美しきペルソナ
防戦一方の相手が苛立ちのままに放ってくる一発を流し、懐に入ってボディを中心に拳をねじ込ませていく。両腕のガードがそのボディ中心になってくると、頭を中心に隙が出来る。鉄拳を相手の額目掛けて繰り出す。
この一発で脳震盪を起こして試合終了のはずだった。しかし俺はその一撃を無意識の内に止めてしまった。起こった風を受けながら、ミストレは大きくしていた瞳を一気に歪める。意地になった奴が勢いを付けて蹴り付けてくるのを受け止め、逆に足払いをする。そうすれば容易に奴は尻餅をついた。
ついぞ、有り得ないことである。マウントポジションを取った俺はミストレの両手を束ね、頭の上に縫いつけて告げる。
「終わりだ」
「ふざけるな……」
「ふざけてるのはお前だろ?」
「どうして!拳を止めた!」
「自覚してンだろ」
「君もオレの顔に騙される間抜けな人種だとはね!バダップは……君みたいに愚かじゃなかった……」
「アイツと比べンじゃねェよ。それにそんな愚かな俺に負けて這いつくばってんのはお前だ」
「!!」
戦闘能力としては元々俺の方が勝っているとはいえ、実力は均衡している。時折こいつに負けることだってある。こんなに簡単に勝負が決まるはずがないのだ。
気持ちを鎮めて戦闘に望むのは兵士としての基本だ。それが出来ないほどにミストレが冷静さを欠いていたのには驚いた。悔しそうに唇を噛むミストレの瞳が濡れていく。流石に焦った俺は相手を拘束していた手を緩めてしまう。
その隙を見逃さなかったミストレは手を振り解き、俺の頬へ強烈な一撃を食らわせた。どうやら口内を切ってしまったらしいことが、広がる鉄錆の味で分かった。
「この……じゃじゃ馬」
改めて両手を押さえ付けると、射殺さんばかりの瞳で睨み付けられる。何の痛みもない。寧ろ支配欲を刺激されて快感すら覚える。
「泣くなよ、負けず嫌い」
「泣かないよ!バカか君は!」
「泣きそうな癖に」
「うるさい!」
「あーはいはい。これで俺の勝ちだ」
露わになった額を軽く叩いて、俺はマウントポジションを下りる。一向に立ち上がろうとしないミストレは額を押さえたまま動かない。
「そんなに強く叩いてないだろ?」
「痛いよ、バカ!」
「子供か」
「いちいち腹が立つ」
「そりゃ、悪かったな」
倒れているミストレの横に座る。荒い息をしていたミストレが落ち着くまでは、そう時間もかからなかった。
「気は済んだか?」
「済まない。ムカツク」
「わざと負けたらまた怒ンだろ?」
「そういうところが!ムカツクんだよ!」
右手を軸にして蹴りだしたミストレの攻撃をかわしてその脚を掴み、変な倒れ方をした相手に口角を上げる。
「ヒステリックな女みてェ」
「こ、の、」
激昂のままに暴れ出す前に、俺は先手として奴の口を塞いでやった。その手段が奴は気に入らなかったらしい。白い肌をみるみる赤く染めて、怒っているのだか照れているのだか、兎に角言葉を失っている。
わなわなと震えだした相手が突如立ち上がるのを呆然と見ていた俺は、今までとは比べものにならないほどの強烈な蹴りをこめかみに喰らって一瞬意識が飛びそうになった。咄嗟に少し引いたのでなんとか決定的なダメージは食い止めたが、脳内が大きく揺れている。視界が不安定だ。
その蹴りで少し飛んだ俺は体勢を立て直しながら局部を押さえる。俯いたままのミストレは殺気を剥き出しにしていたが、次の一打を加えずに、そのまま踵を返してしまった。
「調子、戻ってンじゃねェか」
体のバランスを保つのが辛い。仰向けに倒れながら瞳を閉じると、目の奥が痛みに熱くなっていた。
元気が良すぎるのはよくない。殊勝な奴の方が幾分かましだったかも知れない、そう、次の日に女共と戯れているミストレを見て再度思った。
ただ、そのあとしばらくオレの顔を見ると牙を剥き出しにして赤くなるのはどうしてなのか、それは理解できなかった。キスぐらい、初めてでもないだろうに。そう言ったら以前のものの数倍強い蹴りを鳩尾に入れられた。本当に、質が悪い。あの時顔面に拳を叩き付けられなかった自分を叱咤した。