているので不気味な雰囲気を放っている。
それというのも、紅魔館の主が日光を嫌っているからである。
嫌っているといっても、ただ眩しいのが苦手ということではない。日光を浴びることができないのだ。
その人物は妖怪の中でもトップクラスの力を持ち、多くの妖怪が畏れ決して逆らうことのない存在、吸血鬼なのだ。
吸血鬼は日の光を浴びると蒸発してしまうため、紅魔館の廊下や部屋の窓はすべて閉め切られているし、吸血鬼の危険性を知っている妖怪たちは滅多なことでは紅魔館に近づかない。
その吸血鬼は圧倒的な力を揮い、妖精のメイド達を使役してほとんどの雑用を任せている。が、妖精たちは基本的に自分勝手な性格をしているので、メイドとしての仕事はほとんどできず、まるで役に立っていないというのが現実である。
それでも役に立たないメイド達を雇っているのは、それを従え、見事な采配で仕事をこなさせているメイド長がいるからだ。
吸血鬼も彼女の仕事ぶりと従順さを気に入っており、身の回りの世話はすべてそのメイド長に任せている。
吸血鬼に従える優秀なメイド長。そんな話を聞けば、さぞかし強い妖怪なのだろうと思うところだが、そのメイド長は妖怪でも妖精でもない――ただの人間なのだ。
ただの人間といっても、吸血鬼がごく普通の人間を雇うはずがない。
幻想郷に住む妖怪たちは何かしら特殊な能力を持っているのだが、彼女のそれはその中でもかなり稀有な能力なのだ。
吸血鬼はその能力と優秀さから彼女をメイド長とした。
彼女も主へ絶対の忠誠を誓っており、日々メイド長としての業務を完璧にこなしていた。
「……ふぅ」
メイド長である十六夜咲夜は、館のモップがけを終わらせ一息ついていた。
ただでさえ紅魔館は広く、気が遠くなりそうなほど部屋があるというのに、他のメイド達はまるで役に立たないのでほとんど咲夜ひとりで仕事をこなさなければならないのだ。溜息のひとつぐらいつきたくなる。
妖精のメイド達に下手な指示を出せば仕事が増えるだけなので、今は失敗されても被害の少なくてすむ庭園の掃除を任せている。
もっとも今は”誰も動いていない”のだが。
いや、正確に言えば、”この世界が動いていない”のだ。
風は吹かず、木々は揺れず、日は沈まず、音は響かない。咲夜以外のものはすべて凍りついたかのように動かないのだ。
これが咲夜の持つ絶対的な能力――『時間を操る程度の能力』である。
時間を加速や遅延、停止させることができるこの能力を使い、咲夜は広すぎる紅魔館の掃除をまったく時間をかけずに終わらせることができるのだ。もちろん咲夜自身は疲労するのだが、時間を止めていた分自由な時間も増えるし、休憩もでき、他のメイド達の様子を窺うことができる。そもそも時間を止めなければこの洋館の掃除を終わらせることなどできるはずがない。
「さて、そろそろいいかしら」
咲夜は能力を止め、時の流れを元に戻した。
瞬間、いままで止まっていたすべてのもが生き返ったかのように動き出した。吹き抜けるか風が木々の間を吹き抜けるたびに枝葉が揺れ、かさかさと音を立てる。この世界に存在するものは時間が止められていることに気づかず、その間の記憶も存在しない。それはまさに咲夜だけの世界と言えるだろう。
咲夜は肩に手をあてると、首を左右に捻った。
時間を止めている間は埃が舞わないので掃除が楽なのだが、長時間の能力の使用はさすがに疲れる。もっとも、時間が止められているというのに長時間と表現するのもおかしな話ではあるのだが。
とりあえず午前中にやるべきことは終わったので、咲夜はモップをしまってから自室へと向かった。
かつかつとヒールの音が廊下に響く。咲夜以外に誰もいない廊下は、まるで時間が止まっているかのように静かだ。
少しサボってみようか。ふとそんなくだらないことを考えてしまった。仕事がないのなら、いつ主人に呼び出されてもいいように自室で待機していなければならないのだが、周りに誰もいないとなるとそういうことも考えてみたくなるものだ。
吸血鬼は夜行性なのでこの時間に起きてくることはないだろう。他のメイド達は外にいるのだから、誰かに見られるということはないだろう。
「……誰もいないわよね」
もう一度だけ辺りに誰もいないことを確認してから、窓に近づいてカーテンを開けた。
差し込む光が廊下にあふれる。
いままで薄暗い廊下にいて光になれていなかったので、その光は咲夜には少し眩しかった。
瞼を半分だけ閉じ、手のひらを目の上に当てた。
