今のところ無題
毎年、夏に訪れる祖母の家の裏には小さな森があった。
というより、森しかなかったのだ。
何度目かに遊びに行った時に森の奥に寂れた教会があることを私は知った。
祖母にそのことを話すと、笑顔で話を聞いていた祖母は少し顔を雲らせてこう言った。
「いいかい?あの森の教会には近づいてはいけないよ」
「どうして?」
「あの教会には子供を貪り食らう化け物がいるって話だよ。だからあの森にはお前は絶対足を踏み入れてはいけないよ」
退屈だった私は大変興味が沸いたけれど、一緒に聞いていたセルティは体を震わせていたので私はそれ以上深く聞かなかった。
翌日、私は一人で教会に向かった。
小径を少し外れ、獣道と間違いそうな細い道を進む。
時刻は先ほど長針と短針が背筋を伸ばして挨拶を済ませたばかりだ。
真夏の日差しが心身を焼いても可笑しくないはずなのに、この辺りは木々が屋根代わりになっているのか辛くは感じなかった。
更に奥を目指す。不意に眩しいまでの陽光が瞳に飛び込んだ。
視界が一気に開け、空間が広がった。
まるで意図していたかのように、その辺りにだけ陽が挿し込んでいる。そんな場所に教会は在った。
ここへ来たのはこれで二度目になるが、やはり前にこの建物を見つけた時と同じ奇妙な気持ちになる。
そう、ここはどこか現実味がないのだ。
私は暫くその場に立ち尽くしていた。頂上にはシンボルでもある十字架がそびえ立ち、六角の壁に覆われた物見台に刺さっている。屋根は長い間雨風に晒されたのか鈍い色になり、作られて間もない頃は屋根に守られていた煉瓦の壁も今ではもう煤けて鈍色に変わり、元の色が分からなくなっていた。
随分と古い建物だ。そう思った。それと同時にどこか整然としているこの景色がとても綺麗に思えてセルティに見せたいとも。
彼女は気に入ってくれるだろうか、それとも何故こんな処に来たのだと怒るだろうか。想像して混み上げる笑いを噛み殺す。不意に、以前に訪れた時とは違う部分に気づいた。
以前、来た時には閉ざされていた扉が、今日は少し開いていた。
────あの教会には化物が居る────祖母は言っていた。
だが、少しの恐怖心よりそれ以上の好奇心が勝る。
キィ、と風に煽られて扉が鳴り、扉が更に隙間を広げた。
これでは、まるで私を迎えいれてくれているようだ!
そんな状況を目前にして当時、小学生だった私には我慢ができるはずがなかったのだ。
私は息を潜めて扉に近づいて扉の隙間から中を覗いた。
本当に子供を食べる化物が居るとしたら、どういう姿をしているのだろう。
赤ずきんに出てくるような狼だろうか?一口で食べられてしまうようなほど口が大きいとか?
それとも見たこともないような何かだろうか?
だが、予想はどれも外れていた。
そこに居たのは、人だった。ステンドガラスが外の光を透かし、室内に光を運ぶ。
単調に並ぶチャーチチェアの最奥、祭壇の前で色褪せた絨毯に膝を折り、まるで祈るように頭を垂れている。
彼は黒い服に身を包んでいた。教会で黒服と言えば牧師服と想像するが、彼はそうではない。ただ衣服が黒いだけだ。
「なんだ、人間じゃないか」
期待が大きかっただけに拍子抜けした私は落胆を隠せず扉に凭れかかった。
だが、扉は勿論開くためにあるものであり、重みがかかれば扉は音を軋ませて開いていく。
「わ、わわわわ…」
しまった。と思った頃には既に遅し。物の見事に私は背中から教会へ言葉通り転がり込んだ。
ああ…、大失態だ。
絨毯をサク、サクと、踏み近づいてくる足音を耳にしながら新羅は大の字になったまま目を閉じた。
おばあちゃん、化物なんていないよ。どうせなら本当に化物が棲んでいて一口で食べてくれた方がよかった。
あ、でも食べられちゃったらセルティに会えなくなっちゃうのか。それは嫌だな。
ぐるぐると思考を巡らせていると足音が頭上で止まった。目を閉じていても気配は感じることが出来るから人間ってやはり五感があるのだろうと思う。諦めて目を開くと先の人影が私を覗き込んでいた。黒髪に覆われた奥の赤い瞳と目が合う。
「ここにお客さんだなんて珍しいなぁ。ねぇ、君、何してるの?」
