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玉木 たまえ
玉木 たまえ
novelistID. 21386
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ほころぶ人

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 部室の前まで辿りついたところで、三橋は乱れた呼吸を整えた。
 もうみんな帰ってしまっていて、扉が開かなかったらどうしよう、と思っていたが、まだ中に誰かいるようだ。
 ゆっくりと扉を開きながら、中を覗きこむと、テーブルのそばに立った阿部の姿が目に入る。
 あ、グローブ、と三橋は思った。
 三橋が取りに戻ったグローブは机の上に置き忘れていたようだ。
 そのグローブに、阿部がそっと触れている。
 横顔が、綻んでいる。
 花、だ。
 三橋の頭に浮かんだ言葉は、花、だった。
 阿部のいつもは無愛想にもみえる顔が、ほんの少しゆるんで、やわらかくほどけている。
 まるで硬いつぼみが開いた花のようだった。
 あまりにじっと見つめていたからだろうか、阿部は視線に気がついてこちらに振り向いた。
 三橋は、阿部の誰に見せるでもなかった表情を盗み見てしまったようで、どきりとする。
「おう、びっくりした」
 阿部は目を丸くしてそう言った。
「あ、あべく……」
「これ取りにきたんだろ? 鍵閉めるかどうすっか迷ってたからちょうどよかった。ほら」
 阿部は三橋のグローブを持ち上げて、手渡した。
「あ、ありがとうっ!」
「おー」
 軽く答えて、阿部は、じゃー戸締りすんぞ、と告げて三橋を部室の外に追い立てる。
 阿部が入り口のそばのスイッチに手を伸ばして明かりを消すと、周囲は一気に暗くなった。
 がちゃがちゃと鍵を回しながら、阿部がそういえば、と思い出したように言った。
「それ、レース大分伸びてんぞ。そろそろ変えた方がいいんじゃねえ?」
「えっ」
 三橋はわたわたと抱えていたグローブに目を落とした。
「使ってて違和感とかねーの?」
「う……」
 阿部の問いに、三橋はうまく答えられない。
 どうだろう? 違和感があっただろうか? よく分からない。
 首をかしげながら頭に疑問符を浮かべる三橋に、阿部は少し呆れたように息を吐いた。
「お前さ、もうちょっと色々気ぃ使った方がいーぞ」
 阿部は、ここだよ、と言いながら三橋のグローブのウェッブの部分を指す。
 言われてみれば、よく見なければ気がつかない程度かもしれないが、確かに紐が伸びてゆるくなっているように思える。
「ほ、ほんとだっ」
 思わず三橋がそう言うと、阿部は、な、と頷いた。
「お前、自分の体にも道具にも無頓着すぎんだよ」
 阿部の言葉に、三橋は大きくうなだれた。
 こんな所でも、自分は駄目なピッチャーだと痛感してしまう。
 投げたい投げたいとそればかりで、他に気がまわっていないのだ。
 うつむく三橋に、阿部は続けた。
「もったいねえだろ、お前頑張ってんのにさ。怪我とかグラブが駄目とかで投げるのに影響でたら」
 当たり前のように阿部は言う。
 だから、ちゃんと気をつけるんだぞ、とまっすぐ三橋を見つめて言う。
 暗い中でもはっきりと分かる、強い目の力だった。
 ああ、うっとうしくなんかないよ、泉くん。オレ、阿部くんが好きだよ。
 三橋は大きく頷いた。
「うん! オレ、気をつけるよ!」
 グローブを抱きしめるようにしてそう言う三橋に、阿部がふっと目を細める。
 花だ、と三橋はまた思った。
 けれども、その笑顔はすぐに消えて、またいつもの平静な顔に戻ってしまう。
「じゃー、俺は鍵返して帰っから」
 そう言ってすたすたと歩き始めた阿部の背中に、三橋は精一杯の声で言った。
「ありがとう、阿部くんっ」
 阿部は少しだけ振り返って、応えるように鍵を持った手を挙げたあと、さっさと帰れよ、と言ってまた歩き始めた。
 三橋はその背中が消えるまで見つめていた。
 あの花を、もっと見たいと思った。
 オレが阿部くんの花を咲かせるんだ、と強く思った。
作品名:ほころぶ人 作家名:玉木 たまえ