ツバサ
「シード様に好きな女性ができたらしい。」
ハイランド王国第四軍兵士達の間にまことしやかに流れたウワサは、ようやく今日提出する書類を書き上げ、休息を取ろうと紅茶に口をつけたクルガンをむせ返らせるに十分な内容だった。
「…ほう……ごほっ!ごほごほ!」
かろうじてそうコメントしたものの、その後の言葉は激しい咳にかき消される。
シード率いる隊の副長であるクオリー・シュミットは、氷の策士と呼ばれる目前の武将が苦悶する様を唖然と見守っていた。
「ごほっ、どこでどう…ごほ、いう見方をすれば、ごほごほ、そんなウワサが…ごほっ!…失礼。」
かなりの努力でその咳を押し込み、少し涙目になったクルガンが副長を見上げる。
この人は笑っていたのだ。その表情を見て、クオリーは確信した。
冷徹な無表情と感情の抑揚のない物言いがトレードマークのようなクルガンは、やはりシードの事が絡むとことさら人間らしい表情をよく浮かべる。
他の軍の兵士からは非常に恐れられ、まるで得体の知れない怪物のように扱われている彼であるが、第四軍の兵士達は彼の人間性を良く知っているため、それほどクルガンには恐怖心を抱いていない。
確かに一人でいるときは話しかけづらい雰囲気ではあるが、シードと共にいるときは親しみさえ覚えるほどだ。
「確かに、最近のシード様の様子はおかしいと思われます。
いつもは訓練が終わっても闘技場などに長居されているというのに、この一週間ほどはすぐお帰りになられますし。」
そういえば、とクルガンは肱掛椅子に背を預けながら考える。
この数日間、シードの姿を見掛けない。
出陣や城下の見回りが無い日は、クルガンはもっぱら書類整理、シードは兵士達の剣の訓練にその身を追われるため、このバカ広い城内ではほとんど顔を合わせることはない。
結果、それではつまらん、といつもシードが差し入れ片手にクルガンの部屋にやってくることになる。
そしてなんやかんやと茶々を入れては、夜遅くまで邪魔したな、などと全くその通りな事を言って帰ってゆく。
ところが、最近シードがここに顔を出したことがなかった。
やたら大量だった報告書整理に数日間没頭していたため、気にかけている余裕が無かったのだが、そう気付くと急に心配になる。
但し、表情には出さないが。
「下の騎士達の間でかなり憶測が飛んでいるのを偶然耳にしまして。
先日うちの隊の数人がどうやらこっそりあとをつけたようなのです。
シード様は何やら大きな包みを持って、城下町郊外の森に向かって行かれたとか。
彼らはそこで姿を見失ったようなのです。
それからというものあれはプレゼントだとか、森で密かに待ち合わせをしているのだとか…
根も葉もないウワサが膨らむ一方で、私としてはかなり困惑しているのですが…」
必死に説明するクオリーをため息交じりに見つめる。
部下に不要な気苦労をさせるとは全くしかたがない奴だ。
だいたい、すぐ熱くなり暴走しがちなシードの副長を任せている彼には常時並々ならぬ苦労を強いている。
以前、退却命令を出しても戻ろうとしないシードを殴られつつも引きずるようにして帰ってきた姿は、正直言ってシードの親友という立場上、かなり申し訳なく、情けなかった。
それじゃあ、と手を振ってその場を逃げ出したかったくらいだ。
「解った。このままでは隊の士気に関わるだろう。私から、何気なく確認しておく。」
クルガンの言葉に、ほっとしたような表情を見せ、クオリーはピシリと敬礼をする。
「ありがとうございますっ。どうか…よろしくお願いいたします。」
シードのことは、何はともあれクルガンに任せてしまえば、安心である。
それは第四軍の騎士の間での、暗黙の常識。
勢いよく礼をすると、クオリーは安堵したように部屋を出ていった。
「…女、か…」
気配で彼が扉から遠ざかるのを確認してからそう呟き、クルガンは天井を睨む。
「女だと…?」
きっと今、自分は最もくだらない顔をしているのだろう。
