ハンサムキラー
それから数日後、水谷が手形のついた左頬を赤く腫らして学校にやってきたときには、滅多に見れないものを見たと指を指し野球部員一同で笑いあった。からかう僕たちに水谷は一言うるせーよと悪態をついたあと、やけにすっきりした笑顔で微笑んだ。
その後水谷が誰かと付き合ったとか、今も誰かと交際中という話は聞かない。
切れかけの蛍光灯につられ蝶々が集まってしまうような魅力がだんだん無くなると同時に、女子たちは次第に水谷から遠ざかっていった。
今はすっかりボケキャラとしてその地位を得た水谷だったが、相変わらず僕に懐いていることは変わらなかった。
「栄口怒ってる?」
「怒ってないよ」
自分の声が予想以上に冷たかったのに驚いた。
さっき水谷は着替えていた僕の腰を両手で押さえ、立ちバックとかなんとか言いながら腰をカクカク動かした。たまたまそこにいた田島と泉がその下らない冗談に大爆笑し、3Pやろーぜー!と田島がその場のノリで水谷の後ろにくっついたものだから、げんなりとした花井から僕たち3人はまとめて教育的指導を受けることとなった。
多分そのことについて僕が気分を悪くしたと思っているんだろう。だったら最初からするなよ。微妙に腹が立って何も言わないでいるといきなり水谷がその歩みを止めた。
あいつには言葉より態度で示さないと埒があかない。だからかまわず置いて行くつもりだった。
「……さかえぐち、そういうふうに俺にイヤそーな態度とってももう無駄だよ」
後ろからかけられた妙に落ち着いた声に、思わず振り向いたことをいまさら後悔した。
頼りない街灯の元、深い紺の中にやりと笑った水谷の姿は海の底にいる魔物のよう。
……嫌だ、恐ろしい、逃げないと!本能がそう訴えかける。
「だって俺、無神経だもん」
最近ではもう微塵も感じさせなくなったあの危うい雰囲気が僕を誘い込む。水谷は牙を無くしたのではない、隠していただけだった。
その時になってやっと、水谷は今まで付き合った12人とそれまでのキャリアを僕に向けていることに気がついた。しかしそれはもう手遅れで、僕は身体の半分を水谷のいる深い海へと引きずられているのだ。
夏の夜の生ぬるい空気を受けながら駆け寄ってきた水谷は、煽るような獣の目で僕の下唇を甘く噛んだ。
「この前のおかえし」
ああ神様、やはり僕はこの男を好きにはなれません。