花村見舞い観察記
水底から引っ張り揚げられるように意識が浮上した。ぼんやりした感覚が捉えたのは、自分を呼ぶ声と肩を揺さぶる手。
声の方を見れば、相棒の顔があった。
「…目、覚めたか?」
「…………お、ぅ?」
周りを見るとまぎれもなく自分の部屋。
(あぁ、夢か………)
夢、と思い出した瞬間に最後のシーンがちらついて、陽介はぐしゃりと髪をつかむ。
吐いた息が、小刻みに震えていた。
「クマに泣き付かれてさ」
「へ?…クマ?」
「ヨースケぇ!!」
ぼすっ。
「うぉっ、重、ちょっこらどけクマきち」
「ヨースケヨースケヨースケぇ〜〜〜!!」
寝起きで気づかなかったが、先程からクマも部屋にいたらしい。勢いよく陽介に抱きついて頭をぐりぐり押しつけた。
「こんな状態だったから。さっきまで下の階にいたんだけど上がってきた」
「クマ、病人だから」と相棒がクマの首根っこをつかんで引き離す。いきなり抱きつかれたおかげでぶつけた腕が痛い。あと右の額―――額?
「悪い陽介。そっちの犯人は俺だ」
「へ?」
陽介が起きたって皆に知らせてきて、と相棒が頼むと、わかったクマーとクマが応じた。
騒音の元がいなくなって、不意に部屋が静かになる。
「平気か?」
相棒が顔を覗き込んだ。
「だいぶうなされてたけど」
うなされてた?マジで?マジで。相棒が頷く。
「あぁ……や、たいしたことねぇん」
そこまで言いかけて―――いつもの癖で言いかけて、一度口を閉ざした。
胸の奥から、息と本音をゆっくりと吐き出す。
「………ヤな夢見た」
「そうか」
「―――ん」
吐息がまた、かすかに震えた。
そうか。…もう一度言って、相棒はベッドにもたれるように座り直した。
「………?」
「じゃあ、」
灰色の瞳がふっと笑う。
「俺はもうしばらくいようかな、ここに」
――――そばに。
「…………………」
ぷっ、とふきだした。
「お前、だからそういうことはオンナノコに言えっての」
「俺だってオンナノコに言いたいよ」
くくっ、と相棒も笑う。
―――笑っていた、のだが。
オンナノコ、と自分で言った後、サッと相棒の顔色が変わった。
「え、どした?」
「やばい」
陽介の言葉も聞こえていないのか独り言のように漏らすと、慌てて立ち上がり部屋を出ていった。しばらくして、階下から「あぁ〜」と声が聞こえる。
え、何が、何が?
一人でうろたえまくっていると、開けっ放しのドアから相棒が戻ってきた。
「ごめん、陽介」
今日の相棒は謝ってばっかだ。
だから…何が?珍しく落ち込んでいる相棒に、陽介がかける言葉を探していると。
「花村起きたってー?」
ひょこっとショートカットが現れた。
「先輩だいじょぶ?」
「おいクマ、落ち着けって」
「オヨヨヨ……」
「あ、少し顔色良くなりましたね」
その後ろから次々と。
「あれ、お前らいつの間に…?」
「すぐ戻ってくるっつったじゃんよ」
「ねー」
「俺も風邪じゃねえってわかってもらえたんで」
口々に喋りながら、陽介の狭い部屋にどやどやと押しかける。おかげで密度がすごいし、賑やかすぎてもう一度寝直すなんてどう考えても無理。
なぁお前ら、ここ病人の部屋だってわかってる?
いつの間にか、
さっきよぎったばかりの悪夢の名残なんて、キレイさっぱり押し流されていった。
「お待たせー」
まだ顔を見せていなかった雪子も上がってきて、全員集合。………手に、小さい鍋を持って。
……鍋?
「なぁ、…何ソレ?」
「お鍋だよ?」
…うん、それはわかってる。
他のヤツらの顔を伺うと、そろーっと視線を外していった。何その『思い出したくなかった…』みたいな反応。
「…さっきまで俺もついてたんだけど」
陽介の様子見にきた隙に…と相棒。
「すみません、僕達も目を離していて…」
「面目ないっス」
1年2人も謝る。まぁ荷が重いよな、この3人を止めるのは。
「大丈夫、身体にいいもの沢山いれたから」
「ちゃんとお豆腐も食べやすくなってるよ」
「………ってなぁ」
「何さぁ、食べてみなきゃわかんないっしょー?」
どこからその自信が来るのか。3人娘の手によって鍋は陽介の前に置かれてしまった。
蓋がされたまま、中身の物体と睨み合う。風邪のせいで鼻が利かないから余計に怖い。
「一応聞いとく。自己申告じゃ中身はなんだ?」
「お粥だけど」
てか自己申告って何さ、と千枝の声。
お粥ねぇ、そういやそんなこと言ってたような。
蓋に手を乗せて、一度深呼吸。生半可ながらも覚悟を決めて、パッと蓋を開けた。目に飛び込んできたのは、
どぎついオレンジ色。
「ぶっ!!」
お粥は白だろ!!
「っはは、」
どう?と顔に貼りつけた女子3人と、うわぁ…とため息をついた他の面々。状況がわかってないのはクマ。
「なんだこの色…何入れたんスか」
「オレンジの食物って、候補多いですからね…」
なぜか推理しようとする直斗。
「くっ、はははっ」
「陽介?」
訝しがる相棒の声。やばい、返事できない。喉からこぼれるのは笑い声のみで、息が苦しい、腹筋痛い。
「え、あれ?『雪子スイッチ』入った?」
なんで?え、コレ?千枝がお粥を指差す。
「うわ〜、めずらしい光景」
驚くりせに続いて雪子まで、
「熱で頭おかしくなった?」
お前が言うな!笑ってるせいで反論できないのが悔やまれる。
「……それか、嫌な夢を見た反動かな」
俺にだけ聞こえる声量で、相棒がぽつりと言った。…あぁ、当たってるかもしれないな、それ。
くっくっくっ、ツボには入ったけど雪子ほど長引きはしない。笑いの余韻を引きずったまま口を開いて―――
―――熱のせいか、夢のせいか。はたまたスイッチが入りっぱなしだったのか。
俺がトチ狂ったことを言い出したのは、なんでだろうな?
「スプーン、」
「へ?」
それを持ったままの千枝が問い返す。
「スプーン貸せよ。これ、食う」
「陽介!?」
「ァあんた何考えてんスか!?」
「熱で判断力が鈍ってるんでしょうか…」
「ヨースケ勇者クマー!」
陽介が言った途端にこの反応。後ろに制作者いるぞ…と一応指をさしてみたが止まる気配もない。
それを見てさすがに怖気づいたらしい千枝から、スプーンをピッと奪い取る。
「あっ……!」
「なんだよ、俺のために作ってくれたんじゃねーの?」
茶化して言うと、「う…そりゃ、そういうことになるけど」「花村君にそう言われると否定したくなるよね」と言われる。ひでぇ。
とりあえずお粥…らしきオレンジの中をかき回してみた。一口大以上の固い物体が出てきて……なんだこれ。
「花村先輩、やめたほうが…」
鼻が正常にきいている4名の目が『やめとけ』と言っている。
…陽介も、自分が何故コレを食べようとしているのかわからなくなってきた。なんでそんな前向きなんだ、今の俺。
―――アレだ。熱のせいだ、やっぱり。
さっきから意味もなく嬉しいのも、顔が無意識にニヤけているのも、きっと熱のせい。
―――スプーンに半分だけお粥をすくって、口に運んだ。
「――――ウッ」
「だから無理するなって」
END