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【太妹】今、僕は幸せです

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とあるお山に、神様ひとり。

姿見えぬが、供物は消える。そして叶うは、誰もが願う黄泉への旅路。

いさ、皆様いらっしゃい。





パキ、と足元で小枝の割れる音がした。

もう、かれこれ数刻は進んだ筈なのだが、村人に聞き及んだ社の気配どころか、其処に繋がるであろう参道すらも見当たらない。

(噂は真ということか…)

村の者なら誰もが立ち入る場所であるが、時折、風の噂でも聞きつけたのであろう余所からの旅人が数人連れで訪れる事があるらしい。彼等は、山に入ったきり誰一人として帰る者はいないという。

何度かの後、それを危惧した村人が山に入った彼等の後を追ってみれば、突然の靄があっというまに彼等を引きはなしてしまい、晴れた後にはやはり誰もいないのだ。嘘か真か、靄の中で紅い社の屋根を見たと云う者もいたが、いくら探そうとも山には其の様な建築物もなく、狐にでも化かされたのだろうと考えているらしい。

「余所じゃあ、神隠しだぁ何だぁ言うとるが、わしゃあ心中に来たもんを妖が攫ってくとすら思えてならんさ」

「本当に誰も、姿を見た者はいないのですか」

「ああ…いや、そういう時に誰かを見たりはせなんだが…いつも餓鬼どもがなぁ、妙な事を口走ると云うか」

「妙なこと?」

「ああ、いやなぁ、教えた事のない文字を覚えたり、知らない都の鳥について話したりさ。最初こそ、どこぞの行商やら旅のもんを掴まえては、話でもせがんでたのかと思うとったが、どうやら其れもよう考えりゃおかしいんさ」

「何故?」

「此処いらは、あんさんも歩いて分かったろうが、山谷入り組んで、めっぽう訪ね難い。行商なんて、生きて此の方、両手の数ほども見かけねえ。なのにさ。餓鬼らは、いっつも口を揃えて言いやがるんだ」




リン、と澄んだ音が響いた様に感じた。

「鈴の、音…?」

思わず耳を澄まさんと足を止めると、突如強い風と共に枯れ葉がぶわりと舞い上がり視界を襲う。

「なんっ、…!」

腕で目を隠して其れに耐えると、目の前にひとつの気配が落ちてきたのが分かった。冷たく、姿を見るまでもなく感じる威圧感と、しかし殺気のない其れに、背筋の凍るような悪寒と、虫が這い登る様なぞわぞわとした落ちつかなさが絡み合って顔を上げられない。

予想以上ってね。ようやくの、お出ましらしい。

「誰?」

リン、と再び何か聞こえた気がしたが、其れを発したのは目の前の気配らしい。何とも不思議な声だな、と思いつつ、そろりと腕を下ろし、そうして覗いた其の面に彼は息を呑んだ。

「もう一度、言います。貴方、誰です?」

きょとんと首を傾げた其の者は、世にも珍しい栗色の髪と瞳を持つ、齢十ほどの童の男児であった。固まる自分に焦れたのだろうか、ひょい、と浮かびあがった彼は観察でもするかの如く、じろじろと己の周りを廻って、最後にふわ、と元の位置に着地した。

「口、訊けないの? 違うよね、だって村の人とは普通に話してました」

再びリン、と音が鳴る。

「そうでしょう? 馬鹿で愚かな皇子様」

可愛らしく笑った其の子の口元の形が綺麗だったのが、やけに目を引いた。

「…どうせ馬鹿で愚かな、私の名前ぐらい分かっているのだろう?」

「貴方から直接聞いてない。名を名乗るのは挨拶の基本です」

何を言うかと思えば。化け物風情に挨拶とは、酔狂にも程がある。あの容姿で何人の者をそうやって騙して来たのだろうか。私は、そうなってなるものか。

「言の葉としたら、お前に喰われるのか」

「僕は人は喰わないよ」

「嘘付け」

「まあ、信じる信じないはどっちでもいいけど…じゃあ、皇子様は何しに来たの? 消えた人等の仇でも取りに来たとか?」

「やはり、お前の仕業か」

「……だったら?」

少し不機嫌そうに唇を尖らせる彼は、姿こそ庇護欲を誘う愛らしいが言っている事は至極酷いものだ。

「ならば、」

脇差しに手を掛けると、やけに不遜で冷静だった彼の顔が恐怖に歪む。一向に背を向けて逃げる気配すら見せない彼に些か違和感を感じるが、其れにほだされようとは思わない。

「私がお前を始末する」

さあ、どう動くか。

散々、人の命をもてあそんだ化け物の末路など、私には同情する余地すらない。

しかし、それでも微かに胸を掠める引っ掛かりが、自分から剣を抜く事への躊躇いを生んでいた。

おかしいのだ。

子供が、誰一人として消えてしまった者が居ないのが。

山菜採りや、薪集めに山に登る子供たちは、一様に口を揃えるそうだ。

―だって、…くんがいるもん。危ない筈が、ないじゃない。

必ず彼等は誰かの事を言っているのだが、不思議な事に彼の名前は何度聞いてもぼやけるそうだ。

「何故、動かない。お前なら、先の様に忽然と姿を隠す事も容易いだろう」

「何です、逃げて欲しいの? 言ってる事がさっきと逆だよ皇子様」

強張った顔を無理矢理歪ませ、嘲るように笑うも、やはり動かない。動けない訳ではない筈なのは、先程からとんとんと当てもなく土を叩く足元を見ても分かった。

「私は、」

ほだされる気は無い。命請いも訊く気は無い。しかし、間違う気は更々ないのだ。化け物が真を話すとは思えないが、ならば一つ賭けでもしてやろう。こいつは頭が良さそうだから、どういう意味かは分かるだろう。

「私は、用明が第二皇子、」

すると、見るみる内に彼の目玉が見開かれる。予想通りの反応を返す彼に、其処で初めて可愛らしい物だと思えた。

「太子と、云う。」

「…そ、れは」

「お前の名を、聞かせてはくれないのか?」

「まさか。人間に使役される気は無い」

「私はしない」

「始末をしたいと言った口で其れを言うとはね」

「そういう割には随分と迷っているな」

礼儀に厚いのか、はたまた生真面目なのか。渋く眉を潜めながらも、小さく口を開くか否かを決めかねているようだ。ともかく其の一番の因は、己が名を明かした事に由来しているのだろう。

無論、真の名を告げたのはみすみす此の身を捕らわれる為ではない。

名は己を縛る鎖ではあるが、己を守る盾でもある。己の価値など見通しようもないが、それでも何百年の時を継がれた血は、並みの妖などに操られるものではない筈だと懸けてみたのだ。

「お前は、どうも人を襲う様には思えんな」

「…人がいなくとも生きていけますし」

「では、何故人が消えるんだ?」

「……消えてなんかいませんよ」

「どういう事だ?」

暫く無言で考え込む様だった彼だが、どうやら応えるまで引くつもりが無い事を悟ったのだろう。一つ、小さく息を吐いて小さく手を振った。すると数十歩先の木々が歪んだかと思えば、目も覚める程の紅の鳥居が姿を現していた。

「あ、れは…」

「陽炎鳥居と云います」

「陽炎…」

「一度だけ、来た者の事を誰も知らぬ場所に導く鳥居…と御伝えしていますが、実際は僕が適当な田舎や町に彼等を連れて行ってるんですけど。まあ、どちらにしても彼等には差異無いでしょう」

「何故、そんな事を」