すれ違いと勘違い
その日姫子は、もうすぐ訪れる聖夜の日に千歌音に渡すプレゼントを選ぶ為に街へ出てきていた。
想いが通じて、やっと二人で送れるクリスマスだと姫子は張り切っていた。汗を流しながら働いたお金の入った財布を手に、目当ての店に入る。そこには色とりどりの毛糸が並び、鮮やかだという印象を持った。
姫子は毛糸が並んだ棚を一つ一つ見ていく。初めて二人で送るクリスマスなのだから、プレゼントは手作りがいい。これからも寒い時期が続くから手袋よりマフラーの方が良いだろうか。
やがて姫子は棚から青色の毛糸を手に取った。やはり千歌音にはお月様…青色が良く似合う、そう思って取り出したのだが、少し考える。そして姫子は青色の毛糸を棚に戻し代わりに赤色の毛糸を取り出した。
千歌音は喜んでくれるだろうか、どんなに不格好なマフラーになっても笑わないでくれるだろうか。
そんな不安とも期待とも言えぬ気持ちを抱いたまま、姫子はレジへと向かった。
「……来栖川?」
「…え?」
*
息を吐くと白い煙が浮かんで消える。千歌音はその現象が好きだった。何時もは見ることのできない空気を見ることができ、感じることのできない空気の存在を感じることができるから。
もうすぐクリスマスと言う事もあって街は煌びやかに輝いている。
姫子には内緒でバイトで貯めたお金。このクリスマスだけは自分で働いて稼いだお金でプレゼントを買いたかったのだ。
プレゼントは何が良いのだろう、やはり手編みのマフラー等が良いだろうか、などと考えていた千歌音の顔はとても幸せそうであった。
そうして見つけた一件の店。そこに入ろうとして、千歌音の動きが止まった。
――姫子が、いた。それも見知らぬ男性と一緒に、楽しそうに笑いながら。
ずき、と胸が痛くなった。ただ、姫子が男性と話しているだけなのに、それだけでこんなにも胸が痛くなるなんて。
……馬鹿げている。あの人は姫子の古い友人なのかもしれない。だから久々の再会に嬉しくなっているだけだ。自分は少し疑心暗鬼になりすぎている。
はぁ、と一つ溜め息を吐いて店内に入ろうと歩を進めた、その時だった。
(――ッ!)
姫子とその男性が、店内というのも関わらず嬉しそうに抱き合っていた。姫子も男性の背中に手を回し、本当に嬉しそうな顔をして、抱き合っていた。
それを理解した途端、千歌音は走り出していた。特に当てもなく、ただただ走っていた。一刻も早く、どこまでも遠くあの場所から離れたかった。走りながら、涙を零した。
全力疾走で屋敷に戻り、扉の前で息を整える。それでも涙はとまらず、仕方なく腕でごしごしと拭う。
姫宮の跡取りであろう者が下女の前で涙など流してはいけない。年末ということでメイドの殆どが帰郷しているが、何名かは残っているのだから。
心を落ち着かせて、大きな扉を開いた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
その出迎えに千歌音はきょとん、とした。そこに立っていたのは乙羽一人だけであった。乙羽は千歌音が物心ついた頃からずっと側にいてくれる、お姉さんの様な人だ。だから千歌音は乙羽にだけ恋の相談などを持ちかける。今回だって、千歌音がバイトをしていたのを知っているのは乙羽だけだ。
バイトをしたいと言ったら、酷く驚きながらも千歌音の意図を一瞬にして理解し、微笑んでくれた乙羽。その乙羽の笑顔を見たら、何故だか再び涙が溢れてきてしまって。
「お、お嬢様!?」
「ごめん、なさ……っ、お金、無駄になっちゃ……っ!」
折角応援してくれたのに。折角頑張れって言ってくれたのに。
乙羽に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そんな空気に耐えきれず、千歌音はまた自分の部屋へと逃げてしまった。
ベッドの中で丸くなり、瞼を閉じる。寝てしまえば何もかも忘れられる。それなのに眠気は全く訪れず、逆に街で見た光景が再び浮かんでくる。
――やはり、姫子は女の子同士よりきちんとした異性との付き合いの方が良いのだろうか。いや、そっちの方が良いに決まっている。
姫子は優しいから、千歌音の告白を受け入れてくれたのだ。だから、千歌音が傷付かないようにと、千歌音が悲しくならないようにと今まで付き合ってくれていたのだ。
…きっと本当は姫子はあの男性の事が好きなのだろう。だから抱き合ったときあんな表情を浮かべたのだろう。
このままでは姫子は自分の想いを殺したまま、人生を生きてしまう。そんなのは嫌だ。姫子には、幸せに生きてもらいたい。
そのためには、千歌音から身を退かなければならない。千歌音は強く決心し、貯めたお金の入った財布を見つめた。
涙が止まらなかった。
*
「久し振りだな、来栖川」
「大神くん!」
驚いた。ソウマは乙橘を卒業した後東京の大学に進学し、医学を学んでいると聞いた。それに、ソウマはモテる。だからてっきり向こうでできた恋人と共にクリスマスを過ごすものだと思っていたのだ。それがまさかこんな所で再会するなんて。
どうしてここに、と理由を問うてみたが苦笑するばかりで話してはくれなかった。
「それより、どうなんだよ」
「え?」
「幻の想い人」
その言葉を聞いて漸くソウマの言わんとしている事を理解した。
「うん、会えたよ」
世界で一番愛おしい人。
その人の顔を思い浮かべるだけで幸せな気持ちになるのだ。そんな姫子の表情を見たソウマは、姫子が今とても幸せだという事を感じる。そう思うとなんだか自分まで幸せになって、衝動的に姫子を抱きしめていた。
「よかったな来栖川!」
突然の出来事に姫子は驚いたが、ソウマが二人の再会を喜んでくれているのがわかり、千歌音を思い浮かべながら笑顔で抱きしめ返した。
それからソウマとは他愛もない話をして別れた。ソウマが喜んでくれたからだろうか、何故か千歌音に会いたくて仕方ない。いつの間にかその足は小走りになっていた。
屋敷の前に着きその大きな扉を開ける。開けた先に険しい顔をした乙羽がいて、姫子は少し驚いた。
「お嬢様に何をしたのですか」
ぎくりとする。
いや、千歌音はまだ子供ということもあってまだキスまでしかしていないのだが、深い方のキスを何度か無理矢理してしまった事も…それに理性が限界にきて押し倒してしまった事も何度かあるがそれはそこで押しとどまっているから無問題のはずでは……
「泣いていましたよ」
「……え?」
「お嬢様、泣いておられました」
乙羽の言っている事がわからなかった。千歌音が泣いていた?何故?そう問おうとした姫子の言葉を遮り、乙羽は姫子に早く千歌音の部屋へ行けと罵倒した。泣いている理由は自分で確かめろ、という事らしい。どちらにしろ泣いている千歌音を放っておくなど姫子にはできるはずないのだが。
「千歌音ちゃん?…入るよ?」
扉をノックしながら名前を呼んでみたが返事はなく、少し開けてみてもなんの反応もなかった。
部屋を見ると千歌音はベッドの上で体を起き上がらせ、窓から覗く月を眺めていた。その背中がなんだかとても小さく見えて、消えてしまいそうで、姫子は抱きしめたいという衝動に襲われた。
「こっちに来ないで」
「!」
一歩足を踏み出すと、千歌音の声が部屋に小さく響いた。
「千歌音ちゃん…」
「触ら…ないで」