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あさめしのり
あさめしのり
novelistID. 4367
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口にしてはいけない

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口にしてはいけない




「三成の処刑が済んだ」
「…そう、ですか」
 金吾の城に家康がやってきたのは、関ヶ原の戦いからほどなくしてのことだった。日はすでに暮れて、鍋に火をつけようとしたところだったが、金吾は不機嫌さをきれいに押し隠して家康を自室へ招き入れた。いかに金吾が愚かでも、家康を相手に刃向かうほど愚鈍ではない。
 家康も、いささか遅い時間の訪問だったことは自覚していたのだろう。
「こんな時間にすまんな、金吾」
「いえ、家康さんさえよければ、鍋食べていかれませんか?」
 いいのか、と人好きのする笑みを浮かべて、家康は腰をおろした。
 いつ頃だったか、金吾の傍にやってきた怪僧はいつの間にか姿を消して、二人で囲んでいた鍋はまた金吾一人のものに戻っていた。一人で食べる鍋は美味しい。誰かにかき回されたりしないし、好きな具を食べられてしまうこともない。ただ、天海は鍋にこだわりもなく、またひどく小食だったから、金吾にとって何ら不都合はなかった。だから時に、一緒に鍋を囲むこともあるだけだと思っていた。だが、知らず誰かと食べる鍋を恋しく思ってもいたのかもしれない。金吾は家康にとっさに声をかけた自分をそう結論づけた。
 ぐつぐつ煮えるだし汁の中に、野菜や魚を入れていく。まずは根菜、最後に葉物。金吾の手慣れた様子に、家康は手を出さずにいることに決めたらしかった。
「何せ一度死んでいるから、処刑と言っても形ばかりのものだがな」
 石田三成の処刑は、六条河原で行われたという。西軍総大将である彼の処刑は型通り行われたが、既にその人に息はないため、故人を辱めることを憚り、また一人の武人として彼を尊重したいと望んだ家康の意志により、石田三成の遺体は関ヶ原から丁重に運ばれ、処刑とは名ばかりのものとなった。
 聞きもしないのに、家康は多弁だった。
「金吾も見ていただろう? ワシとの戦いで、三成は既に息を引き取った。皆は、こたびの戦の首謀者たる三成を処刑すべきだと主張した。確かに、そうでなければけじめがつかんという家臣たちの気持ちもわかる。だが、三成を……主のために生き、主のために死んだ男の亡骸を、死してのちまで辱めることが、本当に「正しい」、「勝者」のすべきことなのか。ワシにはわからなかった」
 家康の意志が、形だけの処刑となり、亡き主君のため戦死した三成を丁重に弔うという結果になったのだろう。
「…僕も、それがいいと思います」
 金吾は、丁寧に言葉を選んだ。
「だって、三成くん、いつも秀吉様秀吉様って…僕にはその気持ちはわからなかったけれど。三成くんはすっごく怖かったけど、悪い人じゃなかったもの」
 家康は、眉尻を下げて、お前もそう思うか、と苦しげに笑った。
 こういうところが、人を惹きつけるのだろうと思った。意識的にしているのではなく、きっとそのすべてが無意識なのだ。無意識に人を寄せ付ける術を、この男は修得している。生得のものか、あるいは後天的な努力によるものかはわからない。だが、金吾ですら知っているこの男の半生を鑑みるに、きっと後者だろう。過酷な半生が、家康を主君としてあるべき姿、望まれる姿に育て上げたに違いなかった。
 だが、当の家康は、利害損得など勘定していないのだろう。まるで昔なじみを懐かしむような口調で、目を細めた。
「きれいなものだったよ。まるで眠っているようだった。瞼をあけて、今にも「家康」と呼びかけてきそうなほどに」
「ひぃいいいいっ、こわいよぉっ」
「ハハ、怖いか。そう言えば、金吾は三成が苦手だったな」
 そういう問題ではない。普通、自分が手にかけた男の遺骸を前にして、いい気などするはずもないだろう。武士として討ち取ったことを誇らしげに思うか、あるいは怨念のようなものをその首から感じて薄寒くなるか。金吾に想像できうる心境といえばこの程度のものだった。
 だが、家康はそのどちらを感じたわけでもないようだった。さきほどの口振りからしても、廊下ですれ違って声をかける程度の気軽さで、その首が自分に話しかけてくるのではないかとでも思っているようですらあった。家康も、きっとどこか異常なのかもしれない。金吾が厭う、「怖い人」に違いない。そうでなければ、あんなに凶暴で恐ろしかった三成を倒せるはずがないからだ。
 金吾は、巡った考えをすべてなかったことにして、家康に問われた内容だけを簡潔に答えた。
「……三成君は僕をぶつから嫌いだよ」
「そうか」
 金吾は三成が苦手だった。すぐ怒鳴るし、ぶつし、大声で刀を振り回す。自分のような臆病者ならずとも、苦手でない者のほうが少ないだろう。
 死んでよかった、せいせいした、とは思いこそしないものの、幾ばくかの安堵があるのもまた確かだった。
 金吾の心情を汲み取ったのか、家康は軽い口調で笑った。
「よかったな、金吾。お前をぶつ三成はもういない。世は泰平となった。誰かが誰かを傷つけたり、脅したり、そういう世の中はもう要らないんだ」
「…家康さん」
「いつか言っていただろう? 日本全国美味いもの巡りの旅がしたいと。世が平らかになった今、それも叶うぞ!」
「家康さん!」
 言うべきことではないかもしれないと思った。天下人となった男に言うにはあまりに不遜で、言えば己が身を危うくするかもしれないとわかってはいた。
 だが、このまま家康に話し続けさせることはできなかった。
「じゃあどうして家康さんは、悲しそうな顔をしているの」
「悲しそう、か」
「うん」
 家康は、この悲しみを共有できる、旧知の誰かと話がしたかったのではないだろうか。戦後処理に追われ、忙しい時期に、わざわざ金吾ごときを訪ねる理由がほかに見つからない。家康を強く慕う家臣は勿論のこと、同盟相手であっても、きっとともに三成の死を悼むことはできないだろう。
 家康は、金吾が見てきた覇者とは違っていた。だから、金吾を怒鳴ったり、殴ったり、痛いことをしなかった。家康は誰よりも強い。きっと、家康自身にその自覚がある。だから、むやみに暴力を振るわない。武力に頼らない。
 それと同様に、悲しいときも、きっと大声をあげて泣いたり喚いたりできない人なのだ。自分がそうすることで、どれほどの影響を周囲に与えるか知っているからだ。
「僕もね、三成君がいなくなれば、どんなにかいいだろうって思ってた。でもね、不思議なんだけどね。死んでしまえばいいのにって思ったことは一度もなかったよ」
 あの男を殺した原因が何を言うかと、自分でも思った。自分が西軍を裏切らなければ、あの戦は互角だった。西軍が勝利し、三成は豊臣の正当なる後継者として天下人となっていたかもしれない。
 金吾は本来であれば、豊臣に恩を受け、徳川と対すべき存在だった。にもかかわらず、家康に寝返った。いかに過去に豊臣や三成に恨みがあろうと、金吾は間違いなく豊臣を裏切った。その結果、三成が死んだ。それだけは間違いなかった。
 三成を裏切り、家康を選んだのは、家康の理想に共感しただとか、家康の恩義に感じ入り馳せ参じたわけではない。怖かったからだ。自分を怒鳴りつける三成も、不気味な吉継も、事あるごとに頬を張る毛利も、気づけば周囲には怖い人たちばかりだった。