NAMEROU~永遠(とき)の影法師
【第一話】
朝、目覚めると僕の口の中はざらざらしていた。
まるで砂吐きさせられているアサリになった気分だ、朝食にアサリ汁が出ていたらお互い気まずいじゃないか、そんなことを思いながら僕は二度寝するために、ずれ落ちた布団を肩に掛け直そうとした。と、指先に常に無い違和感を覚える。
(……、)
――布団じゃない! 僕は直感した。恐る恐る目を開けて手の触れている箇所を見遣る。
「……?!」
ぼやけていてよくわからない。……メガネメガネ、僕は枕元に置いてあったびしょ濡れの潮臭い眼鏡をかけて再度目視した。
「!!」
正体はごくあっさりと判明した。まさかさっきのアサリが前フリになっていたなんて誰も気付かないだろう、
「わっ、ワカメ……?」
――ザザーン、ザザーン、浜際に寄せる波音だけが僕の戸惑いに反応を返す。
そう、なんてことだ、僕はワカメにくるまって朝っぱらから砂浜に寝転がっていたのだ!
アサリどころかこれではサーモンの切り身ではないか、おフランス和風アレンジ海鮮料理の一種、鮭の切り身をワカメで巻いたサーモンパピヨットだ、ホイルで包み焼きしてさぁ召し上がれ、ってちっがーーーうッッ! 僕は食べ物じゃないっ!! 斯様に錯乱していた僕は背後から忍び寄る気配に全く注意を払っていなかった。
「ねぇ、きっ、そこの君ィ……、」
振り返って、いつの間にかそこにいたグラサンのおっさんに突然声をかけられた。くたびれたよれよれの着衣に無精髭、いかにも怪しげな胡散臭いオーラを発している。
「なっ、なんですか……?」
銀フレームの眼鏡を押さえて後ずさりながら僕の身に緊張が走った。
+++++
【第二話】
「そっ、そのアレな……」
くたびれたおっさんは僕の身体に巻きついている海草を指して言った。僕が距離を取ろうとするごと、薄汚れた髭面に引き攣った笑みを張り付けじりじりと前に出てくる。
――何だ、いったい何が目的なんだ?! 僕はまたも混乱に陥った。こんなヨレヨレのおっさんにまでカツアゲワッショイされるほど、情けない、僕は非力なモヤシっ子に見えるというのか。もはや草食ですらない、僕自身が捕食対象の草であると宣言されたも同じだ。
「ワカメならあげませんよ!」
両腕で庇うようにワカメを抱き寄せ、僕は叫んでいた。
おかしなものだ、さっきまでそれは僕にとって寝具としてふさわしからぬ異物でしかなかったのに、今ではまるで生まれたときから苦楽をともにした愛すべき相棒、それ以上に自分の一部のような気すらしていた。もしかしたらおまえと僕とは本当に遠くどこかで繋がっているのかもしれない、何せ僕らは同じ地球の、目の前に広がるこの豊かな海から生まれた生命体なのだから。キミの父さんの父さんの父さんのかーちゃんのじーちゃんくらいの、よぉく育ったワカメを食べて僕のこの黒髪は日々数々のストレスに耐え、奇蹟のキューティクルを保ち続けているのかもしれない。
「……、」
――心配するな、僕は心の中で肩口のワカメに話し掛けた。何があっても僕がおまえを守ってやる、
「いやあのそーゆーアレじゃなくてね……、」
グラサンのおっさんが前方の絶対防衛圏に一歩を踏み出してきた。僕は呼吸を計り、砂浜に落ちていた流木を素早い動作で拾い上げると上段に構えた。
+++++
【第三話】
「やっ、やぁぁーーーっっっ!!!」
僕は頭の真上から棒切れをかざしてトッ込んだ。標的の、怯えて動けぬ小動物のようなおっさんの表情に、僕の中の知らない、どす黒い感情がめらめらと煽り立てられる。自然足下がお留守になった。と、僕の足首にぬるついた何かがまとわり付いた。
――ズデーーーン!!!!!
