リトルグッバイ
私の仕事は、市営グラウンドの横を通って、住宅街へ向かい、車庫にたどり着くまでの間に、人々を乗せて走ることです。
彼らはいつも、他のチームの子どもたちよりも少し遅いこの便に乗り込んできました。
二人はそろって乗ってくるにも関わらず、片方は一番前の方の座席に、もう片方は一番後ろの座席に別れて座ってしまいます。
私はそれが残念でなりませんでした。
毎日毎日、人を乗せて降ろして走って、と同じことのくり返しでは、退屈してしまいます。
これが私の仕事で、私の存在する意味である以上、不満に思うのが愚かであるとは知っていますが、やはりせっかくならば楽しんで過ごしたいものです。
そんな時に、私の退屈を紛らわせてくれるのが、乗客たちのおしゃべりなのでした。
何か話をしてくれればいいのに。私はまだ、彼らの名前も知らないのです。
そんな状況が変わったのは、冬の終わりに近いある日のことでした。
いつものように、先に乗り込んだ背の低い方の少年が、まっすぐ前の座席へ向かおうとするのを阻むように、もうひとりの少年が横にすいと乗り込んできました。
「……え?」
首をかしげる少年に、彼は顎をしゃくって後ろの座席へ向かうように促します。
目をぱちくりさせたままで、動かない少年に苛立ったのか、おら、と言って彼はその小さな体を押しました。
少年は、不思議そうに首をひねりひねりしながら、押されるままに一番後ろの長い座席までやってきました。
もうひとりの彼は、少年の奥の方まで追い込んで座らせると、自分もその横にどかりと腰を下ろします。
前に座席のない、通路へ向かって開けた場所に座って、長い足を前へ投げ出した姿は、まるで小さな王様のようでした。
「あの……モトキさん」
戸惑った表情で少年がそう呼ぶと、モトキは頭を座席にもたせかけ、目を閉じました。
「寝る。あとで起こせよ、タカヤ」
それだけ言うと、返事も待たずに本当にすうすうと寝息を立て始めました。
タカヤはしばらく、眠ってしまったモトキの横顔を見つめていました。
その息のひとつまで、漏らすまいとするかのような慎重さで見ていました。
やがて、自分が夢中でモトキを見ていたことに気が付くと、ばつの悪そうな表情を浮かべて、ふいと窓の方へと目をそらしました。
タカヤは窓の外を眺めていましたが、よくよく見れば、その窓には隣の彼の寝顔が映りこんでいます。
タカヤは諦めたように前を向き、それからもっと諦めたような顔になって、再びモトキを見つめはじめました。
改めて並ぶと、どこかひとつひとつが対照的な二人でした。
背の高いモトキと、小さなタカヤ。
釣り目がちのモトキと、目じりの下がったタカヤ。
眉の下までかかるモトキの長い前髪と、生え際近くまで短く切られたタカヤの前髪。
それから、彼らがやっている「野球」というものでも、二人は対照的なポジションについているのだということは、それから後、彼らが少しずつ車内で話をするようになって知りました。
タカヤにとって、モトキが特別なのはすぐに分かりました。
タカヤは、モトキを見る行為ひとつをとっても、まるで宝物を眺めるようにするのです。
時にはそっと伺うように、時には眩しげに目を細めて、タカヤは見ていました。
やがて、タカヤの降りるバス停が近づいてきました。
タカヤはここで降りて、路線の乗り換えをしなければならないそうなのです。
モトキが横をふさいでいるので、タカヤは困った顔をしましたが、たっぷり考えてから口を開き、モトキの名前を呼びました。
「モトキさん、モトキさん……」
呼び起こそうとするには、あまりにひそやかな声でした。
タカヤはまるで、モトキの眠りを覚まそうとする自分がひどい悪人だと考えているかのように、遠慮がちな声を出しました。
けれども、一向に目を覚ます気配のないモトキに、とうとうタカヤはおずおずと手を伸ばして、触れました。
モトキの右腕にそっと手を乗せて、モトキさん、と先ほどより少し強い声で呼びながら、ゆっくりと揺さぶります。
モトキは、短い唸りを上げて体をもぞつかせました。それから、不機嫌そうに目を開いて、なに、と尋ねます。
「俺、次で降りるんで」
タカヤがそう言うと、モトキは大きくあくびをして、少しだけ体をずらしてやりました。
それは、体の小さなタカヤであっても通るには狭いほどの隙間でしたが、タカヤは呆れたように短く息をついただけで、腰をあげて苦労してその隙間を抜けて通路まで出ました。
タカヤはカバンを肩にかけ直して、モトキの前に立つと、ぺこんとお辞儀をして、それから降りていきました。
モトキはそれを見るともなしに見送って、また大きなあくびをしました。
それから何ヶ月も、私に乗るたびに二人は同じようにして時を過ごしました。
始めに少しだけ話をしてから、モトキが眠り、タカヤが起こすまでの時間は、どこか神聖にも思えるような静けさがありました。
