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ちょこ冷凍
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novelistID. 18716
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甘い贅沢

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 水谷の部屋には常に雑誌やCDが積み重なっていてお世辞にも片付いているとは言えないが、何となく過ごしやすいのは部屋の主が醸し出す空気と似ているからかもしれない。
 帰ったらすぐに洗濯物と弁当箱を出さないとうるさいからさー、と先に部屋に入っているように言われるのもいつものことで、最初こそ遠慮があった他人の部屋に足を踏み入れるという行為にもそれなりに慣れ始めていた。
 定位置となりつつある窓際の空いたスペースにエナメルバックを静かに置き、ベッドを背もたれ代わりにして床に腰を下ろす。
 水谷は部屋のレイアウトに相当こだわりがあるようで、ベッドに移動しやすいようにここしか居場所がないようにしてあるんだーと初めて来た日にオレを押し倒しながら得意気に説明していたが、実際その通りなのはここが定位置となりつつあることで証明されているのだろう。
 一番上に積んである、オレなら立ち読みもしないようなファッション誌を手に取り、見るともなしにページを繰っているとガチャンと乱暴な音がして水谷が膝でドアを押しながら部屋に入ってきた。
 ペットボトルとマグカップで両手が塞がっているので肘でドアノブを押し下げたらしい。口には何か四角い物を銜えている。
 雑誌を戻し、手にしているものを受け取ってやると水谷は空いた手で銜えていた物を掴み、ありがと!と笑いながら背負っていたカバンを下ろして学習机の上に置き、コンポの電源を入れると手にしていた四角い物を開く。
 CDだったのか、と水谷がセットをする様子を眺めつつ受け取ったペットボトルのお茶をマグカップに注いでいると、爆音と表現すべき音量で音楽が流れ出して思わず体が跳ねた。
「ビッ……クリしたー!」
「あー、ごめんねー! 目覚まし用にボリューム上げといたまんまだった!」
 慌てた水谷がボリュームのツマミを絞り過ぎたので、今度はほとんど聴こえなくなってしまった。ということは、朝はいきなり電源を落としたのだろうか。
「オレもごめん。ちょっとお茶溢しちゃった」
「いや、オレの所為だし。拭くもの取ってくるね」
 そう言って部屋を出て行った水谷に代わってコンポのボリュームを少し上げて、その横に置いてあるCDケースを手に取る。
 カクテルが入った大きなグラスに浸かった女の人が悩ましげな表情でこちらを見ていて、印象的なジャケットだ。
「栄口、このアーティスト知ってる?」
 CDジャケットに見入っている内に水谷が布巾を手に戻ってきていた。もう片方の手にはお菓子を持っている。
「知らない……と思うんだけど、どっかで聴いた事がある気もするんだよなー」
 誰だっけ?と首を捻りながら布巾を受け取ろうとすれば、いいよと言って水谷はテーブルを拭いて、持ってきたスナック菓子とクッキーのパッケージを開けた。
「オレ今ちょっとハマっててさー。プロデューサーが一緒だから、似た様な曲調になるみたい」
 姉ちゃんの部屋から無断拝借したから慎重に扱わないと、とケースから歌詞カードを取り出した水谷が指差したクレジットに書かれた名前を見て、そういうことかと納得した。
「そんでね、この一曲目がいいんだよ。特に後半!」
 ヘラヘラと笑いながら歌詞カードを差し出し、最初から聴いて! とテーブルの上にあるリモコンで曲頭へ戻してから、水谷はチョコレートがかかったクッキーを口に入れる。
 水谷の隣に腰を下ろしたオレは流れてくる曲と水谷の熱唱のどちらを聴くべきか迷いながら、受け取った歌詞カードを目で追った。

「どう?」
 二曲目を口ずさみながら、クッキーを摘んだ水谷が顔を覗き込んできた。
 顔を上げて水谷と視線を合わせると、そのまま軽く口付けられる。
 ふわっと香ってきたのはバニラかチョコレートか。
「甘い」
 照れ臭くてなるべくぶっきらぼうに答えたが、水谷は気にもしないようだ。
 そうじゃなくてさ、と摘んでいたクッキーをオレの口元へ持ってくる。
 素直にそれを食べてやれば、満足そうな表情を浮かべながら唇を合わせ、栄口も甘くなったね、と笑った。
「オレから栄口へのメッセージなんだけどなぁ」
 クッキーを摘んでいた右手を布巾で拭いてから水谷が手を絡め、オレの手を口元に寄せていたずらっぽく上目遣いで見つめてくる。
「栄口と一緒にいられるなら、オレも他のものはぜーんぶいらない」
 そんなこと言ってたって、服も靴もCDも、新しい野球道具でも水谷はすぐに欲しがるだろう。
 そう思っても、オレは水谷を嘘吐きと冷たく罵ることができない。
「……結果オーライ、ってのがお前らしいんじゃない?」
 オレの精一杯の嫌味も意に介さず、水谷は同棲決定だね! と満面の笑顔で抱きついてきた。
「まだ何も言ってないんだけど……」
「だって恋に堕ちてるし」
「お前、よくそんな恥ずかしいセリフが口にできるな……」
「栄口が本当に嫌がってる時とか出来ないお願いしちゃった時って、オレ、ちゃんとわかるんだよねえ」
 だからいいでしょ? 将来、一緒に暮らそうよ、と腕を緩めながらオレの顔を覗き込んで甘えた声で囁いてくる。オレが水谷のそういう態度に弱いこともわかっていてやっているのだろう。

 大体、将来っていつだよ。
 高校を卒業した後?
 オレは家から通える範囲で進学するつもりでいるし、家族もきっとそれを望んでいる。
 じゃあ就職してからか?
 どんな職業に就くか、どこに配属されるのかもわからないのに約束なんてできるわけないのに。
 そんな状況でよく簡単に一緒に暮らそうなんて言えるな。
 ああ、未来はわからないってあのオネーサンも歌ってたからいいのか。

 非難の言葉は次々に浮かんでくるが、それでも水谷に伝わることは無い。
 そんな自分が悔しいのを通り越して情けなくなりながら、黙って水谷の背中に腕を回す。
 水谷はいつも唐突だ。
 思い付いた事を頭の中で吟味も推敲もせずそのまま口にするので、今日のこの会話もおそらく三日後には忘れてしまうだろう。どうせ同棲の提案だって、あの曲に影響されただけで真剣に考えているわけではないのだ。
 そんな風にしか思えないぐらい、オレにとって夢見がちで忘れっぽい水谷の言葉はいつも軽い。
 それでも嬉しかった。
 同性同士という、世間どころか身内にだって理解されないであろう二人の関係が続くことを、今この瞬間だけでも水谷は望んでいてくれるのだから。
 同時に、日毎に水谷への依存が増していく自分に嫌気が差してくる。
「栄口、どうしたの?」
 肩口に顔を埋めたまま何も言わないオレの髪を撫でながら、水谷が不安げに声を掛けてきた。そのまま襟足まで手を滑らせ、短くて絡まるはずのない髪をぐるぐるとかき混ぜるように指先で玩ぶ。
「くすぐったいよ……」
 少し笑って身を捩じらせれば、両手でオレの頬を挟み、ネガティブな思考を咎めるかのようにたっぷり見つめてきてから唇を寄せてくる。

 水谷と一緒に暮らしたくないわけではない。
 真面目に考えたって今すぐ将来の事など決まるわけではないのだから、明るい未来だけ思い描いていればいいじゃないか。
作品名:甘い贅沢 作家名:ちょこ冷凍