肩口からずれ落ちて巻き付いたワカメに足を掬われ、僕は砂浜に引き倒された。身体が跳ねた拍子に、眼鏡のつるが外れて飛んだ。僕は砂地にしこたま顔面を打ち付けた。
「……」
痛みに耐えつつ、砂まみれの顔を上げる。白い砂の上に、スーッと鼻腔を伝うものがひとすじ滴った。僕はその赤い染みを真っすぐ見つめたまま、声を立てて笑った。鼻血と鼻水を両方の穴からまとめて同時に垂らしながら、自分があんまり惨めで情けなくて、笑うほか仕方なかった。
「キミっ、大丈夫かいっ!?」
しばらく腰を抜かしていたおじさんが、近くに転がっていた僕の眼鏡を拾うと立ち上がって駆けつけて来た。僕のみっともない顔を見るや、急いで褌の紐を裂いて鼻に詰める用の布を作ってくれる。素材はともかく、その温かい気持ちがありがたかった。
翻って僕はなんと非道な人間だろう、こんなに親切なおじさんを有無を言わさずぶちのめそうとしていたなんて。僕は心から自分の浅はかさを恥じた。同時に、足元の物言わぬワカメにも泣きながら詫びた。
――君は僕の間違った行いを止めてくれようとしたんだね、なのにあの瞬間、砂浜に顔から落ちていく刹那、僕は君を恨みにさえ思ったんだ、何故だ、僕は大切な君を守ろうとしただけなのに、なのに君は僕の一途な思いを無残にも踏み躙ろうとするのか、……嫌いだキライだ大嫌いだ、姉上も母さんも父上も、みんなみんな、心から信じたものは皆、最後にはどうせ僕を裏切り傷つける、こんなくだらない世界、明日にも消えて壊れてしまえばいい、その歪んだ空想だけが僕のひび割れた心を癒してくれていた。今の今まで拒絶の殻に閉じ篭もり、勝手な思い込みでいじけていた、そんな僕の器の小ささを君は身をもって正そうとしてくれたんだね、僕の目尻からとめどなく透明な涙が溢れる。
「キミっ、他にもどこか打ったんじゃないかっ?!」
おじさんはアワアワしながら僕の背中を必死にさすってくれた。啜り上げながら僕は首を振った。澱んだ偏見に凝りきった僕の心が、涙に溶けてゆっくりと解されていく。
浜辺で偶然出会った僕とおじさんは、こうして改めて自己紹介を交わした。
+++++
朝、目覚めると僕の口の中はざらざらしていた。
まるで砂吐きさせられているアサリになった気分だ、朝食にアサリ汁が出ていたらお互い気まずいじゃないか、そんなことを思いながら僕は二度寝するために、ずれ落ちた布団を肩に掛け直そうとした。と、指先に常に無い違和感を覚える。
(……、)
――布団じゃない! 僕は直感した。恐る恐る目を開けて手の触れている箇所を見遣る。
「……?!」
ぼやけていてよくわからない。……メガネメガネ、僕は枕元に置いてあったびしょ濡れの潮臭い眼鏡をかけて再度目視した。
「!!」
正体はごくあっさりと判明した。まさかさっきのアサリが前フリになっていたなんて誰も気付かないだろう、
「わっ、ワカメ……?」
――ザザーン、ザザーン、浜際に寄せる波音だけが僕の戸惑いに反応を返す。
そう、なんてことだ、僕はワカメにくるまって朝っぱらから砂浜に寝転がっていたのだ!
