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白雨情景

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「へぇ……それで、どうなさったんです?」
 柔らかな女の声に応えるように幾重にも重ねられた薄物がもぞりと動いた。通町南、廻船問屋長崎屋の離れでは、暦の中で世界が回っている。現実では夏も盛りだというのに、夕立の色が淡くなったと言っては一枚、蝉時雨が惜しむように聴こえると言っては一枚と増やされていく夜着の山は、既に冬支度と言っても過言ではない程膨らんでいた。
離れの主が大層身体の性の弱い上に、周囲の者が嗤いを超えて心配する程の甘さ振りを発揮するために出来た環境である。綿入れ一枚の方がまだ涼しいだろうというような山の穴から、住人が小さく顔を覗かせた。舞台役者のような美形が周囲の様子を窺うように視線を配る。紅も差していないのに艶やかな色彩をのせている唇をうっそりと引き上げた。
「おや、鈴彦姫も知りたいのかい?」
「そりゃあ、もぉ。……屏風のぞきさんも、意地悪言わずに話を進めてくださいな」
 八乙女姿の少女は、その愛らしい面を曇らせると頭の飾る鈴をちりんと鳴らす。先客だった鳴家達の小山もぎゅわぎゅわと鳴き出した。一同が真剣な面持ちで己を見ていることに気を良くしたのか、屏風のぞきは市松模様の袖で口元を隠して意味深な視線で応えると夜着の重ねを蹴り上げる。
「……それじゃ、先ずは腹拵えだね。おい、誰でもいいから、あたしに星の菓子をおよこしな」
「えぇ? 金平糖なんて、誰も持っていませんよ?」
「そうですとも」
「横暴ってもんですよ、」
 口々に出る非難の声にも派手な付喪神は何処吹く風というように自慢の美貌を微塵も崩す事は無かった。指先が舞いの所作のように一点を差す。
「文机の下をご覧ね。小さな袋が貼り付けている筈だよ」
 察しの良かった一匹が怖い顔に笑みを浮かべて端に置かれている机に走る。数寸のそれは、あっさりと机の真下に移動すると両手を大きく伸ばした。べりり、引き剥がされる音ともに綺麗な和紙に包まれていた星の子供が振り落ちる。団子と化して屏風のぞきの傍らにいた小鬼たちが、それを見て我先にと駆け出した。
「あたしに渡す前に口に入れた者を見たら……話すのをやめるからね」
「まさか……それは、若だんなのものじゃありませんか。それを……まぁ、いらっしゃらない間に掠め取るなんて、非道もいい所ですよ」
傍若無人に言い放つ様子に、神事を司っていた鈴の末が眦を引き上げる。屏風のぞきは乙女の顔に己のそれをずいと近づけると、怯えたように腰を引く鈴の妖に勢い良く吐息を吹きかけた。
「何言ってるんだい? あたしは、若だんなのことを思ってやってやっているんだよ。何時だって……。……そう、今日のようにね。居留守役だって務めているし、この菓子ことだってそうさね。あたしは盗むつもりなんて無いよ。態々、食べてやろうと言ってるんだよ」
 若だんなこと一太郎は幼馴染みの栄吉のところへと遊びに行っている。離れは開け放たれている為どうしても人型の替え玉が必要だった。もし、いなくなったことが発覚したら、両親はもとより恐ろしく大甘な兄やたちが、黙っているわけは無い。家中の者を探索に充てるだけでなく、奉行所にまで駆け込み兼ねない勢いと行動力があった。屏風のぞきの言葉と行動には理があるように見せる手妻からくりが仕込まれている。一太郎のささやかな『悪戯心』を叶えてやるという建前と、その実、屏風のぞき自身の生来の勝手気質を満たすという相互の利点であった。これまでも幾度も務め上げている実績が言わせている台詞と表しながら、承服できない様子で口を噤む鈴彦姫に駄目押しとばかりに言い募る。
「ほら、若だんなは身体が弱いだろ? なのに、家人は皆、滋養があると言っては甘いものを食べさせようとする。犬神にしても白沢にしても、やれ、何処其処の練羊羹だ、辻売りの飾り飴だ……離れには、いつも菓子の包みでいっぱいじゃないか。……そんなにたくさん食べられるようなお人だったら、もそっと元気だとは思わないかい?なのに、」
「それは、そうだけど……、」
口元を舞扇で隠しながら首肯する女を見て、咽喉から零れそうになる笑い声を必至に押さえ込みながら屏風のぞきは先を続けた。
「若だんなは優しいお人柄だからね。あたしたちに、よく分けてくれるだろう? でも、あの小煩い白沢なんかは、その分量を推し量りながら、若だんながどれくらい口にしているのかを見ているんだよ。だから、こんな風にひっそりと隠しているってわけさね」
「なら、われ等で食べてしまっても若だんなは怒ったりするどころか、逆に喜んでくれるということですね」
「協力ということで」
「そうそう。親切心っていうのは徳が無くちゃ出来ません」
「ほら、人間みたいに欲が顔に出ているようでは出来ないものです。その点われ等は、」
 次から次へと美貌の付喪神の方便を引き継ぎ行く鳴家たちを前に鈴彦姫は根負けしたように溜息を吐く。
「分かりましたよ。菓子の件は、どうでも食べたいのでしょう? そんなことくらいで若だんなは怒るような方では無し……。この際口の中には目を瞑りますから、若だんなの幼い頃の話を続けてくださいよ」
 屏風のぞきは鳴家から受け取った小さな菓子を口に含むと嫣然と微笑んだ。


