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翡の伝言

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 夜行の構成員の半数は年端のいかない子供で構成されている。閃もその「年端のいかない子供」の独りだった。
「はやく大人になりてーな」
「なんだそれ」
 庭先にいたはずが建物の方から声が聞こえて振り返るとニヤニヤ笑いを浮かべている翡葉が軒先に背をもたれて立っていた。独り言をつぶやいていたはずが、翡葉に聞かれていたらしい。
「大人になったら独りの空間ももてるでしょ、細波さんみたいに」
「おまえ、大人になったらイコールナンバーースリーになれると思ってるのか。野心家だな」
「そういう訳じゃないっスけど……」
 少し言い方が悪かったかもしれない。閃だって子供たちの世話がいやなわけじゃないし、ひとつ部屋の中で間を詰めて眠るのは仕方のないことだと思ってもいる。
 それが最近自分の空間がほしいと思うようになったのはひとつの理由しかない。
「……が」
「ん?」
「いや、何でもないです」
 やはり人に言えるようなことではない。うつむいて話をそらそうとしたのに、翡葉は閃の頭を右腕で軽くはたく。
「いてっ」
「そこまで言って、内緒ってことはないだろ。何が不満なのか言ってみろよ」
「……頭領が独り部屋だから、いいなって思うようになったってことですよ」
 斐葉はうーん、としばし唸りながら考えていたようだったが、ふと気づいたように告げる。
「なに、一人暮らしがしたいとかそういうことか?」
「まぁ、間違いじゃないですね」
 先ほど閃の頭をはたいた右腕が、今度はぽんぽんと頭を叩く。
「おまえぐらいの年になってそう思わない奴はいないよ。独りじゃないとできないこともあるしな?」
 珍しくこの手の冗談を言わない斐葉が閃に笑いかける。
「そーっスよ、青少年の成長ゆえの悩みですよ」
 その場はそう言って会話は終わり、閃はすっかりそんなことを忘れていたのだが――。

 風呂をあがって廊下に出ると正守が立っていた。
 突然の夜行ナンバーワンの登場に、閃も、一緒にあがってきた秀も目を丸くする。
「どうしたんですか、頭領」
 しかも両腕を組んでこちらを見る目はどこか厳しいものを含んでいる気がする。閃より先に秀がその圧迫に根を上げた。
「あっ、閃ちゃんに話ですかね?だったら俺は退散――」
「いい、気にするな。閃」
「はいっ」
「髪を乾かしたら離れまで来い。いいな?」
 ノーを言う余地もないまま正守はすたすたとその場を立ち去ってしまい、閃と秀は顔を見合わせたのだった。

「頭領に何か言われるようなことしたの、閃ちゃん」
 髪を乾かしていると秀が話しかけてきた。閃は動揺を見抜かれないようにドライヤーを動かす手を止めず、しらばっくれる。
「さーね?」
「最近閃ちゃん頭領に呼ばれること多くない?」
 閃の肩がびくりと震える。最近、夜の時間を皆に内緒で正守と過ごすことが増えている。誰かに気づかれるのも時間の問題だと思ってはいたが。
「……知らねーよ。秀、そんなこと他の奴に言うんじゃないぞ?」
 牽制のつもりでじろりとにらむと、心配そうな顔がそこにあった。
「閃ちゃん、諜報班の仕事がんばってるみただけど、変なことに頭つっこんだりしてないよね?」
 秀は秀なりに心配してくれているらしい。閃の表情がゆるんだ。
「ばーか。危険のない任務なんてねーんだよ。ま、とりあえず頭領のとこ行ってくるわ。でも面倒だから他の奴には俺が頭領のところに行ってるってことは言わないでくれよな?」
 再度釘をさすと秀は真剣な顔で頷いた。
 心のどこかがちくりと痛んだ。

 扉の脇を軽く叩いて来訪したことを告げる。
「頭領。影宮です」
「入れ」
 言われるままに中へと入ると、うすら寒い夜の部屋の中で電気もつけずに正守が腕組みをして閃を待っていた。
「あのう……」
 どこに座ったものかと悩んでいたが、問題はすぐに解決した。正守が立ち上がって閃の首の後ろに手を回して引き寄せたからだ。
「とうりょ――」
 頭領、という言葉は全て告げることができなかった。閃の唇を正守の唇が塞いでしまった。
 すぐに歯列を割って熱い舌が侵入りこんでくる。普段はこんな奪うようなキスをされることはない。唐突な濃厚な口づけに戸惑いながら、それでも必死でキスを受け止める。口の端から透明な滴が流れ落ちて、それでも正守は閃の口内をなぶることをやめようとしない。ややのけぞる体勢になった閃だったが、正守の背に手を回し着物にしがみつくようにして長いキスを受け入れた。
「ぁ……」
 唇が離れると名残惜しくて声が出てしまう。こんなにも、自分はこの人に溺れてしまっている。
 そう思った矢先のことだった。
「嫌なのか?」
 正守が塗れた唇を舐めながら閃に告げてきた。
「はい?」
「俺とこうしているのは嫌か?」
 目と鼻の先の距離で告げられて、意味がわからずに閃はその場に座り込んだ。
「嫌だなんて――」
 そんなこと、考えたこともない。むしろこんなにも嬉しくて仕方がないのに、唐突に否定的な単語を浴びせられて、キスに酔った頭ではただ呆然とするしかない。
 座り込んだ閃の前で正守もまたしゃがむと、まっすぐに閃の目を見て言葉を投げかけてきた。
「おまえ、出ていきたいのか」
「えっ?」
「閃がそう言っていたと、翡葉が」
「翡葉さんが……?」
 そういえばそんなこと言っていたような気もする。
「何か、俺に対して思うところがあるような口振りだったとも聞いているが」
「誤解です!」
 正守がなにをさしてそういっているのか分かって、蒼白になる。
「俺はただ――頭領みたいになりたくって」
「今の俺が邪魔ってことか?」
「そうじゃありません」
 目頭が熱くなってくる。自分はこんなに直情的な人間だったろうか。
「いつも、その、する時は頭領の部屋ばっかりなんで、バレた時のリスクを頭領一人が背負ってるから、俺にも頭領みたいに一人部屋があればいいなあって、そう思っただけです」
 一気にまくしたてると、ようやく激高しかけていた気持ちも収まってきた。どうやら泣かずに済みそうだ。
 正守はしばらく考え込んでいたようだったが――
「何だ、そういうことか。俺はてっきり――」
 頭をかいて閃を見る。さっきまでの棘はどこにもない。少し体を縮める様は恥ずかしがっているようにも見えた。
「俺と、こういうことするのに嫌気がさして、出ていきたいのかと」
 閃は無言で頭を振る。口を開くとまた涙が出てきそうな気がしたので、ただ目線だけで否定する。
「……悪かった」
「……いえ」
 ようやく言葉を出せるようになったかと思うと涙声で、我ながら女々しさを感じる。
「あとで翡葉の奴にも俺からフォローしとく」
「ありがとうございます」
 正守の負担になりたくなくて言った言葉が、いつの間にかすり替わっていて、もう少しで心もすれ違ってしまうところだった。それを考えるだけで、もう今日何度目かわからない泣きたい気持ちがせり上がってきて、必死で押さえる。
 と、正守が閃の肩を抱くようにして引き寄せると、閃を抱きしめた。
「そんな顔を、するな」
 やっぱりばれている。自分の気持ちも、感情も、この人には隠せないのだ。
「泣いていいぞ」
作品名:翡の伝言 作家名:y_kamei