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花盗人と君は言う

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春が見たい、と少年の唇が零すので、臨也はとても泣きたいような気持ちになる。
まだちょっと早いね、難しいかもね、と返す声は震えて、何も無いふたりだけの部屋に歪な振動を生んだ。そうですか、残念だな。少年のか細い声は、それでも最初に出会った時からかわりなく臨也の耳に染みこんでは溶けて、心に降り積もるようだ。たまらず伸ばした手で、ゆっくりとその髪をすいた。
はらはら、指のすきまを抜けてゆく短い黒髪。愛しい、と何度目か繰り返す。愛しい、愛しい、愛しい・・・哀しい。



駆け落ちをしませんか、と少年が臨也に問いかけたのは、正月も三が日を過ぎぬ内のことだった。道端でばったり会って、初詣にでも行きませんかと誘われたので肯定して、歩いている途中の人ごみの中。最初うまく聞き取れずに何だって?と聞き返した臨也に、少年は落ち着いた声色で、ゆっくりともう一度繰り返した。
「駆け落ちをしませんか、臨也さん」
鼓膜にしがみつくようなその台詞を、もう一度問い返すことはしなかった。言われた意味は理解して、少年が本気であることも理解した。肯定か否定を返すためにしばし沈黙し、答えは考えるまでもなく否定に決まっていた・・・はずだった。
臨也は池袋という場所が好きだった。人ごみ渦巻く都会の、乾いた空気。排気ガスの匂い。ノイズのような喧騒。誰もが誰もに無関心ですれ違う街角。裏路地の孤独。溢れかえる物に翻弄される愚かな物欲。ふとした瞬間、まっすぐ歩くことすらままならない交差点で感じる孤独。そういう、都会独特のものを愛していた。人間が好きだった。人間観察をすることが好きだった。あらゆる意味でこの街ほどそれに適した場所は無かっただろう。だからどこかへ行こうと言われても困るのだ。
それなのに臨也の口を付いた言葉は、無理だよ、ではなくて。
「いいよ、いつにする?」
そんな、いとも簡単な肯定の言葉だった。
ざわめく人ごみは、二人の会話を押し潰して覆い隠す。
少年に微笑みかけながら、臨也はその実酷く狼狽していた。目の前のその少年とこの街とを天秤にかけて、少年を取るようなことはありえないと思っていた。けれども嬉しそうに、どこか安堵したように微笑んだ少年の笑顔に、臨也自身喩えようのない安堵を感じていたことを、否定出来ない。
「いつでも、いつでもいいんです。臨也さんの都合のいい時で。明日でも一ヶ月後でも、一年後でもいいんです」
「なにそれ、もしかして俺が実行しないって思ってる?逃げ道なんか要らないよ」
「そうじゃなくて。だって、臨也さんが肯定するなんて思っていなかったから」
嬉しい、と頬を押さえた少年は、ごく普通のどこにでもあるような容姿の目立たない優等生タイプで。でもその内側が歪んでいることも臨也は重々承知していた。その歪みが、自分の歪みと綺麗に合わさることもまた、熟知していたと言って過言ではない。
恐ろしく客観的に自分たちを冷静に分析して、臨也の存在は少年にとって毒にしかならないものだ。けれども少年の存在は臨也にとって毒ではない。つまり少年に関わることで臨也が被害を受けることは無いのだ。それならば、ほんの一時彼のために時間を割くことくらいは、無駄ではなかろう。
飽きたら、そう言ってもどってくればいい。どこにだって、この小さな少年をおいていけばいい。だから臨也は、やっぱり簡単に言葉を紡いだ。
「明日でも、明後日でもいいよ」
「でも、臨也さんお仕事とか、」
「馬鹿だね、駆け落ちするんだから突然居なくなるほうがそれらしいじゃないか。それとも、君の方の心の準備が必要かい?」
「いいえ」
半分茶化した疑問に、少年は毅然と否定を返した。そのあまりに迅速なレスポンスに、一瞬臨也がぎくりとするくらいの素早さだった。
「いいえ、覚悟ならとうに出来ています。臨也さんがそれでいいなら、明日にでも。今日からでも構いません」
まっすぐな目が臨也を射ぬいて、その決意の強さにほんの少しだけためらった。果たして、自分は本当にこの子を置いて戻ってくるなんてことができるのか、自分に問いかける。本当に、肯定していいのか。この少年の手を引く、その覚悟はあるのか、と。
「どこに行こうか」
嵐の渦巻く心とは裏腹に、声は夜の海のように凪いでいた。静かに、まるで覚悟などとうの昔に出来ているとでもいうように、当たり前のことを言うように言葉は空気を揺らす。少年は小さく首をかしげて、じっと臨也の目を見返した。本当にいいのか、とその目が問いかけるようで、だから臨也は笑って見せる。
「いいよ、どこにでも連れて行ってあげる。希望があるなら言いなよ」
雪が見たいというなら北へ、海が見たいというなら南へ。小さなその手を引いて歩くなんて、きっと朝飯前だ。どこへ行くとしても人間観察は当分保留しなくてはいけないし、おそらく帝人の家族は捜索願を出すだろうから、身をひそめて生きることになる。駆け落ちとやらがいつまで続くかわからないが、逃げ隠れしながらの逃亡劇なんて面倒くさいことを、それでも臨也は選んだ。
今なら、もしかしてあの時やっぱり否定を返すべきだったのではないか、と思うこともある。それでも、タイムマシンで戻ったとしても、やっぱり臨也は肯定してしまうのだろう。少年が望むままに、その手を取るのだろう。
「・・・臨也さんと、」
少年は、花開くように鮮やかに、ほほえみをその唇に乗せて。


