けもののしょくよく
平和島静雄はいつものように上司の田中トムと取り立てを行っていた。正が多ければ当然負も多いように、毎日毎日と取り立てを繰り返している。中には何度目かの客もいて、いい加減こりねえのか、と思って怒髪天を衝くこともしょっちゅうあったが、それもいつものことだった。
むかむか、と全くもって単細胞の己の沸点が切れる。
胸ぐらを掴んで憤っている静雄ならではの無茶な道理で、あっさりと投げ飛ばした。涙目になりながら、謝罪をしている男性を慣れたように、おー、と声をあげながらトムはさっさかと男性の金の回収に向かう。静雄はまたやっちまったか、と歯ぎしりをして外していたサングラスをかけた。
「・・・あー・・・すんません、トムさん」
「いやまあ、今日は標識飛ばねえだけで上出来だろ。よーし静雄、これであがりだ。お前今日はなんかあったか?」
「いや、なんもねえです」
「そうか。じゃあ帰りになんか食ってくか!」
「え、あ、あー・・はい」
からり、と笑う上司に静雄はいつも尊敬を抱いている。こんなふがいない後輩をちゃんと引っ張ってくれるトムは本当に良い上司だ。自分の周りには良い人が多すぎて、はたして自分が関わっていいのかたまに迷うことがあった。例外もいるが、思い出すだけで殺したくなるので考えないようにする。
少しだけ迷うように、言葉を濁した静雄はトムの誘いに乗った。
そして何時間後。
夕方だから、とほろ酔い程度に酔ったトムと、じゃあな、と酒屋から出たところで別れる。飲みははしなかったが、場酔いでもしたのか少しだけふらりとしたから公園でも頭を冷やしに行こうと静雄は思い立った。
西口公園までの曲がり角にさしかかる。
するとトン、と小さい衝撃にあたった。なんだ、と下を見れば痛そうに広いおでこを摩っている高校生がいる。今は七時前後だ。今から帰るところだろうか。手には携帯を持っていたから、どうやらよそ見をしていたらしい。
ぼうっとしている頭では自分もよそ見をしているようなものだが。
「おい、あぶねえぞ」
「あ、ごめんなさい。よそ見、してました」
穏やかに謝られる。
静雄はその珍しい素直な態度に好感を持った。
「全くだ。携帯は歩いて見るもんじゃねえ」
「はい・・・」
しゅん、とする少年が眉を寄せる。それがどこか草食動物の、まあ、小動物系に見えて静雄はおッと喉を鳴らした。酔っていた所為もあったのかもしれない。彼の好みは年上だが、総じて小動物系は好きだ。それがなついてくれるのならば。
高校生は本当に落ち込んでいるとみれる。平凡の日常を具現化したならばこんなヤツだろうか。なら、なんてうらやましい。静雄は頭を掻くと、分かったならいい、と公園へ歩き出そうとした。それを止めたのは、小さな力だった。
「あ、あの」
「・・・あ?」
振り返れば、緊張か、少し赤い顔で少年がこちらをみている。小さく袖を掴んで上目遣い。女でもないのに、どきりとした。また喉が鳴った。なんなんだ。
「平和島静雄さんですよね」
「・・・ああ、まあそうだが」
「やっぱり。その、僕、突然で本当に不謹慎なんですけど、静雄さん、すごいなって思ってました!」
きらきらした目で見られるのは、非常に居心地が悪い。静雄は、なんだそれ、それはこれの、俺の力の所為で俺がどれだけ苦労してんのが分からねぇのか・・とひそかに沸点へのカウントダウンがはじまる。
「ごめんなさい!」
だが、あと僅かのカウントダウンはいきなりの少年の言葉で止まった。
「は?」
「あれだけすごければ、それだけ本当に大変だったんだなー・・って思うと、謝るしかなくて。いきなり変なことですみません。でも、あこがれていいですか」
照れくさそうに話す少年に、沸点が冷めた。それとは別の熱がこもったように思う。少年は小柄だ。あこがれていいですか、と尋ねられる表情は期待に満ちた子供の顔でどうも断れないし、こっちまで赤くなってしまうくらいに純粋。静雄は、目の前の少年をどうも気になった。普段他人がうまく分からない静雄でも、目の前の少年はまさしく優しい良い性格をしているんだなと分かった。それと同時に本能が訴える。甘いにおいがする。おいしそう。
「・・・・俺なんかに憧れても仕方ねぇだろ。普通でいろ」
「じゃ、じゃあお近づきは駄目ですか・・・!」
少年が必死に自分と親しくなりたいのが分かる。よこしまなものが入っていないのも。静雄はなんだかおなかが空いてきた気分を耐え、柔らかい少年の黒髪に手を置く。これがどうしたことだ。勝手に撫でてしまう。
「お前、名前は」
「竜ヶ峰帝人です。・・あの?」
竜ヶ峰帝人、みかど、帝人。口の中で復唱。
うまそう。クラクラした。やっぱりアルコールにあてられているのだろうか。それにしてもこの帝人という少年はなぜだか憎めない。こんなに素直なんだ。仲の良い友達だけで満足していればいいのに。仲の良い。そいつらも羨ましいな。この平凡の少年の日々は温かいのだろう。居心地が良いのだろう。・・・それは、なんて。
静雄は段々据わった目になる自分に気づかずに、帝人の頭を撫でる。
「お前ならいいか。おら、携帯、番号、教える」
「え、え、いいんです、か・・・」
「ん」
無言で差し出せば、帝人も手慣れた手つきで操作してあっさりと赤外線で互いの連絡先が交換される。竜ヶ峰帝人。これまた大層な名前が静雄の数少ない電話帳に入っている。静雄はそれに満足感を覚えた。
「じゃあな」
とりあえずこれで満足だ。
静雄は口の端だけで笑って、ぐしゃり、と帝人の髪を荒らした。気分が良かった。
これ以上ここにいると、何だか食欲がわいて仕方なかったから家に帰ることにする。後ろを少しだけ見れば、不思議そうにこちらを見ている帝人がいる。
目を細めて、喰っちまいてえ、と自然に呟いていた。その喰うが性欲からくるのか、食欲からくるのか、違いは大きいがそう思った。熱がうずく。
それは一目惚れじゃねえのか、しかもヤバイ系の。
トムがいたなら静雄の方向性を限りなく正してくれただろうが、あいにく田中トムは寒い寒い言いながら帰宅中である。
残った竜ヶ峰帝人は信じられないような目で自分の電話帳を見る。実は罰ゲームで静雄に声をかけた、と言ったら怒るに違いないからとりあえずテンションに任せて言ってみたのだが、本当にその場の勢いは怖い。池袋最強のメアドが自分の手元にある。しかもどうやら自分は気に入られたらしい。大きい手つきを思い出し、帝人はなんでだろうと首を傾げた。