ある一日
影宮閃が髪の毛を伸ばしているのに特に理由はない。女性だと霊力に影響を及ぼすなどとも言われていたりするが、閃の場合は単に切るのが面倒でいたらそれが定着したにすぎない。実際、短い髪だとしょっちゅう刈らないといけないがある程度長さがあると適度に放置していてもOKなのだ。
だから今日も閃は。
「そこのキミ、お茶しない?」
などと茶髪に長身でジーンズをラフに着こなしたチャラ男に声をかけられても精一杯の理性で無視を決める。
「ねえ一人?ねえどこ行くのったら」
なのに今日の相手はしつこかった。閃は夜行の買い出しにきているだけなので、暇でもなんでもない。なのに手に提げた荷物すら男には見えていないらしい。
「悪いが、俺は男だ!!」
指先だけでも変化してひっかいてしまいたい気持ちを抑えて精一杯理性的に言うと、チャラ男はひるむどころかにやりと笑う。
「だから誘ってるんだけど」
「あぁん!?」
「キミ、こっち側の人間でしょ。わかるよ。若くてもね。」
こっち側――つまり。
「なに、あんたひょっとしてホモ?」
「平たく言うとそうだね」
「俺、違うから」
なるべくそっけなく立ち去ろうとすると、ついに男が閃の腕に手をかけた。
「恥ずかしがるなよ」
「そんなんじゃねーよ。放せよ」
「同好の士じゃない。そんなつれなくしなくてもさあ」
男が舌なめずりすると、さすがに嫌悪感が隠しきれなくなってくる。
「俺はホモは嫌いだ。だから寄るな!」
周りに聞かれてもしかたないくらいの大きめの声で否定すると、男はさすがに周囲の目線にひるんで小さく舌打ちする。
「ガキだと思って甘い顔してりゃいい気になりやがって……!」
男が手をあげようとしたその時――。
「はいはい、そこまでねー」
男が上げた手を掴んだ者がいた。黒い着物に黒い羽織を着て、やや時代錯誤な衣装に一見地味でその実精悍な顔を乗せトータルで人目に付かない風貌の青年が閃を助けたのだ。
「頭領!」
「いってぇ、なんだ貴様……!」
「子供に手を挙げるのは大人げないよ?」
さらりと言い放つと同時に背中側に手を捻って身動きをとれなくさせる。
「なんだおまえ!」
「いいからこのまま引っ込んだ方がいいよ?俺あまり男には優しくないから」
「……クソ!」
正守が手を離すと男は再度悪態をついてからその場を逃げ去った。
「大丈夫か、閃」
「ありがとうございます、頭領。俺一人でもあんな奴、大丈夫だったのに――」
「それは余計なことをしてしまったかな」
正守がさらりと言ってのける。こういうところが、この男のスマートなところだと閃は思う。
「助かりました、俺カッとしたら能力使わない自信ないですし」
「なら少しはお役に立てたのかな?この後まだ用事あるの?」
「いえ、帰るだけですが」
「俺も用事すませてあとは帰るだけ。一緒に行くか?」
「はいっ」
正守と並んで歩くのは緊張する。けれどそれ以上に嬉しい。
夕暮れの町を二人でてくてくと歩いていくと、途中の公園で正守が閃に声をかけた。
「ちょっとのど乾いた。おまえ、ベンチで座ってて」
そう言って正守は早足で歩き出す。
「えっ」
「ちょっと飲み物買ってくる」
追いかける暇もなく正守はずんずんと進んでいくので、閃は言われたとおり近くのベンチに腰掛けた。
はあ、と一息つく。変な男にからまれてからこっち、緊張しっぱなしだった自分に気づく。
(まだまだ小心者だな、俺は)
手荷物を脇に置いて、手を上に組んで背を伸ばす。いくらかは体がほぐれた気がする。そのまま左右に体をひねって存分に筋肉を延ばすが、いつまで立っても正守が戻ってこない。
遅いな、という想いが深層から表面に現れてきた頃に、正守が戻ってきた。手には紙袋を持っている。
「悪い、待たせただろ、閃」
「いえ。それよりそれは――」
「ああこれ?ジュースとさ、鯛焼き」
「鯛焼き?」
ジュースを手渡した後に正守は紙袋から鯛焼きを取り出す。白い紙に包まれたそれは小ぶりだが間違いなく鯛焼きだった。
「自販機のそばに売店があってさ。甘いもの、嫌いじゃなかったよな」
「はい、いただきます」
素直にコーラを受け取ってジュースのプルタブをあける。もう片方の手で持たれた鯛焼きを見ていると、コーラにはあわない気がして正守を見ると、正守は茶を飲んでいる。
「どうした、こっちがいいか」
「いや、でもいいです」
正守が飲みかけた茶なんておそれ多い。まして口をつけたなんて。そこに自分も口をつけるなんて――
かぁ、と頬が熱くなってくるのが分かる。こんな他愛もない妄想で自分はなにを緊張しているのか。
思考を振り払うようにコーラで鯛焼きを飲み込もうとするが、炭酸にあてられてむせてしまう。
「けほっ、がは、っ」
「おいおい、大丈夫か?」
正守の手が閃の背に回されようとしたが、前のめりにむせることでそれを振り払うような形になる。あんな気恥ずかしい想像なんかに気を取られているからこうなるのだ。
「いえ、大丈夫です」
まだのどがいがらっぽいが無理に声を出すと以外と平気な声になった。
見ると正守が左手に鯛焼きと茶を持ちながら、右手を手持ちぶさたにぶらぶら動かしながら閃を見ている。
「?どうしました?」
「あー、いや」
こほん、と咳払いをすると正守が手に持っていた鯛焼きの袋と茶とを閃の座るベンチの脇に置き、すう、とひと呼吸入れる。なんだか緊張しているような所作だった。
「頭領?」
「ええと、その、だな……」
正守はポリポリと顎をかいている。こんな歯切れの悪い正守は珍しい。
「鯛焼きでつったつもりはないんだが、おまえ、俺といるの、嫌か?」
「え?」
唐突な単語の羅列に頭がついていかず、鯛焼きを取り落としそうになる。かろうじてコーラをベンチの脇によせた。そうしないとこぼしそうな気がしたからだ。
「さっき言ってたろ?その……ホモは嫌いだって」
「それは……」
ホモが好きな男性がいるだろうか、それはきっとものすごいマイノリティだと閃は思う。普通男は女が好きなものだ。
「俺にさわられるのも、本当は嫌か?」
頭の後ろを掻きながらそう問われて、閃はようやく正守の言おうとしていることに気づく。
「嫌じゃありません!」
「でも本当は嫌いなんじゃ……」
「そりゃあ、ホモは嫌いです、女の子のほうが好きです、でも頭領とのことは別問題です」
なんと言えば伝わるだろうか。尊敬を越えて正守を特別だと思っていること。他の誰にされても嫌なことでも、正守がすることならそれは間違いなく喜びであること。
「……嫌じゃないのか?」
いつも全身でそれを訴えているはずなのに。抱かれた直後は確かに通じあえたと思っているのに、こうして口で態度で説明しなければいけない人間というのはなんと不便な生き物だろうか。
だから閃は目線だけで周囲の様子をうかがい他に人気がないのを確認すると、一番手っとり早いと思われる手段に出た。
両手を伸ばして正守の首の後ろにまわし、そのままぶら下がるようにしてその見た目より若い体を引き寄せる。
「おい――?」