GIFT
目の前がまっくらになったことは一度だけじゃない。レッドと勝負するとき、俺は幾度となく負けてきた。
いつも、悔しさと次こそは絶対勝つのだという闘志がぐちゃぐちゃになった状態で、傷ついたポケモンたちをポケモンセンターへ連れて行った。いつかは勝つ。センターのロビーでポケモンたちの治療を待っている間、俺は拳を固く握りしめて、そればかり頭の中で唱えていた。それは次回の戦いについて自分への宣言であったし、確信でもあった。自分が勝てないのはどこかが完璧じゃないからだ。まだ足りないところがあって、それを補えば勝てると俺は信じていた。
今日、ポケモンリーグの頂点での戦いで俺はレッドに負けた。
レッドは肩で息をしていた。そのくせ目は爛々としていた。俺も同じだった。アドレナリンの分泌がおさまらないような様子で俺たちはお互いの目を見て立っていた。勝負は終わって興奮だけが残っていた。チャンピオンはお前だ、とレッドに言った。オーキドのじいさんがやってきて、レッドと俺に言葉をかけた。すべてが終わった。俺は、走り出していた。
リーグの外の門の辺り、広い芝生のエリアに来ると、噴水があって、俺はふらふらと歩いていって噴水のふちに腰を下ろした。虚脱感。ザァァという水の流れる音を聞いていた。ウィンディが勝手にボールから飛び出して、俺の胸に鼻を寄せた。普段は勇敢に吠えるやつなのに、力なく鳴いた。それが謝罪のようにも聞こえて、俺は肺がねじれるような感覚に陥った。
「……負けたのはお前らのせいじゃないぜ。」
それは本心から出た言葉だった。
俺はベストを尽くした。埋めるべき穴はすべて埋めた。ずっといっしょに戦ってきたポケモン達を活かす最高のコンビネーションを編み出して、今度こそ勝つという自信を持っていた。それは決して慢心ではなかった。ではなぜ負けたのか。
お前が謝ったりしなくてもいいんだよ。そういう気持ちを込めて相棒を抱きしめる。鼻の奥がつんとする。泣いては駄目だと思った。
ずっと持っていた根拠のない確信が今日崩れた。俺は分かってしまった。
手持ちたちを回復していないことに気がついた。ウインディをボールに戻して、俺はリーグの建物の中のポケモンセンターへ向かった。
歩いているとき、じいさんが俺にかけた言葉を反芻していた。じいさんは俺がポケモンたちへの信頼と愛情を忘れていると言った。何も分かっちゃいない、とは言わないが、俺は俺なりにポケモンを愛していたし信頼していた。そして俺の独りよがりな挑戦にこいつらはいつも一つの文句もなくついてきてくれていた。俺は多少は自分勝手だったが、俺たちはきちんと信頼で結ばれていたと思っている。
仮にじいさんの言う通りだとしたら、自分に足りないところがあるのはむしろ喜ばしいことのはずだ。言い換えればそれはまだ伸びしろがあるということだから。でも今の俺には希望を持つことは出来なかった。
「お願いします」
カウンターでボールを預けるとき、ジョーイさんと少し言葉を交わした。
「ポケモンバトル、テレビで見ていたの。すばらしい勝負だったわ。」
俺は頷いた。自分でも本当にそうだと思った。
「あなたもあなたのポケモンも全力で戦ってた。」
また俺は頷いた。その通りなのだ。俺は全力で戦った。人からもそう言われてなぜか急に悲しくなった。
「これからも応援してるわ」
「ありがとうございます」
礼は涙声になりかけた。でも泣かなかった。
待っている間、俺は以前みたいな闘志が失われていることに気付いた。拳を握りしめることも無い。これまで心の大部分を占めていた気持ちが急に消えて空になった。どれだけ努力をしても自分ではどうしようもないことがある、という思いが急に湧いたからだった。自分でも驚いた。今まではそんなこと考えもしなかった。弱気になっているわけじゃない。冷静に、悟るようにして自然にそのような考えが浮かんだ。
マサラに帰ってからは俺は淡々と日々を過ごした。空しい心地が消えなくて、意欲もなかった。日中はほとんど部屋で寝ていたし、ときどきポケモンたちをボールから出してやるために家の庭に出る以外には外に出なかった。動かないから食欲もなくて、飯をあまり食わないので、姉ちゃんはさぞ心配したことだろう。でも俺を気遣ってか何も言わなかった。それは正直ありがたかった。誰とも話をしたくなかったから。そうやって一週間ほど過ごした。
ある日、俺は朝のまともな時間に目が覚めた。カーテンを開けると天気がよかったので、俺はなんとなく少しだけ心が軽くて、外に出てみようと思った。手持ちたちを外に出してやりたい気持ちもあった。階段を下りてリビングを通るとき、姉ちゃんが朝ごはん食べなさいよ、と声をかけた。俺はテーブルについて、用意してあったトーストをかじる。姉ちゃんが向かい側の席に座って言葉を発した。
「レッド君がまた旅に出たんだって」
「それっていつ?」
「おとといよ」
俺たちはあの日以来顔を合わせていない。またしばらく会わない期間が延長されたということだ。
俺は外に出る気がなくなって自室へ戻った。レッドはもうマサラに戻ってこないつもりなんじゃないのか。そんな気がして、俺の勝手な推測に過ぎないのに少し腹が立った。
チャンピオンという地位に未練が無いと言えば嘘になるが、その座からひきずりおろされたことはたいして気にしていない。腹が立つのは、レッドにリベンジする機会を永遠に失ったかもしれないこと。そしてあいつに勝つことをあきらめたくなんかないのに、心のどこかではもう勝てないと思っている自分に対してだった。カーテンを閉めた薄暗い自室のベッドの中で、涙をこらえたあの日以来初めて、俺は泣いた。
