アメノムコウガワ
アレルヤからすれば、本来なら自分から言い出したかった内容なので、断るなんてとんでもない。二つ返事でOKしたのだが、ロックオンは余りのことに呻き声を洩らす。
食事云々を読まれていた事は勿論だが、スメラギは何処まで自分とアレルヤの関係を知っているのだろう、と。
間違ってもスメラギの前で、恋人同士のような振る舞いをした覚えは―――多分、ない。
だが、戦術予報士は戦術だけでなく、人間観察にも長けている。戦術に応じて適材適所の人材を配置するのだから、当然と言えるのかも知れない。いや、病人の看病という点において、アレルヤ以外に適材がいないのも確かなのだが、それを考えると怖い考えが浮かぶというものだ。
「折角の休暇を、俺の看病で潰す気かよ」
「特別何か予定がある訳じゃないんです。あ、でもスメラギさんとクリスに頼まれた物は買いに行かないといけないですけどね」
取り敢えずはゆっくり寝て下さい。食事出来たら起こしに来ますから…と、苦笑しながら買ってきたらしい食材を掲げてみせるアレルヤに、色々と癪に障るし呆れるしで、口から出たのは殆ど憎まれ口に近いものだった。「ったく。俺の母親かっつーの、お前さんは」
「母親になるつもりはないけどね。僕はニールの恋人でしょう?」
5歳も年下だし頼りないかもしれないけど、病気の時くらいもっと僕を頼って?
強引だけれど優しい仕草でロックオンをベッドに戻し、掛け布団を直しながらアレルヤはそんな事は言い、そっと汗ばむロックオンの額に接吻けた。
それは本当に、慈しむように…。
呼び名がコードネームの【ロックオン】から、秘匿義務によってプトレマイオスのクルーですら殆ど知らないであろう本名の【ニール】に変わっているのに、この男は気付いているのだろうか。
ロックオンから寄って行けば顔を真っ赤にしてたじろぐくせに、こういう事はさらりと言ってのけるアレルヤは、実は相当確信犯なのではないかと思ってしまう。
しかし、アレルヤの手が置かれた場所から、じんわりと暖かさが広がってくるように感じるのは、果たして気のせいだろうか。アレルヤの手は掛け布団の上にあって、幾ら体温が高めだと言っても温もりなんて伝わる筈がないのに。
それでも数時間前にベッドに潜り込んだ時よりも、目が覚めた時よりも、酷く落ち着く暖かさがロックオンを包み込んでいた。その温もりに神経は、緊張の糸をとろりと解く。
そして、聞き取れるか否かほどの小さい声が、何かのメロディを奏でているのが、眠りに落ち掛けた意識と聴覚に優しく触れた。
Too ra loo ra loo ral,
Too ra loo ra li,
Too ra loo ra loo ral……
男にしては高く柔らかな声が、小さく口ずさむのはロックオンにとって聞いたことのある、懐かしいメロディとフレーズ。
「アレル…ヤ? な…んで?」
睡魔に意識を引き渡す寸前の、呂律が回らない状態でロックオンは何故と問う。
何故アレルヤがこの曲を知っているのだろう。守秘義務ゆえに、恋人となった今でさえ名前以外の個人情報なんて教えていないのに。
だって、この曲は…―――。
「覚えてない?」
覚えてないなら無意識なのかもしれないが、ロックオンは展望室から地球を見ている時、主に一人きりでいる時は、このメロディをよく口ずさんでいた。
アレルヤは偶然その場に出くわし、声も掛けられずに何度か聴いてしまって。聴いてるうちにサビの部分らしき場所だけだが覚えてしまったのだ。
ロックオンが大切にしている曲だと。それだけははっきり判る。思い出があるのかもしれない。それが染み入るような歌声からも判るから、なんの歌なのか問い質すことは憚れた。大切な思い出を壊してしまうのではないかと、そんな気がして聞けなかったのだ。
自分と違って、ロックオンには恐らく優しい思い出があるように思うから。
「ごめん、歌わない方が、いいかな……」
つい口ずさんでしまったけれど…と、そんな遠慮がちな問いに、ロックオンはふるりと首を横に振った。
まさかこの曲を、自分以外の人間から聴く事が出来るなんて思ってもいなかった。まして体調が悪いとはいえ、こんな温もりに包まれた中で。
自分達はテロリストで、仲間内でもろくに互いを知ることも出来なくて。仲間どころか恋人であってもそれは変わらないのに。
だからこそ、こんな安らぎにはもう一生縁はないだろうと思っていた。それがマイスターとなった咎だとも思っていたのに―――。
Too ra loo ra loo ral
Too ra loo ra li
Too ra loo ra loo ral,
That's an Irish lullaby……
静かに染み入る歌声は静かに部屋に響く。
余計な音は雨が遮ってくれる。しがらみも何もかも不要なものは、今だけは雨が押し流されくれる。
雨音の向こうに残るのは優しく響く、アイルランドの、故郷の、子守歌。
そうしてロックオンは、静かに深い眠りに落ちていった。