それが、私と彼────臨也との出会いだった。
というより、森しかなかったのだ。
何度目かに遊びに行った時に森の奥に寂れた教会があることを私は知った。
祖母にそのことを話すと、笑顔で話を聞いていた祖母は少し顔を雲らせてこう言った。
「いいかい?あの森の教会には近づいてはいけないよ」
「どうして?」
「あの教会には子供を貪り食らう化け物がいるって話だよ。だからあの森にはお前は絶対足を踏み入れてはいけないよ」
退屈だった私は大変興味が沸いたけれど、一緒に聞いていたセルティは体を震わせていたので私はそれ以上深く聞かなかった。
翌日、私は一人で教会に向かった。
小径を少し外れ、獣道と間違いそうな細い道を進む。
時刻は先ほど長針と短針が背筋を伸ばして挨拶を済ませたばかりだ。
真夏の日差しが心身を焼いても可笑しくないはずなのに、この辺りは木々が屋根代わりになっているのか辛くは感じなかった。
更に奥を目指す。不意に眩しいまでの陽光が瞳に飛び込んだ。
視界が一気に開け、空間が広がった。
まるで意図していたかのように、その辺りにだけ陽が挿し込んでいる。そんな場所に教会は在った。
ここへ来たのはこれで二度目になるが、やはり前にこの建物を見つけた時と同じ奇妙な気持ちになる。
そう、ここはどこか現実味がないのだ。
私は暫くその場に立ち尽くしていた。頂上にはシンボルでもある十字架がそびえ立ち、六角の壁に覆われた物見台に刺さっている。屋根は長い間雨風に晒されたのか鈍い色になり、作られて間もない頃は屋根に守られていた煉瓦の壁も今ではもう煤けて鈍色に変わり、元の色が分からなくなっていた。
随分と古い建物だ。そう思った。それと同時にどこか整然としているこの景色がとても綺麗に思えてセルティに見せたいとも。
彼女は気に入ってくれるだろうか、それとも何故こんな処に来たのだと怒るだろうか。想像して混み上げる笑いを噛み殺す。不意に、以前に訪れた時とは違う部分に気づいた。
以前、来た時には閉ざされていた扉が、今日は少し開いていた。
────あの教会には化物が居る────祖母は言っていた。
だが、少しの恐怖心よりそれ以上の好奇心が勝る。
キィ、と風に煽られて扉が鳴り、扉が更に隙間を広げた。
これでは、まるで私を迎えいれてくれているようだ!
そんな状況を目前にして当時、小学生だった私には我慢ができるはずがなかったのだ。
私は息を潜めて扉に近づいて扉の隙間から中を覗いた。
本当に子供を食べる化物が居るとしたら、どういう姿をしているのだろう。
赤ずきんに出てくるような狼だろうか?一口で食べられてしまうようなほど口が大きいとか?
それとも見たこともないような何かだろうか?
だが、予想はどれも外れていた。
そこに居たのは、人だった。ステンドガラスが外の光を透かし、室内に光を運ぶ。
単調に並ぶチャーチチェアの最奥、祭壇の前で色褪せた絨毯に膝を折り、まるで祈るように頭を垂れている。
彼は黒い服に身を包んでいた。教会で黒服と言えば牧師服と想像するが、彼はそうではない。ただ衣服が黒いだけだ。
「なんだ、人間じゃないか」
期待が大きかっただけに拍子抜けした私は落胆を隠せず扉に凭れかかった。
だが、扉は勿論開くためにあるものであり、重みがかかれば扉は音を軋ませて開いていく。
「わ、わわわわ…」
しまった。と思った頃には既に遅し。物の見事に私は背中から教会へ言葉通り転がり込んだ。
ああ…、大失態だ。
絨毯をサク、サクと、踏み近づいてくる足音を耳にしながら新羅は大の字になったまま目を閉じた。
おばあちゃん、化物なんていないよ。どうせなら本当に化物が棲んでいて一口で食べてくれた方がよかった。
あ、でも食べられちゃったらセルティに会えなくなっちゃうのか。それは嫌だな。
ぐるぐると思考を巡らせていると足音が頭上で止まった。目を閉じていても気配は感じることが出来るから人間ってやはり五感があるのだろうと思う。諦めて目を開くと先の人影が私を覗き込んでいた。黒髪に覆われた奥の赤い瞳と目が合う。
「ここにお客さんだなんて珍しいなぁ。ねぇ、君、何してるの?」
それが、私と彼────臨也との出会いだった。