「あなたと一緒なら、どこへでも」


最高に気障でベタで、ともすれば笑ってしまいそうなそんな台詞を吐いた少年のほほえみは、ただただ美しくて柔らかく。きっとそれ以上にその場に似合う台詞など無かっただろうと思うほど、冬の空気に馴染んで。
綺麗だった。
今でも思い出すだけで、涙が出そうだ。
竜ヶ峰帝人というその少年は、極稀に、その一瞬の表情だけで臨也の心臓を鷲掴む。
そういう、少年だった。
たまらず、臨也はその冷え切った手を取って、一緒にお参りに来たはずの神社に背を向けて、大量の人の波をかき分けるように逆走して、ただただ、夢中で歩き出した。それは池袋という舞台からの逃亡劇の始まり。そうして少年は文句も静止も口にすることはなく、穏やかなほほえみを唇に乗せたまま、一心不乱に歩き続ける臨也の後ろを付いてきた。
街を抜けて、電車に飛び乗って、どこか適当なところで乗り換えて、遠くへ、遠くへ。
誰も二人を知らないところへ。
誰も二人を止めないところへ。
正しく駆け落ちとはこう言うことではないか。ふたりだけのお城を見つけるための、逃亡だ。あの忌々しい平和島静雄の噂も届かず、あの神出鬼没な首無しも追えない場所へ。少年の親友が推測することもできない場所へ。警察の手が届かないほどの僻地へ。
遠くへ、遠くへ、誰の目にも触れないところへ。臨也はただ、ずっと少年の手を握りしめて離さなかった。そうして少年は、まるでそれがあたりまえだとでも言うように、強くその手を握り返していた。



廃れた山村の廃屋と、中古の車を買った。財布の中のカードはいつ止められるかも分からないので、あるだけの金をおろして家の中に隠す。へそくりですね、と笑う少年に、埋蔵金って言ってよ、と返す声はどこかぎこちなかった。多分その時、今まで歩んできた人生の全てを投げ捨てたのだという自覚が、あった。
作品名:花盗人と君は言う 作家名:夏野