ハイランド王国第四軍兵士達の間にまことしやかに流れたウワサは、ようやく今日提出する書類を書き上げ、休息を取ろうと紅茶に口をつけたクルガンをむせ返らせるに十分な内容だった。
「…ほう……ごほっ!ごほごほ!」
かろうじてそうコメントしたものの、その後の言葉は激しい咳にかき消される。
シード率いる隊の副長であるクオリー・シュミットは、氷の策士と呼ばれる目前の武将が苦悶する様を唖然と見守っていた。
「ごほっ、どこでどう…ごほ、いう見方をすれば、ごほごほ、そんなウワサが…ごほっ!…失礼。」
かなりの努力でその咳を押し込み、少し涙目になったクルガンが副長を見上げる。
この人は笑っていたのだ。その表情を見て、クオリーは確信した。
冷徹な無表情と感情の抑揚のない物言いがトレードマークのようなクルガンは、やはりシードの事が絡むとことさら人間らしい表情をよく浮かべる。
他の軍の兵士からは非常に恐れられ、まるで得体の知れない怪物のように扱われている彼であるが、第四軍の兵士達は彼の人間性を良く知っているため、それほどクルガンには恐怖心を抱いていない。
確かに一人でいるときは話しかけづらい雰囲気ではあるが、シードと共にいるときは親しみさえ覚えるほどだ。
「確かに、最近のシード様の様子はおかしいと思われます。
いつもは訓練が終わっても闘技場などに長居されているというのに、この一週間ほどはすぐお帰りになられますし。」
そういえば、とクルガンは肱掛椅子に背を預けながら考える。
この数日間、シードの姿を見掛けない。
出陣や城下の見回りが無い日は、クルガンはもっぱら書類整理、シードは兵士達の剣の訓練にその身を追われるため、このバカ広い城内ではほとんど顔を合わせることはない。
結果、それではつまらん、といつもシードが差し入れ片手にクルガンの部屋にやってくることになる。
そしてなんやかんやと茶々を入れては、夜遅くまで邪魔したな、などと全くその通りな事を言って帰ってゆく。
ところが、最近シードがここに顔を出したことがなかった。
やたら大量だった報告書整理に数日間没頭していたため、気にかけている余裕が無かったのだが、そう気付くと急に心配になる。
但し、表情には出さないが。
「下の騎士達の間でかなり憶測が飛んでいるのを偶然耳にしまして。
先日うちの隊の数人がどうやらこっそりあとをつけたようなのです。
シード様は何やら大きな包みを持って、城下町郊外の森に向かって行かれたとか。
彼らはそこで姿を見失ったようなのです。
それからというものあれはプレゼントだとか、森で密かに待ち合わせをしているのだとか…
根も葉もないウワサが膨らむ一方で、私としてはかなり困惑しているのですが…」
必死に説明するクオリーをため息交じりに見つめる。
部下に不要な気苦労をさせるとは全くしかたがない奴だ。
だいたい、すぐ熱くなり暴走しがちなシードの副長を任せている彼には常時並々ならぬ苦労を強いている。
以前、退却命令を出しても戻ろうとしないシードを殴られつつも引きずるようにして帰ってきた姿は、正直言ってシードの親友という立場上、かなり申し訳なく、情けなかった。
それじゃあ、と手を振ってその場を逃げ出したかったくらいだ。
「解った。このままでは隊の士気に関わるだろう。私から、何気なく確認しておく。」
クルガンの言葉に、ほっとしたような表情を見せ、クオリーはピシリと敬礼をする。
「ありがとうございますっ。どうか…よろしくお願いいたします。」
シードのことは、何はともあれクルガンに任せてしまえば、安心である。
それは第四軍の騎士の間での、暗黙の常識。
勢いよく礼をすると、クオリーは安堵したように部屋を出ていった。
「…女、か…」
気配で彼が扉から遠ざかるのを確認してからそう呟き、クルガンは天井を睨む。
「女だと…?」
きっと今、自分は最もくだらない顔をしているのだろう。