目が光に慣れたころにふと下を見ると、庭園でメイド達が箒を剣のように振り回して遊んでいるのが二階からでもはっきりと見てとれた。その周りに落ち葉が散らばっているのも見えるので、落ち葉を集めてから遊び始め、それを踏み散らかしたというところだろうか。
「はあ」
思わず溜息が出ていた。
このままでは自分が尻拭いをしないといけなくなる。
咲夜はカーテンを閉めてから窓を離れ、階段へと向かおうと左へ振り向き――
「おはよう、咲夜」
一瞬、頭が真っ白になったが、身体は無意識のうちにいつもそうしているように動いてくれた。
「おはようございます。お嬢様」
目の前には齢十にも満たぬであろう少女が立っていた。
しかし、普通の少女とは少し違っていた。
まず目が留まるのは背中に生えた巨大な翼だ。へたをすれば少女の身体より大きいかもしれないその翼は、蝙蝠を彷彿(ほうふつ)とさせる形をしている。さらに、目は血のように紅く、それでいて獰猛な肉食獣のような冷たさを孕んでいる。
あまりに異様な姿をしたこの少女は、その実、500年以上生きた吸血鬼であり、この紅魔館の主なのだ。
「珍しいですね、こんな時間に起きられるなんて」
努めて平静を装ってそう言った。
吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットは返事をするわけでもなく、まだ眠たそうに目をこすった。
吸血鬼は日が沈むの頃に起床し、日の出前に寝るのだ。だが今はまだ10時を過ぎたばかりで、レミリアが眠りについてから数時間しか経っていない。
レミリアは気だるげに背伸びをしてから大きく息は吐いた。
次に顔を上げたときにはもう眠たそうな少女の顔ではなく、紅魔館の主にふさわしい吸血鬼の顔になっていた。
「なんだか胸騒ぎがするのよ」
「胸騒ぎですか?」
「そう。昨日の夜から感じてたんだけどね。最初は気のせいだと思ったけど、今日も感じるとなると……なにかあるかもしれないわね」
レミリアはそう言うと、顎に手を当てた。
周囲は森で囲まれており、日中は霧で覆われていて視界が非常に悪く、霧の湖とも呼ばれている。
この湖には多くの妖精や妖怪が集まるため人間はほとんど寄り付かず、幻想郷の中でも比較的危険な場所に当たる。
ただ、その湖には妖精や妖怪すら集まらない場所がある。
湖の畔に建つ洋館――紅魔館である。
名前のとおり真っ赤なレンガを使用したひときわ異彩を放つデザインの洋館なのだ。また、廊下には窓が少なく、日の出ている間はカーテンで閉め切られているので不気味な雰囲気を放っている。
それというのも、紅魔館の主が日光を嫌っているからである。
嫌っているといっても、ただ眩しいのが苦手ということではない。日光を浴びることができないのだ。
その人物は妖怪の中でもトップクラスの力を持ち、多くの妖怪が畏れ決して逆らうことのない存在、吸血鬼なのだ。
吸血鬼は日の光を浴びると蒸発してしまうため、紅魔館の廊下や部屋の窓はすべて閉め切られているし、吸血鬼の危険性を知っている妖怪たちは滅多なことでは紅魔館に近づかない。
その吸血鬼は圧倒的な力を揮い、妖精のメイド達を使役してほとんどの雑用を任せている。が、妖精たちは基本的に自分勝手な性格をしているので、メイドとしての仕事はほとんどできず、まるで役に立っていないというのが現実である。
それでも役に立たないメイド達を雇っているのは、それを従え、見事な采配で仕事をこなさせているメイド長がいるからだ。
吸血鬼も彼女の仕事ぶりと従順さを気に入っており、身の回りの世話はすべてそのメイド長に任せている。
吸血鬼に従える優秀なメイド長。そんな話を聞けば、さぞかし強い妖怪なのだろうと思うところだが、そのメイド長は妖怪でも妖精でもない――ただの人間なのだ。
ただの人間といっても、吸血鬼がごく普通の人間を雇うはずがない。
幻想郷に住む妖怪たちは何かしら特殊な能力を持っているのだが、彼女のそれはその中でもかなり稀有な能力なのだ。
吸血鬼はその能力と優秀さから彼女をメイド長とした。
彼女も主へ絶対の忠誠を誓っており、日々メイド長としての業務を完璧にこなしていた。
「……ふぅ」
メイド長である十六夜咲夜は、館のモップがけを終わらせ一息ついていた。
ただでさえ紅魔館は広く、気が遠くなりそうなほど部屋があるというのに、他のメイド達はまるで役に立たないのでほとんど咲夜ひとりで仕事をこなさなければならないのだ。溜息のひとつぐらいつきたくなる。
妖精のメイド達に下手な指示を出せば仕事が増えるだけなので、今は失敗されても被害の少なくてすむ庭園の掃除を任せている。
