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玉木 たまえ
玉木 たまえ
novelistID. 21386
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あのひと(前)

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 榛名元希は、世界を塗り替えるのに十分な男だった。幼い頃から野球を続けていれば、才能のあるやつ、ないやつ、そこそこのやつ、様々な人間に出会う。けれども、その誰とも、榛名の存在は意味が違っていた。
 ほとんど暴力的とまでいえる存在感で、周りのものを吹き飛ばし、なぎ倒し、あるいは嵐の中に巻き込んでしまう。その中心にいながら、自らの巻き起こす風にはまるで無頓着で、振り回される人々のことなど省みない。
 やっかいなのは、その嵐には、自ら飛び込んでみたいと思わせる力があることだった。荒れ狂う風の中で、手を伸ばして、掴みたいと思わせる何かがあった。榛名は、ただいるだけで、もう特別な男だった。
随分長いこと忘れていたその事実を阿部が思い出したのは、高校一年の夏のことだった。


 ロードワークから戻ってきた阿部と三橋は、まっすぐ保健室まで向かった。今は夏休み中だが、部活動をする生徒たちのために校舎は開放されている。阿部たちと同じように、合宿中の部活も多くあるようだった。
 下足箱まで行くのは遠回りになってしまうから、二人とも適当なところでスニーカーを脱いで、そのまま廊下を歩き始めた。リノリウムの床がひんやりとしていて気持ちがいい。校舎の中でもこの階は職員室や校長室などがあるあたりなので、他よりも少し静かだ。しんとした廊下に二人分の足音がぺたんぺたんと鳴り響いていた。
 保健室前の廊下には、身長計と体重計が壁に寄せて置かれている。ちらりとこちらを伺う三橋に、お前先な、と阿部は促した。三橋は頷いて、どこかおそるおそるといった体で体重計に足をかける。
「どれ、増えてっか」
 阿部はひょいと横から覗き込んだ。右に左に針の先が振れて、やがてそれが収まるとぴたりとひとつの数字を指し示す。
「う、おっ!」
「おー、やったじゃん」
 三橋の体重は、わずかではあるが増えていた。夏の初戦が終わった時点で3キロも落ちてしまった時はどうなることかと思ったが、今のところ体づくりは順調なようだった。
「身長も測ってみよーぜ」
 阿部が促すと、三橋はうん、と頷いて体重計を飛び降りる。すぐ隣のスチール製の身長計に移動して、背中をぴったりとくっつけた。
「はーい、背筋伸ばしてくださーい」
「はいっ」
「ばっか、背伸びすんじゃねえって。足つけて、ほら、顎ひいて」
 阿部の言葉に三橋は今度はぐっとうつむいた。なんでも極端すぎんだよ、と阿部は手を伸ばして少しだけ顎を持ち上げてやる。目盛りに視線を合わせる阿部に、三橋は緊張で体を硬くした。
「ど、どーですか」
 口調まで畏まって三橋がそう尋ねると、阿部はぺし、と軽く三橋の額を叩いた。痛いと思うほどではないが、突然の衝撃に三橋が目を白黒させていると、阿部が笑って言った。
「167センチ。伸びてんじゃん」
「ほ、ほんとにっ!」
「見てみっか?」
 阿部は目盛りの位置に抑えを固定してやった。三橋は身長計から降りると、少しだけ背伸びをして阿部の手元を覗き込む。その数字を目にして、三橋の顔はみるみる喜びに染まった。
「2センチ、伸びた!」
 そう言って三橋は、阿部と目を合わせて笑った。あ、と阿部は思う。笑顔だ。それまでほとんど見た記憶はなかったが、美丞大狭山高校との試合以降に、阿部は度々この三橋の笑顔を目にしている。まだ見慣れないそれに遭遇する度、阿部はまぶしいような心地がするのだった。
 三橋とうまくやっているのか、と阿部が父に問われたのはその美丞大狭山との試合の前のことだった。あの時阿部は、自分と三橋はうまくいかないながらもそこそこやっていけていると思っていたから、父の言葉には苛立ちを覚えた。三橋は阿部が今まで接したことのないタイプで、ひとつ気持ちを伝えるのにも苦労していた。バッテリーを組むのでなければ、好んで付き合いたいとは思わない、なんてことを思ったことさえあった。
 けれども、そんな厄介な相手に辛抱して付き合い続けたのは、三橋を勝たせたいと思ったからだ。省みられなかった努力に報いてやりたいと思ったから。それから、ただ、うれしかったからだった。
 阿部くんを信じる。阿部くんの言う通りに投げる。阿部くんが、俺をいいピッチャーにする。
 三橋は何度もそんなことを言っていた。努力の全てを三橋が阿部にまるごと預けてくるのが、うれしかった。だから、阿部は約束をしたのだ。
―ならオレ、三年間ケガしねェよ。病気もしねェ! お前の投げる試合は全部キャッチャーやる!
 その約束だって、今思えば三橋のためというよりも、自分がそうしたかったから言っただけなのかもしれない。阿部自身が、三橋の投げる球をひとつだって逃したくなかったのだ。
「阿部くん、の、番だよっ」
 三橋はそう言って阿部を促した。おお、と頷いて体重計に乗る阿部を、三橋は自分のことでもないのに、期待にうずく表情で見守っている。
「62キロ!」
「あー、まあ、こんなもんか」
 怪我で自宅安静を命じられていた頃、家で測った時とほぼ変わらない数字が示されていた。
「やっぱり、阿部くん、太ってたんだ」
 なぜだか納得顔でそう言う三橋に、阿部は、太ったってなあ、と切り返す。
「これでも、全然足りねーもんな。ただ肉つけりゃいいってもんでもねえから難しいけど、頑張ろーぜ。お前も」
「う、おっ」
「お前、スタミナはある方だけど、投手としちゃ線が細すぎんだろ」
 言いながら、阿部はどこかで似たようなことを聞いたな、と思い返した。一度記憶の糸の先を見つけてしまえば、するすると思い出が勝手に引き寄せられてしまう。そう、あの時は、阿部の方が言われる側だった。

 ヒッデェ格好、とベンチに戻ってきた阿部の姿を見た榛名は笑った。
「おっま、転がりすぎだろ!」
 腹を抱えて笑い続ける榛名に、阿部は憮然とした表情を浮かべた。服も顔も土に汚れ、口の中にまで砂が入り込んでじゃりじゃりする。気を使ったチームメイトが、タカヤ、ほら、と水を差し出してくれる。阿部はビニールカップを受け取って、口の中をゆすいだ。その間も、榛名の笑い声は止まらない。
 阿部は、今日の試合にとびきり張り切って臨んだ。それまで、榛名専属の捕手として回の途中から出ることはあったが、正捕手として初回から終わりまで任されるのは初めてのことである。それは、ただ単に榛名の球を捕れるからというだけではなく、阿部自身の力が認められたということだ。これで燃えなきゃ嘘だ、と思う。
 試合は中盤に差し掛かり、戸田北シニアが2点リードで迎えたイニングのことだった。その日の榛名の調子はまずますで、相変わらず制球が乱れることはあるものの、まだ可愛い範囲で納まっていた。力の乗ったボールを受けるのは、普段であれば楽しい。
 けれども、その日の阿部にはそういった部分を楽しむ余裕まではなかった。一試合通して、捕手としてチーム全体に気を配り、ゲームを進めるのは、予想以上に気持ちをすり減らされる行為だったのだ。
作品名:あのひと(前) 作家名:玉木 たまえ