「あれは、若だんなが、まだ『坊ちゃん』だった頃で……、初めてこの離れに来た日のことだったよ。丁度こんな感じの日和でね……」



 後から長崎屋に来たというのに大きな顔をして、あたしに意見するなんざ、一体、どういう了見なんで。しかも……。
屏風のぞきは屏風から抜け出して脇息に身体を預けると、朝のことを思い出し忌々し気に舌を鳴らした。

朝といっても時刻はまだ早く、太陽がようやく屋根の天辺を掠める程度の頃だった。人間たちに仁吉と呼ばれている妖怪白沢が突然離れを訪れた。静かながら素早い動きで戸板という戸板を外すと真直ぐ屏風前に進み来た。屏風のぞきの眼前に現れた丁稚姿の少年は幼いながら涼やかな美貌を紙面に近づける。
一体、何がどうしたってんだい!
この形の良い唇は何を紡ぎ、どんな声を発するのだろう、そんなことを考える余裕も無く、屏風のぞきは片手で本体ごと運ばれた。仁吉は、声も出せぬ程驚いている付喪神のことなど頓着しないと言わんばかりに、朝日の降り注ぐ庭に屏風を立てかける。と、姿絵に己の腕をめり込ませ、一気に引き抜いた。
「ぎゃ!」
強引な行為に身体に痛みが走る。しかし、その刹那、次の災厄が待っていた。大敵である陽光が雨の如く全身を濡らす。非難の言葉を紡ぐべく大きく口を開く寸前で、怜悧な双眸が屏風のぞきを射止めた。
「屏風のぞき、」
 初めて聴く音だった。それが自分の名を読んだということを理解する前に冷たく心地好い氷の音楽が紡がれる。
「今日は、親類縁者が寄ることになっている。坊ちゃんの様子を見に来るというのだが、恐らくその体調の『悪さ』を確かめに来るだけのことだろう。最近、益々口さがなくなってきている悪心たちの言葉を、坊っちゃんのお耳に触れさせるのは忍びない。今日のところは、ここで過ごすことにしたから、お前も分を弁えて、くれぐれも坊ちゃんに失礼の無いようにするんだ。……もしも何かしたら、その時はこの屏風ごと風呂の焚付けにしてくれるから承知しておけ」
作品名:白雨情景 作家名:COH+