この感情に名を付けるなら
少しだけ親離れしていく子を見守る気分でしんみりしていた正臣は、だが、門の向こうにちらりと覗く金髪に、一気に現実へと引き戻された。目印になる服は門扉に隠れて見えないが、どう見てもあれはアレだろう。
帝人が嬉しそうに駆け寄って行って、それに気付いた静雄がこちらを振り向く。
「どうしたんですか、こんなところで」
「あー…、夕方の回収がなくなっちまったんだ。だから、荷物持ってやろうと思って」
「ありがとうございます。でも、一旦家に帰るつもりだったんで、持ってきてないんですよ」
「じゃ、お前ん家寄ってから行くか」
「あ…」
頷きかけて、帝人が正臣を振り返った。
この状況で振るくらいならむしろ無視してくれた方がありがたいんだけど!、…と目で訴えるが帝人は気づかない。
「正臣と、…その、ちょっと寄り道しようかなぁって」
「そうなのか? じゃあ、お前ん家に荷物だけ取りにいって、先に帰っとく」
「そんな、いいですよ! 着替えとかだし、大して重さもないですし」
級友との寄り道を邪魔しようという意図は、静雄にはないらしい。確かに基本いい人ではあるっぽい。ぽいんだけどなぁ…、と半ば諦めつつ正臣は溜め息を吐いた。
普段、街中にいる時には決して見れない柔らかい表情。静雄がそんな顔を向けるのは、ごく限られた相手だけだろう。そう思うのに、あまり接点のない自分ですらそう思うのに、向けられている本人は全く気付いていない。恐らく向けている方もそうで、当事者だけが自分自身と互いの気持に気付いていないのだ。
これだけわかりやすいのに、なんで気付かないんだろうな、コイツら。
「みーかど。買い食いはまた今度な」
「え?」
きょとんとしている親友の背を押して、静雄の方へと押し出してやる。と、そんな正臣の行動に『嫁』がこてんと首を傾げた。
「俺の事なら気にしなくていいぞ?」
「そういうんじゃないっすよ。―――んじゃ帝人、また来週な」
「あ、うん。じゃあね」
本当にキレてなきゃいい人だよなと、結論は保留しつつも正臣の中の天秤が『好意』の方へとやや傾く。いい人で、おまけにこれだけ鈍ければ、取り敢えず正臣の心配は当面は取り越し苦労で済むだろう。
となれば、このあと帝人と一緒に行動したって、どうせ話題はひとつの事になるに決まっている。リア充お断り、と歩き出す正臣の背後で、楽しそうな会話が場違いに響く。
「なんか食いたいもんあるか?」
「静雄さんのご飯は何でも美味しいですよ」
「はは、サンキュ。けど、具体的に言われた方が作るのは楽なんだぜ?」
「そうなんですか? …じゃあ、僕お魚食べたいです。醤油とかで甘くしてあるやつ」
「あー…、んじゃ、カレイかサバでも買って帰って煮付けにすっか」
ふと脳裏に、『男は胃袋で釣れ』といった女性雑誌のアオリ文句が浮かんだ。誰が見つけたのか知らないが、正しい法則だと思う。
楽しそうな声を聞き流しながら、正臣は釣られた親友の身を案じつつ足早にその場を離れた。
いい匂いが部屋に広まって、帝人はそわそわと台所を窺った。手伝うと言ったのに早々に追いやられてしまって、仕方なく今日出された宿題を片付けている。
だから、最後の一問を解いてそれを鞄にしまうと、帝人はすぐ立ち上がって台所を覗いた。コンロの前、片手でフライパンを器用に繰っている青年に「終わりました」と声をかける。
「なにかお手伝い出来ることありますか?」
「じゃあこれ運んで、あと飯が炊けてるはずだから茶碗によそってくれ」
「はい」
鍋の筑前煮を皿に移した静雄が、それを帝人の手に渡す。作業台の上のきんぴらの皿も取って、今し方まで宿題を広げていたテーブルの上に並べた。
と、台所にとって返し、濡れた布巾を持ってきてテーブルを拭く。おかずの皿と取り皿を並べて、それから炊飯器の中の出来たてのご飯をそれぞれの茶碗へと盛った。 ひとつは山盛り、もうひとつは茶碗に半分くらいしか入っていないが、帝人が食べれる量なんてこんなものだ。
ひと通り並べ終わってお茶の準備をしていると、静雄が味噌汁の入った椀と煮魚の入った大皿をでん、とテーブルに置いた。5、6切れはあるそれを取り敢えず一切れずつ皿に入れて、ご飯の横に並べる。
さほど大きくもないテーブルの上には、所狭しと料理が並んでいた。数日ぶりの豪華な食卓に思わず歓声を上げると、向かいに座った静雄がくつくつと笑う。
「「いただきます」」
2人揃って手を合わせ、文字通り『山』を築く料理の皿に箸を伸ばした。
といっても、帝人が食べるのは精々1人前かそれ以下だ。5、6人分はあるだろう料理のほとんどは静雄の腹に消えていく。健啖家と言えば聞こえはいいが、明らかに量が尋常ではない。
がっつく様子もないのに着々と減っていくさまを、帝人はまるで手品か魔法でも見るかのように目を丸くして眺めてた。隙あらばおかずを乗せようとする手から、皿を守りながら。
食後は2人で洗い物をし片付けを済ませて、それからデザートに取り掛かるのがいつものパターンだ。静雄が差し出した箱には有名店のロゴが印刷されていて、中身は4種類のプリンが入っていた。どれにするか悩んで決められずにいると、ちょっとずつ食べればいいとスプーンを渡される。甘いものが好きな静雄は1人で全部食べても平気だろうから、帝人はその申し出に甘えることにした。
4つのプリンを2人で分けあって食べて、…というか帝人が横からちょっとずつ貰って、こんな風に誰かと一緒にものを食べるのが実はすごく楽しかったりする。ひとりっ子の帝人は兄弟と食べ物を取り合ったりわけ合ったりしたことがなく、上京してからは毎日の食事すら基本的には1人で食べていたから、気の許せる相手と同じ時間を過ごせることが嬉しくて仕方なかった。
その『相手』がよりにもよって静雄だというのが我ながら謎だが、実際一緒にいるとすごく安心出来るのだ。確かに、度を超えた暴力は怖いと思うし、それが自分に向けられたらと思うとぞっとしないでもない。だが怒っていなければ、怒らせるような真似をしなければ、基本的には静雄は穏やかで温和な性質だった。
心配性で、ちょっとズレてて、面倒見のいいお兄さん。―――帝人が彼に抱く印象は、今のところそんなイメージが強い。
「こっちも食うか?」
「はい」
苺味のプリンを飲み込んで、帝人はあーんと口を開けた。餌を与える親鳥のように、静雄がプリンをすくって口元へと運んでくれる。
「あ、みかんですね。美味しい」
「もっと食え」
「静雄さんの分がなくなっちゃうじゃないですか」
「また買ってくるからいい」
なにかにつけて、静雄は帝人にせっせとものを食べさせようとする。成長期だし、確かに標準よりもやや細めだが、静雄のそれはまるで栄養失調の子供に与えるような熱心さだ。放っておくといつまでも食べさせられてしまうので、帝人も自分の手元のプリンをすくって静雄の方へと差し出した。こういう時は、物理的に行動を封じてしまうに限る。
作品名:この感情に名を付けるなら 作家名:坊。