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あたらしい朝

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瞼の裏がまっしろに眩しくなって、目が覚めて、まず頭がひどく痛むと思った。それから身体のふしぶしも。身体が痛むのはたぶん寒さのせいもあった。頬が冬の早朝の冷たい空気に晒されている。妙に窮屈な気がすると思ったら、どうやら昨日の服を着たきりで寝ていたようだ、それに、なんだか、寝床もせまい――
 逸人は頭を抱えてひとつ溜息をついた。
 要するにここは経一の部屋――鈍にあてがわれた小さな一間に、経一がパチンコで稼いだ金で買ったカラーボックスとちゃぶ台と布団等々が並んだ部屋――であって、いまその布団やマットやシーツが乱雑に床を覆い、羽毛布団やら毛布やらを分けあうような仕方で、逸人の眼前には鈍が寝転がり、背後には経一が寝転がっていると、こういう事態なのだった。
 先生はことし忘年会出られなかったんですから、呑み直しませんかと、同年代の独身の教員たちに誘われて、ついつい嬉しくなってしまったのは事実である。だが年の瀬のお祭り気分もあいまって、若い同僚たちのエネルギーは逸人の予想を大きく越えたものだった。結果、しこたま呑まされて、帰宅中に駅のトイレで一度吐いてもまだすっとしないというひどい状態になる。ベンチでじっとしていたら幸か不幸か、屋台で一杯ひっかけた後の経一に鉢合わせた。なんだかよくわからないままユグドラシルに連れていかれ、胃薬を貰ってようやく人心地ついたところで、鈍が風呂上りのビールを飲みながらひどく不機嫌そうに、
 「なんで来たの」
 聞いて来たのだ。さすがにむっとした。こっちだって半ば無理やりに連れてこられたようなもので、というか今日は連れ回されてばかりでくたくたの状態なのに、顔を合わせて最初に掛ける言葉がそれかと――
 それで、なんだかんだと口論になり、経一も混ざって収拾がつかなくなり、終いには酔っ払い三人で半泣きのような状態に――ああそうだ、酔っていたわりにはよく覚えているじゃないか。
 酒が入った状態で建設的な話などできるものではない。とはいえ、酒でも入っていなければとてもする気になれない話だってあるわけで、昨晩の会話はそんな厄介な類のものに違いなかった。何年振りかに三人きりで話し、昔と全く同じように平行線をたどって、泥沼にはまり、拳やら平手やらも飛んだ。数年前のいつかの出来事をそのままなぞったような夜だった。
 かちり、という音に続いて、ヒーターが低く唸る。スイッチを入れたのは鈍だった。彼女はしっかりと大判の毛布一枚を占領して、頭までそれにくるまった状態で横たわっている。芋虫のような背中を見ていると、気配に気づいたのか、こちらを向いた。
 目が合ってしまった。声をかけたものかどうかと逸人が迷っていると、スイッチを押した手が伸びてきて、目元に触れた。
 鈍の指は逸人の頬をすっと下へなぞるように撫でて、涙の跡のような軌跡を描いた。
 「もどっちゃった」
 言われて、頬のひび割れのことだと分かった。指の軌跡はそのまま逸人の頬のひびの軌跡だった。彼女は昨晩のことについて言っているのだ。出口のない口論の果てに逸人は、冷血が感情を食いきらないほどに激昂した。その姿をみてとりわけ鈍があからさまに動揺した。そういう反応が哀しいやら腹が立つやらで、よけいに激昂して、心の中がぐずぐずになって、とうとうなんだか気持ち悪くなってきて吐いたのだった。明らかに悪酔いだった。吐いた後もなぜだが気持ちは興奮していた。いつか保健室に町中の人が集まってくれたときと同じようだった。だから髪も肌ももとのままで、こんなに動悸が続いていてはいい加減苦しいんだけど、もしかして、自分はとうとう冷血をやっつけてしまったのかとさえ、思えるような状態だった。
 しかし寝て起きたら、もどっちゃった、というわけである。
 「そりゃそうだよ」
 あんなに昂った状態でいつまでもいられるはずがない。逸人が即答すると、鈍の手は頬を離れてぱたんとシーツの上に落ちた。鈍の瞳はかるく握られた自分の掌をぼんやりと見つめていた。わずかに潤んでいるように見えた。
 「――」
 少し冷淡に過ぎたかもしれない、と思って、逸人は次の言葉を探す。ゆうべはどこで話が途切れたのだっけ、と記憶をめぐらせる。吐き戻した後は話をするどころではなくなった。おぼろげにしか覚えていないが、背中をさすられて、いたわられた。ひどくやさしくされたような気がする。朦朧としたまま抱きかかえられて運ばれ、自分のために引かれた布団に身を預けた。病気していた頃はそんなことはしょっちゅうだったが、考えてみれば随分と久し振りだ。暖かい感覚があって、この連中は結局僕にはやさしいのだと、たぶん、いつまでもそうなのだということを、今更ながら思い出したのだった。何か言いたくて、けれど嘔吐感と動悸で言葉にならなかった、何を言おうとしたのだったか――
 「……あのさ」
 「何」
 「死なないよ。僕は」
 鈍の瞳にわずかばかり光が宿り、視線がこちらのほうを向いた。
 「…けっこう、元気でしょう」
 夜通し騒いで吐けるくらいには元気だよ、と、逸人は軽く拳を挙げて見せる。我ながらいまひとつ決まらないな、と思いつつ。
 それだから余計に心配なんだわ。鈍は目を伏せて独り言のように零した。
 「なんだよそれ」
 「だって」
 「なんの話してんの」
 低い声とともに、背後から緩やかなヘッドロックをかまされた。経一が目を覚ましたのだ。
 「死ぬ話してんの」
 「違うよ」
 「違うの」
 「この人来年は死ぬかもしれないわ」
 「まじで」
 「死なないって、だから」
 「わからないじゃない」
 「そりゃわからないけど」
 「そうかあ、でも、なあ、」
 経一が間の抜けた声を出しながら、逸人の髪をわしわしと弄り、
 「死んだらやだな」
 呟いた。
 「そりゃそうだよ」
 逸人の後に、
 「そうね」
 鈍の静かな声が続いた。
 三人はしばし黙った。ようやくひとつの合意を見たのかもしれないと逸人は思う。けれど鈍の瞳は伏せられたまま、こちらを向いてはくれなかった。どうしようか。
 逸人の煩悶を振り切るように、鈍はばさりと起き上った。
 「シャワー浴びる」
 それだけ言って毛布から抜け出し、床に転がされていたスリッパを裸足のままつっかけて、出ていこうとしたところで、鈍はふと思いとどまったように振り返る。寝転がる二人の顔を少しの間眺めたのち、膝をつき身を屈めて、やわらかいキスを逸人の頬にひとつ落とした。
 そして彼女はひとこと呟いた。逸人と経一の二人ともがその言葉を聞いた。
 それから、物欲しげな顔をした経一の頬にも口づけを落としてやると、鈍は踵を返して部屋の外へ出ていった。
 逸人は自分の頬に触れた。感じられた暖かさは昨晩のそれに似ている。くすぐったく、切なく、どこか苛立たしいような感覚があった。
 経一の両手が逸人の顎を掴む。上を向かされた。瞼が三重になった眠たげな経一の顔が顔前にあった。左の頬が赤く腫れている。たぶん自分の顔にも同じような痣ができているのだろう。軽く頬をつままれると痺れるような痛みがあった。
作品名:あたらしい朝 作家名:中町