いつも、悔しさと次こそは絶対勝つのだという闘志がぐちゃぐちゃになった状態で、傷ついたポケモンたちをポケモンセンターへ連れて行った。いつかは勝つ。センターのロビーでポケモンたちの治療を待っている間、俺は拳を固く握りしめて、そればかり頭の中で唱えていた。それは次回の戦いについて自分への宣言であったし、確信でもあった。自分が勝てないのはどこかが完璧じゃないからだ。まだ足りないところがあって、それを補えば勝てると俺は信じていた。
今日、ポケモンリーグの頂点での戦いで俺はレッドに負けた。
レッドは肩で息をしていた。そのくせ目は爛々としていた。俺も同じだった。アドレナリンの分泌がおさまらないような様子で俺たちはお互いの目を見て立っていた。勝負は終わって興奮だけが残っていた。チャンピオンはお前だ、とレッドに言った。オーキドのじいさんがやってきて、レッドと俺に言葉をかけた。すべてが終わった。俺は、走り出していた。
リーグの外の門の辺り、広い芝生のエリアに来ると、噴水があって、俺はふらふらと歩いていって噴水のふちに腰を下ろした。虚脱感。ザァァという水の流れる音を聞いていた。ウィンディが勝手にボールから飛び出して、俺の胸に鼻を寄せた。普段は勇敢に吠えるやつなのに、力なく鳴いた。それが謝罪のようにも聞こえて、俺は肺がねじれるような感覚に陥った。
「……負けたのはお前らのせいじゃないぜ。」
それは本心から出た言葉だった。
俺はベストを尽くした。埋めるべき穴はすべて埋めた。ずっといっしょに戦ってきたポケモン達を活かす最高のコンビネーションを編み出して、今度こそ勝つという自信を持っていた。それは決して慢心ではなかった。ではなぜ負けたのか。
お前が謝ったりしなくてもいいんだよ。そういう気持ちを込めて相棒を抱きしめる。鼻の奥がつんとする。泣いては駄目だと思った。
ずっと持っていた根拠のない確信が今日崩れた。俺は分かってしまった。
手持ちたちを回復していないことに気がついた。ウインディをボールに戻して、俺はリーグの建物の中のポケモンセンターへ向かった。
歩いているとき、じいさんが俺にかけた言葉を反芻していた。じいさんは俺がポケモンたちへの信頼と愛情を忘れていると言った。何も分かっちゃいない、とは言わないが、俺は俺なりにポケモンを愛していたし信頼していた。そして俺の独りよがりな挑戦にこいつらはいつも一つの文句もなくついてきてくれていた。俺は多少は自分勝手だったが、俺たちはきちんと信頼で結ばれていたと思っている。
仮にじいさんの言う通りだとしたら、自分に足りないところがあるのはむしろ喜ばしいことのはずだ。言い換えればそれはまだ伸びしろがあるということだから。でも今の俺には希望を持つことは出来なかった。
「お願いします」
カウンターでボールを預けるとき、ジョーイさんと少し言葉を交わした。
「ポケモンバトル、テレビで見ていたの。すばらしい勝負だったわ。」
俺は頷いた。自分でも本当にそうだと思った。
「あなたもあなたのポケモンも全力で戦ってた。」
また俺は頷いた。その通りなのだ。俺は全力で戦った。人からもそう言われてなぜか急に悲しくなった。
「これからも応援してるわ」
「ありがとうございます」
礼は涙声になりかけた。でも泣かなかった。
待っている間、俺は以前みたいな闘志が失われていることに気付いた。拳を握りしめることも無い。これまで心の大部分を占めていた気持ちが急に消えて空になった。どれだけ努力をしても自分ではどうしようもないことがある、という思いが急に湧いたからだった。自分でも驚いた。今まではそんなこと考えもしなかった。弱気になっているわけじゃない。冷静に、悟るようにして自然にそのような考えが浮かんだ。
マサラに帰ってからは俺は淡々と日々を過ごした。空しい心地が消えなくて、意欲もなかった。日中はほとんど部屋で寝ていたし、ときどきポケモンたちをボールから出してやるために家の庭に出る以外には外に出なかった。動かないから食欲もなくて、飯をあまり食わないので、姉ちゃんはさぞ心配したことだろう。でも俺を気遣ってか何も言わなかった。それは正直ありがたかった。誰とも話をしたくなかったから。そうやって一週間ほど過ごした。
ある日、俺は朝のまともな時間に目が覚めた。カーテンを開けると天気がよかったので、俺はなんとなく少しだけ心が軽くて、外に出てみようと思った。手持ちたちを外に出してやりたい気持ちもあった。階段を下りてリビングを通るとき、姉ちゃんが朝ごはん食べなさいよ、と声をかけた。俺はテーブルについて、用意してあったトーストをかじる。姉ちゃんが向かい側の席に座って言葉を発した。
「レッド君がまた旅に出たんだって」
「それっていつ?」
「おとといよ」
俺たちはあの日以来顔を合わせていない。またしばらく会わない期間が延長されたということだ。
俺は外に出る気がなくなって自室へ戻った。レッドはもうマサラに戻ってこないつもりなんじゃないのか。そんな気がして、俺の勝手な推測に過ぎないのに少し腹が立った。
チャンピオンという地位に未練が無いと言えば嘘になるが、その座からひきずりおろされたことはたいして気にしていない。腹が立つのは、レッドにリベンジする機会を永遠に失ったかもしれないこと。そしてあいつに勝つことをあきらめたくなんかないのに、心のどこかではもう勝てないと思っている自分に対してだった。カーテンを閉めた薄暗い自室のベッドの中で、涙をこらえたあの日以来初めて、俺は泣いた。