それが愛の言葉
「そういう風に思えたのって、呂佳さんのおかげでもあると思うんス」
急に名前を出されて呂佳は思い出から覚めた。
「こういう言い方はおこがましいんすけど、呂佳さんは、もう一人の俺なんです」
「なんだよ、それ」
「俺がなってたかもしれない未来のひとつ。呂佳さんが先に示していてくれたから、多分ちょっと、冷静に考えられたんだと思います」
和己の言い様は失礼だった。
「俺は、呂佳さんが倉田にやってたこと、やっぱり許せません。胸ん中ぐちゃぐちゃするっていうか、気持ち悪い」
「あー、そー」
呂佳は投げやりに相づちを打った。
「お前さ、結局何が言いたいわけ」
面倒になって呂佳は言った。ただ、ラフプレイ指示についての文句が言いたいだけなら、律儀に聞いてやるつもりはない。そこは考え方の違いだ。和己が呂佳のやり方を許せないと言うのは勝手だし、呂佳は呂佳で、自分の考えを改める気もない。
「あ、それっス。呂佳さん、今彼女とかいますか」
「はああ?」
「声がでかいっス」
「お前が訳わかんねーこと言うからだろ! なんで今の話と俺に彼女いるかどうかが関係あるんだよ」
「や、だって、付き合うのに呂佳さんに彼女いたら無理じゃないスか」
しれっと、あまりに何でもないことのように和己が言うので、呂佳は思わず頷きそうになった。
「……何つった?」
「彼女いないんだったら、付き合ってください」
今度こそ和己の言うことを理解して、呂佳は混乱した。混乱した勢いで、思わず和己の頭をはたいていた。
「いてっ、何するんすか、いきなり」
「お前、頭おかしくなった?」
「いや、ふつーですけど」
「普通の男は、男に付き合おうとか言わねエ」
利央やらこいつを慕っているほかの後輩やらが聞いたら、泣くぞ。
「ま、そこは置いておくとして」
「置くなよ、一番大事だろうが」
「それより呂佳さん、何でとかって聞かないんスか」
呂佳はまじまじと和己の顔を眺めた。表情に乱れたところもなく、平然としている。とても、恋しい相手に思いを打ち明けるといったような顔ではない。そのくせ、至極真面目な口調で付き合おうなどと言う。意味が分からない。
「……何でだよ」
しぶしぶ呂佳が尋ねると、和己はすぐに言った。
「あんた、ムカつくんスよ」
呂佳は、ぽかんと口を開いた。
「呂佳さん見てると、すげえ苛々するし、ムカつくんス。けど、ムカつきながらめちゃくちゃ気になるし、放っておけない」
だから、そのムカつきの正体が分かるまで、責任とって付き合ってください。和己はそう言って笑った。
「意味わかんねえ……」
呂佳は思わずうめいた。後輩の言う事についていけない。真面目な男が考えすぎると、こんなおかしな方向へいくのだろうか。
ともかく、付き合うだのなんだのはナシだ、と呂佳が言おうとしたところで、軽やかなメロディが鳴り響いた。
「あ、俺です。すみません」
ひと言断って、和己は携帯を開く。届いたらしいメールにざっと目をやると、再び呂佳の方へと向き直った。
「親からでした。そろそろ帰って来いって。もういい時間ですし、帰りましょうか」
よし、と弾みをつけて立ち上がる和己につられて呂佳も腰を上げた。
「じゃあ、またメールするっス」
「イラネエよ。つーか、まだいいとか言ってねえし」
「駄目なんすか」
「いいか駄目か以前に、ありえねえだろ。俺とお前だぞ」
うーん、と和己は顎に手をやって唸った。
「試してみますか」
「は」
「ありえないかどうか」
言うなり、ぐっと和己が身を寄せる。近すぎる距離を疑問に思う間もなく、口に何かが触れていた。
ゆっくりと離れる間際に、鼻先にかかった他人の吐息で、呂佳はようやく状況を理解して混乱した。
「……気持ち悪くないスね、意外に」
妙にしみじみとした表情で、和己はそう言った。それから、納得したように頷くと、地面に投げ出してあったかばんを拾い上げて肩にかける。
「じゃ、そういうことで。また連絡します。お疲れっした」
綺麗に体を折り曲げて、深い一礼をした後、和己は背を向けて去っていった。その後姿を、呂佳は呆然と見送る。
不意に風が吹いて、呂佳の体を撫でていった。唇だけは、かすかに濡れていた分、他より余計に風に冷やされる。呂佳はシャツを引き上げて口をぬぐって呟いた。
「あいつ、サイアク」
サイアクなところから始まった関係は、相変わらずサイアクなままだった。呂佳は和己との付き合いに未だ納得していないし、いつだって離れる気でいる。
そのことを和己に告げると、特に気にした様子でもなく、そうですか、と答えただけだった。そんなことよりも、今はこちらが大事だとばかりに呂佳の体に腕を回してくる。気分が乗らずに呂佳が和己を押し戻そうとすると、和己はその腕を掴んで言った。
「最悪、最悪って呂佳さん言いますけど」
和己は笑っている。
「その最悪も、10年続けたら最高になりますよね」
呂佳の腕から力が抜けた。10年も一緒に居る気かよ、図々しい、とも思ったし、10年経ったあとはどうするんだ、と苛立ちもした。
鏡に映った自分たちの姿を見る。相変わらずむさくるしいばかりで、世間で言う「恋人」たちの姿からはかけ離れている。
けれども、和己は構わず呂佳に触れてきた。みっともなくとも、綺麗でなくとも構わないのだと示してくる。呂佳は、たまらなくなって和己の髪をぐっと掴んで引き寄せ、その唇に噛み付いた。
「ほんと、サイアク!」
そうしか言えない自分を、本当に10年許してくれたら、今度は別の言葉をやるよ、と呂佳は胸のうちで呟いた。