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遠つ夜(とおつよる)

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(いまだ遠つに響く声  しかしてそれは消えることなく  やがて近くに夜が来る)



 鍛冶の炎はとうに落とされ、竪琴や笛を奏でる手も止んで久しい。たえず湧き出る泉の音さえ今は静かで、陽のもとで翼を広げていた燕らは巣の中でまどろんでいる。トゥムラデンを吹き渡る風はエホリアスの冷気をはらみ、月のない天空まで冴え冴えとした大気が満ちていた――ゴンドリンに夜が来たのである。


 闇に阻まれて見ることのできぬ谷底から、カラグドゥーアの絶壁を駆け上がりやって来た颶風がマイグリンの髪を不規則にざわめかせた。この無明の果てに、葬られることなき父の亡骸が無惨な姿で転がっているのだろうか。ごうごうと唸る風音の中に、彼の呪詛がいまだ生きているのではなかろうか……頭の奥でささやくおびえたような声を、彼は鼻の先で笑って追いやった。その手は腰に下げたアングイレルを無意識に撫で、夜気を吸った隕鉄のおそろしいまでの冷たさが指先に宿ってゆく。すべてのエルダールの中でも、もっとも鋭く闇を見とおす彼の目をもってしても、しかしカラグドゥーアの無明は晴れない。
 じっとりと彼の心を浸す恐怖心にあらがうように、彼は一歩、また一歩と絶壁のふちへと足を進めていった。それでもなお闇は消えない。母親譲りの豊かな黒髪が、吹きつける風に煽られてマイグリンの顔に体にまとわりつき、それ以上の歩みを阻むかのように暴れ回った。父の呪詛がふたたび響く。

「お前も、いつかここで私と同じ死を死ぬがよい」

 愛憎に満ちた呪わしい声が、マイグリンを絶壁へと差し招く。しかし母と同じ艶やかな長髪が、ヴァルダの星々の放つ幽かな光明を受けて燦めいた。からみつきそして輝き、父の呼び声からマイグリンを遠ざけようとするこの毛髪は、我が子の盾にならんとして果てた母のそれと同じであった。
 まだ、まだそのときではない、明けぬ夜はまだ遠くにある……遠つ夜の声は消えねども、今はまだすべてが幻のうちにある。
 誰の声とも知れぬささやきが(それは彼の声音と似ていたが、呪いに怯えた心の声であったろうか、上のエルフの血から来た予言の声であったか、自身でも皆目分からない)、マイグリンの耳の裡に響いてその足を止めさせる。そして彼は黒い風となって、ゴンドリンの王城へと疾く駆けていった。