もっとも今は”誰も動いていない”のだが。
いや、正確に言えば、”この世界が動いていない”のだ。
風は吹かず、木々は揺れず、日は沈まず、音は響かない。咲夜以外のものはすべて凍りついたかのように動かないのだ。
これが咲夜の持つ絶対的な能力――『時間を操る程度の能力』である。
時間を加速や遅延、停止させることができるこの能力を使い、咲夜は広すぎる紅魔館の掃除をまったく時間をかけずに終わらせることができるのだ。もちろん咲夜自身は疲労するのだが、時間を止めていた分自由な時間も増えるし、休憩もでき、他のメイド達の様子を窺うことができる。そもそも時間を止めなければこの洋館の掃除を終わらせることなどできるはずがない。
「さて、そろそろいいかしら」
咲夜は能力を止め、時の流れを元に戻した。
瞬間、いままで止まっていたすべてのもが生き返ったかのように動き出した。吹き抜けるか風が木々の間を吹き抜けるたびに枝葉が揺れ、かさかさと音を立てる。この世界に存在するものは時間が止められていることに気づかず、その間の記憶も存在しない。それはまさに咲夜だけの世界と言えるだろう。
咲夜は肩に手をあてると、首を左右に捻った。
時間を止めている間は埃が舞わないので掃除が楽なのだが、長時間の能力の使用はさすがに疲れる。もっとも、時間が止められているというのに長時間と表現するのもおかしな話ではあるのだが。
とりあえず午前中にやるべきことは終わったので、咲夜はモップをしまってから自室へと向かった。
かつかつとヒールの音が廊下に響く。咲夜以外に誰もいない廊下は、まるで時間が止まっているかのように静かだ。
少しサボってみようか。ふとそんなくだらないことを考えてしまった。仕事がないのなら、いつ主人に呼び出されてもいいように自室で待機していなければならないのだが、周りに誰もいないとなるとそういうことも考えてみたくなるものだ。
吸血鬼は夜行性なのでこの時間に起きてくることはないだろう。他のメイド達は外にいるのだから、誰かに見られるということはないだろう。
「……誰もいないわよね」
もう一度だけ辺りに誰もいないことを確認してから、窓に近づいてカーテンを開けた。
差し込む光が廊下にあふれる。
いままで薄暗い廊下にいて光になれていなかったので、その光は咲夜には少し眩しかった。
瞼を半分だけ閉じ、手のひらを目の上に当てた。
目が光に慣れたころにふと下を見ると、庭園でメイド達が箒を剣のように振り回して遊んでいるのが二階からでもはっきりと見てとれた。その周りに落ち葉が散らばっているのも見えるので、落ち葉を集めてから遊び始め、それを踏み散らかしたというところだろうか。
「はあ」
思わず溜息が出ていた。
このままでは自分が尻拭いをしないといけなくなる。
咲夜はカーテンを閉めてから窓を離れ、階段へと向かおうと左へ振り向き――
「おはよう、咲夜」
一瞬、頭が真っ白になったが、身体は無意識のうちにいつもそうしているように動いてくれた。
「おはようございます。お嬢様」
目の前には齢十にも満たぬであろう少女が立っていた。
しかし、普通の少女とは少し違っていた。
まず目が留まるのは背中に生えた巨大な翼だ。へたをすれば少女の身体より大きいかもしれないその翼は、蝙蝠を彷彿(ほうふつ)とさせる形をしている。さらに、目は血のように紅く、それでいて獰猛な肉食獣のような冷たさを孕んでいる。
あまりに異様な姿をしたこの少女は、その実、500年以上生きた吸血鬼であり、この紅魔館の主なのだ。
「珍しいですね、こんな時間に起きられるなんて」
努めて平静を装ってそう言った。
吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットは返事をするわけでもなく、まだ眠たそうに目をこすった。
吸血鬼は日が沈むの頃に起床し、日の出前に寝るのだ。だが今はまだ10時を過ぎたばかりで、レミリアが眠りについてから数時間しか経っていない。
レミリアは気だるげに背伸びをしてから大きく息は吐いた。
次に顔を上げたときにはもう眠たそうな少女の顔ではなく、紅魔館の主にふさわしい吸血鬼の顔になっていた。
「なんだか胸騒ぎがするのよ」
「胸騒ぎですか?」
「そう。昨日の夜から感じてたんだけどね。最初は気のせいだと思ったけど、今日も感じるとなると……なにかあるかもしれないわね」
レミリアはそう言うと、顎に手を当てた。
作品名:【東方】夢幻の境界【一章(Part3)】 作家名:LUNA