アメノムコウガワ
「悪いわね」
「いや、ミス・スメラギが気にすることじゃねえよ」
ロックオンはそう言って、軽く手を振って見せた。
「でも、大丈夫?」
「刹那じゃあるまいし、大人しく寝てるさ」
CBの中枢である量子型演算システムヴェーダによって推奨されたミッションは、デュナメスが特化した遠距離射撃を活かした地上での単独ミッション。ミッション予定は地上降下より五日間という短いもの。戦術予報によればガンダムの圧倒的武力の前に、敵は五分と待たずに沈黙もしくは降伏するというものだったが、果たしてそれはまさにその通りだった。
ここまでは極まりなく順調。スメラギの戦術予報の冴えに舌を巻くほど順調で、ミッション後はプトレマイオスに戻るまでの僅かな間、トレインの都合で空いた二日ほどをデュナメスのパイロットであるロックオン・ストラトスは休暇とする予定になっていた。
が、その二日間の初日。ロックオンは、己の体調に異変を感じた。
通常時より身体がいやに重いのだ。確かにCBに加入してからは、宇宙にいる時間が長くなっている。無重力は急速に筋肉や骨を衰えさせるけれど、CBは全てが軽重力や無重力になっているわけではない。まして、ロックオンは地上生まれの地上育ちであり、ガンダムマイスターとして日々訓練をしているのだから、数日地上にいたからといって身体が重いと思うなんて感じる筈はなかった。いや、寧ろこの重力が心地よい、落ち着くと思うことの方が多いのに。
「やべぇ…かもしれねえな…」
そんな事を呟きながら、万が一を考えて医療キットに入っていた体温計を使ってみれば、その数字は38℃を越えていた。
風邪…だろうか。この異常なまでの身体の重さは発熱によるものだったのか。
もし風邪だとしたら、例えそうでなくともこのままでは宇宙に戻る事は出来ない。持ち込むわけにはいかないのだ、宇宙という逃げ場のない空間に、人体に害なす細菌を。閉じられた空間で蔓延したら逃げ場がないだけでなく、それがどんな変化を起こすか判らないのだから。
かと言って、ロックオンが地上にいる予定は、今日をいれても二日間。偽造の身分証明があるので病院にかかるくらいは出来るけれど、完治するかどうかは判らない。エージェントに連絡すれば、地上にいる組織の息のかかった医師に診て貰うことも出来る。が、いずれにしても連絡だけはしなければならないだろう。
ロックオンは仕方ないとため息を吐きつつ、携帯端末を起動させたのだった。
「治るまでは地上に居て貰うしかないけど…悪いわね、ロックオン」
「俺の方こそ悪いな。完全に俺のミスだ。ミッションは…」
「大丈夫よ。暫くミッションの予定は入っていないし、入ったとしてもこちらで何とかするわ」
「助かる。正直、俺もこの状態で戻るのは辛くてな」
そんな短い報告を兼ねたスメラギとの通信を終えると、疲労感に身体が押し潰されそうになり、ロックオンはドサリとソファの背もたれに倒れ込んだ。ふぅと吐き出した息ですら熱く感じるのは気のせいではないだろう。ソファに座ったままの短い通信だったというのに、それだけ身体が疲弊しているのか。
マイスターとしてそれなりに過酷な訓練を耐え抜いて、体力は常人のそれではないと自信があったのだが…。
基本的に快適な常温に設定されている空間と、無菌に近い状態で生活しているせいだろうか、折しもミッションと潜伏場所は真冬という気温の低さと、宇宙だったらと空恐ろしくなる多彩な細菌に耐性が弱くなっていたのかもしれない。
「なさけねえ」
柔らかくウェーブする茶色の前髪を、くしゃりと握りロックオンは一人ごちる。
マイスターは現状4人。ガンダムが4機なのだから当たり前だが、決して多いとは言えない。なのに、体調を崩すなんて自己管理が出来ていない、自覚がないのか!などと、戻ったらティエリア辺りに雷を落とされそうだ。
だが、このていたらくでは反論のしようもない。己が情けなくも思う。人間なのだから体調不良が起こっても当然だが、世界を敵に回した現在はそんな悠長で甘えた事を言ってる時ではないのだ。
だが、酷い怠さの中、浮かぶのはミッションの事より灰銀色の瞳を持つ人の穏やかな顔。
(―――…逢…いたい…のか?)