アサリどころかこれではサーモンの切り身ではないか、おフランス和風アレンジ海鮮料理の一種、鮭の切り身をワカメで巻いたサーモンパピヨットだ、ホイルで包み焼きしてさぁ召し上がれ、ってちっがーーーうッッ! 僕は食べ物じゃないっ!! 斯様に錯乱していた僕は背後から忍び寄る気配に全く注意を払っていなかった。
「ねぇ、きっ、そこの君ィ……、」
振り返って、いつの間にかそこにいたグラサンのおっさんに突然声をかけられた。くたびれたよれよれの着衣に無精髭、いかにも怪しげな胡散臭いオーラを発している。
「なっ、なんですか……?」
銀フレームの眼鏡を押さえて後ずさりながら僕の身に緊張が走った。
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【第二話】
「そっ、そのアレな……」
くたびれたおっさんは僕の身体に巻きついている海草を指して言った。僕が距離を取ろうとするごと、薄汚れた髭面に引き攣った笑みを張り付けじりじりと前に出てくる。
――何だ、いったい何が目的なんだ?! 僕はまたも混乱に陥った。こんなヨレヨレのおっさんにまでカツアゲワッショイされるほど、情けない、僕は非力なモヤシっ子に見えるというのか。もはや草食ですらない、僕自身が捕食対象の草であると宣言されたも同じだ。
「ワカメならあげませんよ!」
両腕で庇うようにワカメを抱き寄せ、僕は叫んでいた。
おかしなものだ、さっきまでそれは僕にとって寝具としてふさわしからぬ異物でしかなかったのに、今ではまるで生まれたときから苦楽をともにした愛すべき相棒、それ以上に自分の一部のような気すらしていた。もしかしたらおまえと僕とは本当に遠くどこかで繋がっているのかもしれない、何せ僕らは同じ地球の、目の前に広がるこの豊かな海から生まれた生命体なのだから。キミの父さんの父さんの父さんのかーちゃんのじーちゃんくらいの、よぉく育ったワカメを食べて僕のこの黒髪は日々数々のストレスに耐え、奇蹟のキューティクルを保ち続けているのかもしれない。
「……、」
――心配するな、僕は心の中で肩口のワカメに話し掛けた。何があっても僕がおまえを守ってやる、
「いやあのそーゆーアレじゃなくてね……、」
グラサンのおっさんが前方の絶対防衛圏に一歩を踏み出してきた。僕は呼吸を計り、砂浜に落ちていた流木を素早い動作で拾い上げると上段に構えた。
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【第三話】
「やっ、やぁぁーーーっっっ!!!」
僕は頭の真上から棒切れをかざしてトッ込んだ。標的の、怯えて動けぬ小動物のようなおっさんの表情に、僕の中の知らない、どす黒い感情がめらめらと煽り立てられる。自然足下がお留守になった。と、僕の足首にぬるついた何かがまとわり付いた。
――ズデーーーン!!!!!
肩口からずれ落ちて巻き付いたワカメに足を掬われ、僕は砂浜に引き倒された。身体が跳ねた拍子に、眼鏡のつるが外れて飛んだ。僕は砂地にしこたま顔面を打ち付けた。
「……」
痛みに耐えつつ、砂まみれの顔を上げる。白い砂の上に、スーッと鼻腔を伝うものがひとすじ滴った。僕はその赤い染みを真っすぐ見つめたまま、声を立てて笑った。鼻血と鼻水を両方の穴からまとめて同時に垂らしながら、自分があんまり惨めで情けなくて、笑うほか仕方なかった。
「キミっ、大丈夫かいっ!?」
しばらく腰を抜かしていたおじさんが、近くに転がっていた僕の眼鏡を拾うと立ち上がって駆けつけて来た。僕のみっともない顔を見るや、急いで褌の紐を裂いて鼻に詰める用の布を作ってくれる。素材はともかく、その温かい気持ちがありがたかった。
翻って僕はなんと非道な人間だろう、こんなに親切なおじさんを有無を言わさずぶちのめそうとしていたなんて。僕は心から自分の浅はかさを恥じた。同時に、足元の物言わぬワカメにも泣きながら詫びた。
――君は僕の間違った行いを止めてくれようとしたんだね、なのにあの瞬間、砂浜に顔から落ちていく刹那、僕は君を恨みにさえ思ったんだ、何故だ、僕は大切な君を守ろうとしただけなのに、なのに君は僕の一途な思いを無残にも踏み躙ろうとするのか、……嫌いだキライだ大嫌いだ、姉上も母さんも父上も、みんなみんな、心から信じたものは皆、最後にはどうせ僕を裏切り傷つける、こんなくだらない世界、明日にも消えて壊れてしまえばいい、その歪んだ空想だけが僕のひび割れた心を癒してくれていた。今の今まで拒絶の殻に閉じ篭もり、勝手な思い込みでいじけていた、そんな僕の器の小ささを君は身をもって正そうとしてくれたんだね、僕の目尻からとめどなく透明な涙が溢れる。
「キミっ、他にもどこか打ったんじゃないかっ?!」
おじさんはアワアワしながら僕の背中を必死にさすってくれた。啜り上げながら僕は首を振った。澱んだ偏見に凝りきった僕の心が、涙に溶けてゆっくりと解されていく。
浜辺で偶然出会った僕とおじさんは、こうして改めて自己紹介を交わした。
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作品名:NAMEROU~永遠(とき)の影法師 作家名:みっふー♪