二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

千代には遠く

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
閉じた場所だ。

 口に咥えた煙管を緩く歯で噛んだまま小さく揺らす。元より招かれた客人の身で煙を撒き散らすつもりはなく、火がついていないのはいつもにしても煙草を詰めてすらいない。適当にゆるりと煙管を弄びながら、オランダは今更のことを思う。
 狭く、矮小で、かちりと閉じたこの場所は、眼の前にいるこどものような外見の男と確かにどこか似ていた。柔和な笑みを口元に浮かべながらその実用心深い眼で周囲を見渡し、時に驚くほど強硬な策に出る大胆さを持ち合わせている。そしてそれをこの小さな頭の内部に内包したまま、曖昧に笑う閉じた男だ。
 だって、何か物騒でしたから。私は、面倒事は避けたいんですよ。
 それまで自国に受け入れていた二人を次々と、断固たる態度で追い出した後に、顔の表面にだけは困ったような曖昧な笑みを浮かべながら日本はそう言った。
 貴方とは、長い付き合いになりそうですね。有益な情報をいつもありがとうございました。どうぞこれからも、よしなに。
 その眼にちらついた老猾な光を見落とすほど、オランダも盲目ではないつもりだ。荒ぶる海を越え極東の地で出会ったのは、色味の違う膚とオランダの周辺の男たちと較べればこどものような短躯にやはり童のような顔を持つ、けれど幼い無邪気さとはかけ離れた雰囲気を持つ不思議な男だった。

 出されていた菓子も茶も平らげてしまい、手持無沙汰に煙管を揺らしたまま日本を見る。閉ざされた場所のさらに奥の奥、密やかに用意された一室。
 布をそのまま身体へ巻いたような異国の装束を纏った男は、手元の文書に眼を落としながら不意にくすりと笑みを零してオランダへ向き直った。
「申し訳ありません、お構いもせず」
 視界に揺れる煙管を見たのだろう、目線をあげた黒々とした瞳に見つめられれば少しばつが悪くなり、オランダは生真面目な顔で答えた。
「や、気にせんでええわ。早よ済ませる方がええに決まってるでの」
「いえいえ、少しばかり熱中しすぎてしまいました。不躾でしたね」
 そう言って、彼ははんなりと笑いながら手元の文書を脇に置いた。それはオランダがこの場所へ通う条件として渡す国際情報諸々が記載された書である。
「今回も、ありがとうございました」
 礼をする男の艶やかな緑の黒髪がさらりと頬を零れおちる。
「……早いんやざ、もう済んだのけぇ」
「ええ、まあ」
 そうならばそうだと言えばいいものを、語尾をぼかして首を傾げる。オランダは煙管を手に持つとそれで男を指しながら言った。
「来るたびに早よなってる気がすっざ。適当なんとは、ちゃうか?」
「あっ。失礼ですね、ちゃんと読んでいますってば」
 せっかくくださっているものを粗雑に扱ったりしませんよ!普段はあまり変わらない顔に少しばかり焦った色を乗せて、日本が答える。日本は集中している時は常にも増して黙々として、話題を振ってもやや反応が鈍いことが多い。その様子にどうやら本当にひと段落したと悟って、オランダはそれではとばかりに背に置いていた荷物を引き寄せた。ひとつめの捧げものは、風説書。そしてもうひとつ。
 取り出したものを見て、日本が笑った。
「また、新しい色ですね」
 そして象牙色の指が伸ばされ、オランダが差し出した花を受け取った。桃色に近い色合いをした赤のチューリップは異国の者の手に渡ってなお、堂々と首をもたげている。
「お可愛らしい」
 花弁を指でつ、となぞりながら、基本的には内に籠った雰囲気を纏う日本が、途端にやや華やいだ色をだす。名産なのだと持ちこんだそれを渡すたび、日本は小さく笑う。時にオランダに質問を投げかけながら、生真面目く難しい顔をして風説書を読みこむ姿からの変化はわかりやすく、オランダはこの順番で土産を渡すことにすっかり慣れてしまった。
 この男はおかしなほどに自然を愛でる、のだ。
 花が咲けばそのたび微笑み、吹く風ひとつひとつに違う名前をつけ、移りゆく季節を逐一指折り数えながら過ごしていく姿は緩やかで、とても激動するこの世で同じく生を受けたものとは思えないほどに平和ぼけして見えるものだ。
「毎度思うわ、日本は引き籠りのくせ呑気すぎるっちゅう」
「余裕があっていいでしょう?」
 オランダは無言でふふ、と得意げな笑みを漏らす男を小突いた。それを慌ててかわしながら、やはり男は微笑む。
「やめてくださいよ、もう」
 最近、少し、気安くなった。こういう時にオランダはそのことを自覚する。以前にも似たような些細なことで、オランダがかるく小突こうとした瞬間、ぱっと青褪めた日本はさらに奥まった部屋へと逃げ込んでしまったのだ。危うく出禁になるところだった。とにかくこの相手は案外知恵が回るわりに世間知らずで、しかもそのことを認識しているものだから自分の危機に敏感な厄介な男だった。臆病で小心な動物に徐々に近づくようにしなければ、途端に掌を返されかねない。
「最近、楽しいんですよねえ……」
 日本がふと零す。この男にしては珍しいはっきりと喜を表す言葉に、オランダが視線を向けると、彼は眼元に淡い笑みを刻んだまま噛みしめるように言った。
「貴方がくださるものが私のうちの方々へ広まって――語学も医学も、物理、天文、あらゆる文化や技術がどんどん浸透していって――何だかみなさんが活発で、気持ち良いんですよ」
 貴方がいてくれて良かった。
 しみじみと呟かれて、オランダはほうけ、とだけ答えた。それから何か、それだけでは足りないような気分になって付け加えた。
「こっちも色々貰っとるからあいこ、ちゅうわけやでの」
 すると日本は意外なことを聞いたと言わんばかりの顔をしてオランダを見つめ、
「そ、そう言って頂けると幸いです心苦しいです恐縮します……あ、そうだオランダさん。こんなものお土産にいかがですか?」
 不意にぱたぱたと甲斐甲斐しく動いた日本が物影から取り出したものを見て、オランダは思わず感嘆した。
「ほう。立派なものやざ、何ね?それは」
「私のうちで作っている焼き物なんですが―――」
 眼を奪うような細かい文様に、赤、緑、青、黄と鮮烈な色合いで彩色した磁器は実に見事な造りで、オランダは差し出されるままにそれを見分した。
 話には、聞いていたのだ。海を越えた先にある、独特の文化が栄えた遠い小さな島国。
 それでもこの眼で見るまでは、異様な風貌をした見慣れぬ者ばかりが住まう、野卑な場所ではないかと疑いもしていた。
 オランダが不意に視線を落とせば、ちょこんと小さく座っている男が、また首を傾げてみせる。
 狭く、矮小で、かちりと閉じたその中に時にはっとするほど絢爛なものを秘めているこの閉ざされた小さな箱庭。
「……お前によう似ているでの」
 鮮やかな磁器を前にして呟いた言葉に、日本は曖昧に微笑んだままだ。ああこれは伝わってはいまいと思い、説明する気にもならずオランダは気に入ったから貰っていく、とだけ告げた。
「それはよかった」
 光栄です。頭をさげた男の髪がもう一度揺れる。オランダは自分へ向けられた小さな丸い頭を見て、思いつくままに手を伸ばしてみた。
 初めて触った黒髪は、絹糸の束のような手触りがした。
「………あの、どうしましたか、オランダさん…?」
作品名:千代には遠く 作家名:karo