あの穏やかな笑みと雰囲気に癒されてる自覚はあった。最近は一緒にいる事も断トツに増えた相手だが、一人きりのミッション後でも、こんな風に思い浮かべる事は滅多にないのに…。
体調不良は精神を弱く、人恋しくさせるというがこれがそうなのか。
考えてみればCBに加入してからは、病気も怪我も大きいのはあまり経験していなかった。軽いものなら、医療カプセルに入れば数日で治ってしまうのがCBの最先端医療だ。
しかし思った所でその人――アレルヤがいるはずもない。埒もない考えだ。
こんな時は寝てしまうに限る。寝てしまえば、そんな考えは消えるし、長引いて貰っては困るのも確かだったので、ロックオンはスメラギに言った通り大人しくベッドに潜り込む。荒く熱い呼吸は石による診察の必要性を訴えるけれど、それよりも身体は休息を欲していた。
どれくらい眠っていたのだろうか。まだ眩む視界をこらえつつ、ロックオンはゆるりと上体を起こし薄暗い部屋を見渡す。
ベッドに潜り込んだのはまだ外も明るい時間だったので、その暗さから結構な時間が経過していると推測出来る。が、体調が良くなったかと言えばNOだ。ならば泥のように眠っていたように思うのに、なぜ目が唐突に醒めたのだろうか。しかも寝起きという感覚ではなく、これは寧ろマイスターとしての……。
意識を急速に覚醒に導いたのは、気配。
意図的に隠しているのか、いつの間にか降り出していた雨によるものか、その気配はほんの僅かなもの。物音は己の息使い以外は雨音が消してしまい、殆ど聞こえないと言っても過言ではない。
探るように部屋を伺い、詰めていた息を静かに吐き出した。そして、ゆっくりと、それでも素早く音を立てずに枕の下に手を伸ばす。そこには愛用の銃が昔―――CBに入る前、狙撃手として生きていた頃からの癖で隠してあった。グリップの固い感覚が皮手袋越しの指に触れ、その存在をロックオンは握り締める。
エージェントが用意してくれた部屋は、マンションの一室でダイニングとベッドルームの1LDK。ミッション中の仮住まいなので、あるのは必要最低限のもののみだ。ダイニングには食事をするためのテーブルにテレビ、寝付く前に倒れ込んだソファ、そしてこのベッドルーム。私物は当然ながら殆ど存在せず、生活感など欠片もなく閑散としたものだった。
しかし簡素な部屋なれど、高度なセキュリティが施されている。仮にも組織内では数少ない貴重なガンダムマイスターを、テロリストの先鋒を一時でも匿うのだからおざなりにはなっていないはず。
だが、気配はそれらのセキュリティを物ともしないように、確実にロックオンのいる部屋へと近付いて来るのだ。
「―――舐められたもんだぜ」
気配はただ一つ。身体は確かに不調だが、ガンダムマイスター相手にたった一人で乗り込んでくるとは、いい度胸だと褒めるべきか。
「いや、ミス・スメラギが気にすることじゃねえよ」
ロックオンはそう言って、軽く手を振って見せた。
「でも、大丈夫?」
「刹那じゃあるまいし、大人しく寝てるさ」
CBの中枢である量子型演算システムヴェーダによって推奨されたミッションは、デュナメスが特化した遠距離射撃を活かした地上での単独ミッション。ミッション予定は地上降下より五日間という短いもの。戦術予報によればガンダムの圧倒的武力の前に、敵は五分と待たずに沈黙もしくは降伏するというものだったが、果たしてそれはまさにその通りだった。
ここまでは極まりなく順調。スメラギの戦術予報の冴えに舌を巻くほど順調で、ミッション後はプトレマイオスに戻るまでの僅かな間、トレインの都合で空いた二日ほどをデュナメスのパイロットであるロックオン・ストラトスは休暇とする予定になっていた。
が、その二日間の初日。ロックオンは、己の体調に異変を感じた。
通常時より身体がいやに重いのだ。確かにCBに加入してからは、宇宙にいる時間が長くなっている。無重力は急速に筋肉や骨を衰えさせるけれど、CBは全てが軽重力や無重力になっているわけではない。まして、ロックオンは地上生まれの地上育ちであり、ガンダムマイスターとして日々訓練をしているのだから、数日地上にいたからといって身体が重いと思うなんて感じる筈はなかった。いや、寧ろこの重力が心地よい、落ち着くと思うことの方が多いのに。
「やべぇ…かもしれねえな…」
そんな事を呟きながら、万が一を考えて医療キットに入っていた体温計を使ってみれば、その数字は38℃を越えていた。
風邪…だろうか。この異常なまでの身体の重さは発熱によるものだったのか。
もし風邪だとしたら、例えそうでなくともこのままでは宇宙に戻る事は出来ない。持ち込むわけにはいかないのだ、宇宙という逃げ場のない空間に、人体に害なす細菌を。閉じられた空間で蔓延したら逃げ場がないだけでなく、それがどんな変化を起こすか判らないのだから。
