しあわせの残骸
01.きれいな、きれいな、きれいな、きれいな、
ひどい話だった。
ある女性の結婚式の日に、その子の姉が死んだ。訃報が入ったのは、もうすぐ挙式が行われる約30分前で、挙式の寸前まで新婦の耳に入らないようにしていた親族たちの気遣いは無残にも、噂を拾い、面白がった風に届けられてしまったようだった。
嘘でしょう、と涙目になる新婦へと両親はなにも言わなかった。言えなかった。言える筈がない。失ったものは新婦にとってもその親にとっても大きすぎたのだから。そのまま泣き崩れる女性と、幸せを強調するはずの白い衣装は、儚げで無垢に映る。
それは美しく、可憐で、気高いものなのに。
「ハッピーエンドじゃないなんて、認めないんだぞ」
残り少なくなったシェイクを啜りながら、アルフレッドが呟いた。眼鏡の奥にある青い空のような瞳に不満と憤りを隠すこともせずに、右手に持ったシェイクを啜って、左手はジャケットのポケットの中に隠しながら。
隣にいた菊は、それを横目で見やってから、そうですね、と感情を込めずに同意した。黒い瞳は微動だせず、瞬きをいくらかして、小さく深呼吸をする。菊の同意は抑揚の薄いものだったが、アルフレッドは特に気にした様子を見せず、空っぽになったシェイクの入れ物を近くの公共のゴミ箱に放り投げた。綺麗な放物線を描きながら、見事にそれはゴミ箱の中に入る。くしゃん、という中身のない紙の音が辺りに響き、静かに消えてゆく。
「でも、受け入れて立ち直って生きていけば、それはハッピーエンドにはならないですか」
菊はゴミ箱の方を見つめたまま、ぼそりと口にする。それは問いかけでもなかったし、悲しい挙式になってしまった結果を過程にしたがっているように言っているわけでもなかった。あくまで、それはよくある前向きな話にすぎない。
だからアルフレッドは菊が言う通りに、あの泣き崩れている新婦のこれからの先の未来を、明るい方面で軽く思考してみた。
「受け入れて立ち直って子どもを生んで夫婦円満で、子どもが立派に巣立ってそのうちおばあちゃんになって死ぬ間際にしあわせだった、って?」
映画によくありそうだ、とアルフレッドは思いながら右手もジャケットのポケットへと突っ込んで、微かに笑ってみせる。皮肉をのせた笑みを見上げながら、菊はゆっくり頷いた。
「そんな感じです」
「終わり良ければすべて良しってやつかい」
「ええ」
「まあ、それはハッピーエンドかもね」
「だといいのですが」
曖昧な菊の相槌に、そのうちアルフレッドは顔を顰めて、どっちなんだい、と菊へと視線を移した。
前向きな未来にならないかと考えたのは菊じゃないか、と愚痴ると、あなたがハッピーエンドじゃないなんて認めないと言ったからでしょう、とすぐに返されて、アルフレッドはやれやれ、と肩をすくめた。
挙式どころではなくなった教会近辺が騒然としはじめるのを眺め、青い目を眇めて、人の流れを追う。訃報が入るまでの、華やかで幸福にあふれた雰囲気はもうどこにもなく、どんよりと静かで、沈んでいた。そうだ、あの場所には悲しみだけが溢れている。アルフレッドは少し考えた。不謹慎だといわれそうだが、あの場面をもし映画にするなら、冒頭部分だ。
そんなことを考えていると菊が聞こえるか聞こえないかと声量で話し始めた。
「どれもこれも背中合わせですね」
「?」
「イエスかノーか。喜びか悲しみか。幸か不幸か。生と死か」
「キミはいつも曖昧だけど」
「それは恐れ入ります、すみません」
「そう思うならはっきりしてくれよ」
「考えておきます」
相変わらず抑揚のない声に、アルフレッドは隣に居る幾分か低い位置にある菊の横顔を見た。
今は真っ直ぐに、葬式会場になってしまった教会を見つめていた。アルフレッドはその横顔に、そう言うと思ったよ、と言い、菊はゆっくりと瞬きをすると、仕方ないことです、と言葉にした。
「幸か不幸か、私たちは国です」
感情のこもらない音。まるでゴミ箱に捨ててしまったあの空っぽの紙のように、ただその場所に落ちる。
その言葉を拾うことはできなかった。今更であったし、今やそれは当たり前のことでしかない。アルフレッドだって同じ存在であるから、違った音で同じ意味を紡ぐだけで、それは誰にも影響しない。残りも、しない。
それでも、
「自分を不幸だなんて思ったこともないけどね」
やりたいようにして、発言も躊躇しない。そんなアルフレッドの声に、菊は小さく頷き、そうして側から聞けばひどい音を落とすのだ。それは別に、菊に限ったことではないのだからアルフレッドはどうとも思わなかった。
けれど、
「幸せだと思ったことも、ないでしょう」
本当になんてひどい話なんだろうと、アルフレッドは晴れ渡ったきれいな真っ青の空を仰いだ。