夏残
なんでもないことのように榛名は言った。瞬間、かっと腹が煮え立つような心地がした。呂佳はぎりりと歯を噛み締める。好きだからやる、嫌ならやめる、それだけで割り切れる時代は、呂佳はもう終わったのだ。だから苦しい。
「……色々あんだよ」
吐き出された呂佳の呟きに、榛名はふうんと鼻を鳴らして応えた。それから急に興味をなくしたように、地面に投げ出していたバッグを拾い上げる。
「ま、せーぜーガンバってください。じゃ」
それだけ言うと、榛名はさっさと歩きだした。呂佳はそれを見送ることしかできない。スカウトは失敗に終わったのだ。脱力感がこみ上げてきて、沈む間際の夕日が急に熱く感じられた。
滝井になんと言って報告したものだろうか、と呂佳がぼんやり考えていると、後ろ姿の榛名から、ああそうだ、という声が聞こえた。
「名前なんだったっけ、あんたのとこの高校!」
榛名はポケットに手を突っ込んだまま振り返ってそう言った。
「来ねーんなら、関係ないだろ!」
「拗ねんなよー! 名前くらいいいだろ!」
数十歩の距離を埋めようとするから、自然声は大きいものになる。二人は赤く染まる砂利道の上で怒鳴り合うようにして言葉を交わした。
「高校行って、あんたのチームと当たったら、気合い入れてぶっ倒してやるよ! あんた、結構面白かったから!」
榛名の表情は逆光でほとんど分からなかった。ただ、声の調子が弾んでいることだけは、よく分かった。クソガキめ。呂佳は舌打ちしたい気持ちだった。
「美丞だよ! び・じょ・う! 美丞大狭山高校だ、よく覚えとけ!」
呂佳の答えを聞くと、榛名は満足したのかまた背を向けて歩き出した。ゆっくりと小さくなる背中を見送りながら、呂佳はさきほどの榛名の言葉を思い出していた。
嫌なら辞めてしまえばいい。
なのに、やめていない。色々あるから? それはそうだ。事はそんなに簡単にはいかない。
にいちゃんのうそつき、と利央は言った。野球をやるのは好きだから、やめるのは、嫌いになったから。そのはずなのに、じゃあ、やめられないでいる自分は野球を好きだとでも言うのだろうか。
もう見えなくなってしまった榛名の後姿が笑っている気がした。
夏の匂いがする。その匂いが自分から出てきていることに、呂佳は気づきたくなかった。終わってしまったはずの夢は、まだ続いていた。