かと言って、ロックオンが地上にいる予定は、今日をいれても二日間。偽造の身分証明があるので病院にかかるくらいは出来るけれど、完治するかどうかは判らない。エージェントに連絡すれば、地上にいる組織の息のかかった医師に診て貰うことも出来る。が、いずれにしても連絡だけはしなければならないだろう。
ロックオンは仕方ないとため息を吐きつつ、携帯端末を起動させたのだった。
「治るまでは地上に居て貰うしかないけど…悪いわね、ロックオン」
「俺の方こそ悪いな。完全に俺のミスだ。ミッションは…」
「大丈夫よ。暫くミッションの予定は入っていないし、入ったとしてもこちらで何とかするわ」
「助かる。正直、俺もこの状態で戻るのは辛くてな」
そんな短い報告を兼ねたスメラギとの通信を終えると、疲労感に身体が押し潰されそうになり、ロックオンはドサリとソファの背もたれに倒れ込んだ。ふぅと吐き出した息ですら熱く感じるのは気のせいではないだろう。ソファに座ったままの短い通信だったというのに、それだけ身体が疲弊しているのか。
マイスターとしてそれなりに過酷な訓練を耐え抜いて、体力は常人のそれではないと自信があったのだが…。
基本的に快適な常温に設定されている空間と、無菌に近い状態で生活しているせいだろうか、折しもミッションと潜伏場所は真冬という気温の低さと、宇宙だったらと空恐ろしくなる多彩な細菌に耐性が弱くなっていたのかもしれない。
「なさけねえ」
柔らかくウェーブする茶色の前髪を、くしゃりと握りロックオンは一人ごちる。
マイスターは現状4人。ガンダムが4機なのだから当たり前だが、決して多いとは言えない。なのに、体調を崩すなんて自己管理が出来ていない、自覚がないのか!などと、戻ったらティエリア辺りに雷を落とされそうだ。
だが、このていたらくでは反論のしようもない。己が情けなくも思う。人間なのだから体調不良が起こっても当然だが、世界を敵に回した現在はそんな悠長で甘えた事を言ってる時ではないのだ。
だが、酷い怠さの中、浮かぶのはミッションの事より灰銀色の瞳を持つ人の穏やかな顔。
(―――…逢…いたい…のか?)
あの穏やかな笑みと雰囲気に癒されてる自覚はあった。最近は一緒にいる事も断トツに増えた相手だが、一人きりのミッション後でも、こんな風に思い浮かべる事は滅多にないのに…。
体調不良は精神を弱く、人恋しくさせるというがこれがそうなのか。
考えてみればCBに加入してからは、病気も怪我も大きいのはあまり経験していなかった。軽いものなら、医療カプセルに入れば数日で治ってしまうのがCBの最先端医療だ。
しかし思った所でその人――アレルヤがいるはずもない。埒もない考えだ。
こんな時は寝てしまうに限る。寝てしまえば、そんな考えは消えるし、長引いて貰っては困るのも確かだったので、ロックオンはスメラギに言った通り大人しくベッドに潜り込む。荒く熱い呼吸は石による診察の必要性を訴えるけれど、それよりも身体は休息を欲していた。
どれくらい眠っていたのだろうか。まだ眩む視界をこらえつつ、ロックオンはゆるりと上体を起こし薄暗い部屋を見渡す。
ベッドに潜り込んだのはまだ外も明るい時間だったので、その暗さから結構な時間が経過していると推測出来る。が、体調が良くなったかと言えばNOだ。ならば泥のように眠っていたように思うのに、なぜ目が唐突に醒めたのだろうか。しかも寝起きという感覚ではなく、これは寧ろマイスターとしての……。
意識を急速に覚醒に導いたのは、気配。
意図的に隠しているのか、いつの間にか降り出していた雨によるものか、その気配はほんの僅かなもの。物音は己の息使い以外は雨音が消してしまい、殆ど聞こえないと言っても過言ではない。
探るように部屋を伺い、詰めていた息を静かに吐き出した。そして、ゆっくりと、それでも素早く音を立てずに枕の下に手を伸ばす。そこには愛用の銃が昔―――CBに入る前、狙撃手として生きていた頃からの癖で隠してあった。グリップの固い感覚が皮手袋越しの指に触れ、その存在をロックオンは握り締める。
エージェントが用意してくれた部屋は、マンションの一室でダイニングとベッドルームの1LDK。ミッション中の仮住まいなので、あるのは必要最低限のもののみだ。ダイニングには食事をするためのテーブルにテレビ、寝付く前に倒れ込んだソファ、そしてこのベッドルーム。私物は当然ながら殆ど存在せず、生活感など欠片もなく閑散としたものだった。
しかし簡素な部屋なれど、高度なセキュリティが施されている。仮にも組織内では数少ない貴重なガンダムマイスターを、テロリストの先鋒を一時でも匿うのだからおざなりにはなっていないはず。
だが、気配はそれらのセキュリティを物ともしないように、確実にロックオンのいる部屋へと近付いて来るのだ。
「―――舐められたもんだぜ」
気配はただ一つ。身体は確かに不調だが、ガンダムマイスター相手にたった一人で乗り込んでくるとは、いい度胸だと褒めるべきか。