少なくとも、タカヤがそのわずかな時間をとびきり大切に思っているのは伝わってきました。
彼らはいつも、他のチームの子どもたちよりも少し遅いこの便に乗り込んできました。
二人はそろって乗ってくるにも関わらず、片方は一番前の方の座席に、もう片方は一番後ろの座席に別れて座ってしまいます。
私はそれが残念でなりませんでした。
毎日毎日、人を乗せて降ろして走って、と同じことのくり返しでは、退屈してしまいます。
これが私の仕事で、私の存在する意味である以上、不満に思うのが愚かであるとは知っていますが、やはりせっかくならば楽しんで過ごしたいものです。
そんな時に、私の退屈を紛らわせてくれるのが、乗客たちのおしゃべりなのでした。
何か話をしてくれればいいのに。私はまだ、彼らの名前も知らないのです。
そんな状況が変わったのは、冬の終わりに近いある日のことでした。
いつものように、先に乗り込んだ背の低い方の少年が、まっすぐ前の座席へ向かおうとするのを阻むように、もうひとりの少年が横にすいと乗り込んできました。
「……え?」
首をかしげる少年に、彼は顎をしゃくって後ろの座席へ向かうように促します。
目をぱちくりさせたままで、動かない少年に苛立ったのか、おら、と言って彼はその小さな体を押しました。
少年は、不思議そうに首をひねりひねりしながら、押されるままに一番後ろの長い座席までやってきました。
もうひとりの彼は、少年の奥の方まで追い込んで座らせると、自分もその横にどかりと腰を下ろします。
前に座席のない、通路へ向かって開けた場所に座って、長い足を前へ投げ出した姿は、まるで小さな王様のようでした。
「あの……モトキさん」
戸惑った表情で少年がそう呼ぶと、モトキは頭を座席にもたせかけ、目を閉じました。
「寝る。あとで起こせよ、タカヤ」
それだけ言うと、返事も待たずに本当にすうすうと寝息を立て始めました。
タカヤはしばらく、眠ってしまったモトキの横顔を見つめていました。
その息のひとつまで、漏らすまいとするかのような慎重さで見ていました。
やがて、自分が夢中でモトキを見ていたことに気が付くと、ばつの悪そうな表情を浮かべて、ふいと窓の方へと目をそらしました。
タカヤは窓の外を眺めていましたが、よくよく見れば、その窓には隣の彼の寝顔が映りこんでいます。
タカヤは諦めたように前を向き、それからもっと諦めたような顔になって、再びモトキを見つめはじめました。
改めて並ぶと、どこかひとつひとつが対照的な二人でした。
背の高いモトキと、小さなタカヤ。
釣り目がちのモトキと、目じりの下がったタカヤ。
眉の下までかかるモトキの長い前髪と、生え際近くまで短く切られたタカヤの前髪。
それから、彼らがやっている「野球」というものでも、二人は対照的なポジションについているのだということは、それから後、彼らが少しずつ車内で話をするようになって知りました。
タカヤにとって、モトキが特別なのはすぐに分かりました。
タカヤは、モトキを見る行為ひとつをとっても、まるで宝物を眺めるようにするのです。
時にはそっと伺うように、時には眩しげに目を細めて、タカヤは見ていました。
やがて、タカヤの降りるバス停が近づいてきました。
タカヤはここで降りて、路線の乗り換えをしなければならないそうなのです。
モトキが横をふさいでいるので、タカヤは困った顔をしましたが、たっぷり考えてから口を開き、モトキの名前を呼びました。
「モトキさん、モトキさん……」
呼び起こそうとするには、あまりにひそやかな声でした。
タカヤはまるで、モトキの眠りを覚まそうとする自分がひどい悪人だと考えているかのように、遠慮がちな声を出しました。
けれども、一向に目を覚ます気配のないモトキに、とうとうタカヤはおずおずと手を伸ばして、触れました。
モトキの右腕にそっと手を乗せて、モトキさん、と先ほどより少し強い声で呼びながら、ゆっくりと揺さぶります。
モトキは、短い唸りを上げて体をもぞつかせました。それから、不機嫌そうに目を開いて、なに、と尋ねます。
「俺、次で降りるんで」
タカヤがそう言うと、モトキは大きくあくびをして、少しだけ体をずらしてやりました。
それは、体の小さなタカヤであっても通るには狭いほどの隙間でしたが、タカヤは呆れたように短く息をついただけで、腰をあげて苦労してその隙間を抜けて通路まで出ました。
タカヤはカバンを肩にかけ直して、モトキの前に立つと、ぺこんとお辞儀をして、それから降りていきました。
モトキはそれを見るともなしに見送って、また大きなあくびをしました。
それから何ヶ月も、私に乗るたびに二人は同じようにして時を過ごしました。
始めに少しだけ話をしてから、モトキが眠り、タカヤが起こすまでの時間は、どこか神聖にも思えるような静けさがありました。
少なくとも、タカヤがそのわずかな時間をとびきり大切に思っているのは伝わってきました。