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この感情に名を付けるなら

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ホームルームが終わるや否や、正臣は後ろの扉から隣の教室へと飛び込んだ。珍しく自分のクラスより先に終わったらしいA組で、目当ての顔を見つけて大げさに手を振る。
「みっかどー、あーんり。帰ろうぜ!」
元気いっぱい2人の名を呼ぶのもいつものことで、おかげで帝人は、自身は目立たない生徒であるにもかかわらずほぼクラスの全員に名前と顔を覚えられている。引っ込み思案な幼馴染みをクラスに溶け込ませようという、正臣の努力のたまものだ。
もっとも、当の本人が聞けば「そういうのは『偶然の産物』っていうんだよ」と、切り返してくること必至だが。
「…っと、あれ? 杏里は?」
「6時間目が終わった途端に、張間さんと帰っちゃったよ」
「ええー!? 美少女が2人手に手を取り合って、なのになぜこの俺を置いていくんだ…!」
「1・鬱陶しいから、2・どうでもいいから、3・そもそも眼中にない」
「ちょ、待て待て待って、そういうの、いつもは俺の役割でしょおおお!?」
「たまには河岸を変えてみるのもいいと思って」
さらりと流すのもいつも通りで、正臣はホッと胸をなで下ろした。しっかり者の癖に危なっかしくて、親友の厄介な交友関係を知ったのはつい最近のことだ。
「…ん? なんだ、それ」
「え?」
荷物を鞄にしまっていた帝人の手から、正臣はラッピングされた包みを素早く取り上げた。透明なビニールの中にはパウンドケーキが1本入っていて、2色の細いリボンで可愛らしくラッピングされている。
「なんだなんだ、帝人ってばいつの間にこんな物を!! この俺を差し置いていったい誰にコクられたんだ、さあ吐け、きりきり吐け!」
「ありもしない事実を捏造しないでよ。それにこれ、貰ったんじゃなくてあげる方」
リボン結んだのは張間さんだし、と呟く帝人に手の中の包みをじっと見る。飾り気のないパウンドケーキは、確かに正臣にも見覚えがあった。
「あげるって、これ調理実習のケーキだろ? ウチのクラスは昨日だったけど、なにが悲しくて男子生徒がケーキとか作んなきゃなんないんだかなー」
「そう? 僕は面白かったけど」
来良学園は、男子にも家庭科の授業がある。男女一緒の混成班で、2週おきに調理実習も行われる。
前回は味噌汁とご飯、肉じゃがだった。今週はパウンドケーキとクッキー、次回はスズキのバターソテーとサラダにコンソメスープ。その次は焼きプリンと、いったい誰が決めているのか菓子と料理を交互に作るという謎なラインナップだ。
因みに前々回は蒸しパンと生ジャム作りだったのだが、これが存外美味しく出来た。グループできっちり6等分したのだが、時間中に全員食べきってしまったという一品だ。
…という話をしたら「美味そうだな」と言われたので今回はお持ち帰りにしてみた、と帝人は言う。
「…で? どこの誰にあげるんだ?」
「池袋の静雄さんに」
「へえー池袋の、って、……………ああ」
「毎回ご馳走になってばかりだし、こういうお礼なら相手も気遣いいらないかな、って」
「…お前、料理の腕は壊滅的だもんなぁ」
「しみじみ言わないでよ、傷つくから」
『池袋の静雄さん』こと平和島静雄と、帝人は最近よく会っている。というか、毎週のように静雄の家に泊まっている、らしい。
平日は学校があるので、大抵は今日のように週末・金曜日の放課後から静雄の家に行って、一緒に夕食を食べてそのまま泊めて貰うという流れのようだ。静雄の仕事は休みが不規則だが、帝人にあわせてなるべく土日に休みを取ってくれているのだという。
『池袋で近づいてはいけない有名人』については初日にきっちり忠告したというのに、つめ寄った正臣に対し帝人は『ホントはいい人なんだよ』のひと言で済ませてしまった。そういうところが危なっかしいと口を酸っぱくして言い続けているが、当の本人にはまったく危機意識がない。
「んで? あの人が、毎回美味しい手料理ご馳走してくれるわけだ」
「洗濯もしてくれるよ。制服とか、アイロンかかってて吃驚した」
「そんなことまでさせてんのか、お前!?」
「ち、違うってば! 月曜日で、静雄さんは仕事が休みで、僕が朝ご飯食べてる間に、その…」
「手際いいなぁ、オイ!!?」
帝人はどちらかと言えば結構マメな性格なので、静雄の方が勝手に世話を焼いているのだろう。
…と思うが、正臣の知る『池袋最強』と帝人の語る静雄がどうしても一致しない。
「お前さぁ、あの『池袋最強』といつそんな仲になったんだよ…」
「どんな仲か知らないけど、静雄さんいい人だよ。あれで意外と面倒見いいし」
「だからって、差し入れ持って毎週末お泊りはないだろ普通。なんなんだよその新婚夫婦みたいな状況!」
「新婚なのに週末だけなんだ? っていうか、それだと静雄さんが『新妻』ってことになるんだよね?」
恐ろしい暴言に、正臣は思わず凍りついた。平和島静雄が嫁か。そしてお前が亭主なのか。
「…悪い、帝人。どこ突っ込んでいいかわかんねぇわ、俺…」
「いや、別にボケたつもりはないんだけど?」
真面目に返されても困る。それはもう、非常に困る。
あるいは、正臣が困るのを見越した上での発言なのかと窺ってみたりもするが、覗き込んだ顔はどこまでも真剣だ。
静雄相手にもこの調子なのかと問い質したくなったが、正臣はこれ以上は深入りしない方がいいという本能の忠告に従った。なんというか、聞きたくないものを聞かされそうな気がする。
「…今日はこのまま直行か?」
「ううん。仕事が遅くなるって言ってたから、一旦家に着替え取りに帰るつもり」
「あー…、今回は2泊すんだっけか」
「3泊。月曜日にそのまま登校するから」
「……」
仲良くなるのはいいと思う。目を付けられるより絶対いい。
が、8歳離れた成人男性から合い鍵まで貰ってるというのはどうなんだろうか。一緒に風呂に入って、ひとつのベッドで仲良く眠って、それは本当に友情なのか。ただの友人関係なのか。
…と正臣は思うのだが、当の本人は「弟さんがいるって言ってたから、多分そんな感じなんじゃないかな?」などと素で返してくるから、正臣には忠告のしようもない。いや、忠告はした。何度もした。が、本気にされなかった。
あとは精々、親友が『そういう意味』で食われずに済むよう祈ってやるだけだ。
「時間あるんなら、クレープ食って帰ろーぜ! 駅前に新しい店が入ったらしくてさー」
「あ、行きたい。けど、…晩ご飯残すと怒られるんだよね、静雄さんに」
「…嫁じゃなくてママだったのか」
「うん、正臣がそう言ってたって伝えとく」
「親友売るの!?」
「態度次第かな」
「ごめんなさい」
取り敢えず土下座して、じゃあ静雄さんの分も買って行けよと勧めると帝人が目をぱちくりさせる。お土産付きなら怒られないかなと、悩んでいる顔だ。
まだ迷っている帝人を横目に窺いながら、そういえば2人で帰るのはいつ以来だろうかと記憶を廻らせた。週末は帝人はさっさと帰ってしまうし、それ以外はいつも3人で帰っているから本当に久し振りだ。




作品名:この感情に名を付けるなら 作家名:坊。