かなしさは蒼に逝く
「どうかしたのか?」
月光号の窓から地上を見下ろしながら立ち尽くす少年に気付き、声を掛けた。
常とは違うぼんやりとした姿を不可解に思ったのもあった。
目に確かな光を宿し、何に脅かされる事も、惑わされる事も無い、危ういがしかし、凛とした彼。
どれ程の混乱にも、狼狽る事無く、冷静に、且つ確実に、物事を処理出来る判断能力は貴重だ。
感情を持ちながら、決して容易に流される事の無い鋼の意思。
時折その脆さに危惧を抱く事もあるが、兎に角彼は、そう言った人物だと思っていた。
掛けられた声に反応を返し、視線を顔ごと此方に向けた少年の瞳は、鮮烈に輝く蒼を少し濁らせ、穏やかな色合いをしていた。
「下に何かあるのかな?」
同じ視点で、とゆっくり彼の元へと歩みよれば、開かれる事の無かった唇が、微かに開く。
「・・・・・・アキト・テンカワ・・・」
「アキトで良いよ。長いだろ?」
ハハッ、と笑いを洩らせば、「ではそうする。」、との控えめの返答が来た。
「特に面白いモノは無いと思うんだけど・・・」
彼に倣い地上を見るが、特筆すべきような情景は無い。
「・・・・・・・・・」
「何か、悩み事?」
問えば驚いたようにバッ、と顔を上げ、再び口を開けた。
「・・・どうして・・・」
「うーん・・・何時もとなんとなく様子が違ったから、かなぁ。」
「・・・・・・」
無表情であまり感情を露にしない彼だが、実は良く見ると、語らない分素直に顔に出るのだと、アキトは知っていた。
元よりそのようなタイプの人物と関わってきた経歴のある人物なだけに、相手の機微を読むのもそれなりに長けている。
「良かったら、聞くよ。アドバイス出来る程人生経験積んでる訳じゃあ無いけどね。」
苦笑を洩らすアキトを見遣り、彼、ヒイロ・ユイは微かに溜息を洩らした。
待つ事に慣れているアキトは、ヒイロが話し出すのを急かす事も無くゆっくり待った。
あれからずっと地上を見詰めている彼の瞳には、何が映っているのか。アキトはそれを読もうとしてるのかもしれない。
「・・・・・・・・・レントン、や。」
「うん?」
ともすれば聞き逃しそうになる程、細く囁かれた声。
エンジン音はすれども、この場所まではそう届く事も無く、人が居なければ実に静かな場所だ。
確かなサインをアキトは拾い、優しい双眸で返した。
「・・・ガロードや、ゲイナーは・・・彼女達の為に、此処に居る、のか。」
「・・・絶対とは言えないけど、理由としてはあると思うよ。」
若い故に想いの一途で、そして熱い彼等を思う。
その根底にある思いは、皆同じではあろう。
「レントンにはエウレカ、ガロードにはティファ、ゲイナーにはサラ。皆、守りたいものがある。」
「そうだね。守りたいものの為に、彼等は戦ってる。」
そこで少し切り、ヒイロは繋げた。
「―――――・・・・・・人は、誰かの為に、戦うんだろうか。」
「ヒイロ君?」
「誰だって、誰かの、何かの為に戦うと言う。俺は・・・俺の戦うその意味は・・・何だろう。」
そうしてヒイロは、ゆっくりと瞳を閉じた。
「でも・・・君も何か理由があって、この戦いに加わってくれたんだろう?」
何を言うべきかと言葉を探していたアキトは、結局無難に言葉を選んだ。
「この、戦いに?」
「君、言っていたじゃないか。二度と繰り返さない為に、と。世界の平和を願っての事じゃないのか?」
単身一機で突如戦場に乗り込んだ若き兵。
彼の願った未来は、果たしてどんなものだったのか。
「・・・確かに、俺は、あの過去の過ちを二度と起こさない為に、その起爆剤になり得る種を消し去ろうとした。
それを誰かや何かの為、と言うのか。だが・・・」
彼の瞳の濁りが増す。
何を躊躇うのか、若しくは恐れて戸惑っているのかもしれない。
「それは、本当に俺の思い、願いなのか?若しかすれば、今まで叩き込まれた思想や教えが、俺の感情を作り上げているのかもしれない。
誰かに植え込まれた、まやかしなんじゃないのか?」
彼等はたった1人、この過酷な戦争の真っ只中へ落とされたと聞く。
心身共に成長期であるその大事な時期に、彼等は全てを大人に捧げねばならなかったと言う。
アキトは、とても遣り切れない思いだった。
「誰かが、言った。コロニーでも特定の誰かでも、自分の想う人の為に戦えば勝てると、大丈夫だと。
そんな感情、分からないと言った。そしたら大切な人が出来れば分かるようになると。
大切な人が出来たら、自分を大切にするように相手に接すれば良いと言われたんだが・・・それが分らない。」
「え?」
「自分など、いらない。別に何時死ぬとも分からない不自由な身を、どうして好きになれる。
俺は、俺の為に生きて来た訳では決して無い。だが、誰かの為に生きて来た訳でも無い。
ただコロニーにいるドクターの指示に従っていただけだ。不満は無かったが、満足感も無い。
誰かを傷つける為の存在と言っても良い。言うなれば不穏分子に近いだろう。」
存在理由は何処にある?、と無言で問い掛けるヒイロの横顔を、アキトは見詰めた。
「以前に、言われたんだ。”お前が大切なんだ”、と。」
「・・・うん、それで?」
「”受け入れてほしいとは望まないから、どうか、それだけは覚えておいて欲しい”と。
だが、どれだけ大切だと思われたところで自身の考えなどそうそう変えられない。
それに、こんな俺が、同じだけの思いを返せるとは、どうしても思えない。
ならば、返せない想いに苦しまなくて良いように、誰からも思われなければ、と思っていたんだが、
誰かを想う事が戦う理由になると言う事は、俺のこの考えを真っ向から否定されている事になるんだと・・・」
「・・・・・・」
アキトは、大人びた少年の心を想う。
本当に大切な事を蔑ろにされたまま大人の世界へ放り込まれ、そして結果だけを求められた、犠牲のなれの果て。
彼の生活環境や素性を把握している訳では無いのだから全てに於いて否定的に捉える事は出来ないが、
1つ言えるのは、何時の時代であっても大人は責任と重圧を未来への可能性を携えた子供達に押し付け、
まるで盤上の駒を推し進めるかのように、戦局を動かす、哀しい現実があると言う事だけだ。
何時だって、子供達は大人の犠牲。あの娘もそうであったように・・・
「・・・済まない、こんな愚痴のような事を言うつもりは無かった。
ただ、人を殺してきたその重さから何かしら理由を付けて逃れたかっただけなのかもしれない。」
嘲笑を漏らしたその口元とは裏腹に、ヒイロの瞳は、何所か悲しそうだった。
「ヒイロ君は、その人の事が好きなのか?」
「・・・・・・・・・考えた事も無かったが。しかし・・・嫌いでは、無いと思う。」
「守りたい、と思った事は?」
「無いな。どちらかと言えば人の任務の邪魔ばかりしてくれた。言わばライバルのようなモノに近い。」
「・・・・・・同じ、パイロット?」
「そうだな。」
次第に心を開いて来てくれるヒイロに、アキトは微笑ましくなった。
彼の生来の性格もあるのだろう、これは、彼自身が恐らく自覚しなくてはならない事なのだ。