『その日』
時刻は夜23時。
プロイセンは、悪友たちからの飲みの誘いも断って、愛犬三匹をぎゅうぎゅう抱えながら、自室に引き上げてしまった。
台所では、宴会の片付けに余念がないドイツが洗い物に集中している。
それを手伝うふりをしてテレビのリモコンに手をのばしたイタリアの目に、窓の外、庭の片隅で動くなにものかの影がうつる。
「!?」
通常なら泣いてドイツを呼ぶ場面だったが、長い金の髪と、ひるがえるスカートが見えた気がして、イタリアはおそるおそる窓をあける。
そこにいたのは、今日、とうとう現れなかった、彼女だった。
「ハンガリーさん?」
ハンガリーは、いたずらを見つかった小さな女の子のようにびくりと肩を震わせる。
どれぐらい外にいたのか、肩にも、念入りにウェーブがかかった長い髪にも、雪がふりつもっている。
コートの下はなにやらずいぶんといつもより女らしい装いで、それがよけいに寒そうだった。
「何してるの?みんな待ってたんだよ!とにかく、中に」
「あ、でも、もう遅いし、あの、わたし帰るから、これだけドイツに渡…」
「何してんだよこんなとこで」
さえぎるように冷たい声がふってくる。
いつの間に下りてきたのか、不機嫌そうに目元に皺をよせ、プロイセンが立っていた。
普段から鋭い眼光が、苛立ちとともに眇められ、射抜かんばかりに彼女に向けられる。
どう考えても修羅場の空気に、逃げようのない位置に立たされたイタリアは、ドイツたすけてと心の中で絶叫する。
じゃれあいレベルの時ならいざ知らず、このふたりの本気の喧嘩のえげつなさは、同居時代から骨身にしみている。
しかしこの日のハンガリーは、いつもの喧嘩上等の勇ましさをどこかに置いてきた様だった。雪の積もった細い肩をしょんぼり落とし、マフラーに顔をうずめながらぽしょぽしょとつぶやく。
「…クーヘン」
「あ?」
「……焼こうと思ったら、うまくできなくて」
彼女の手には可愛らしくラッピングされた箱があった。
大きさ的にどうみてもクーヘンのサイズではなく、どうやらさんざん挑戦した上でべつのなにかに変更されたようだった。
プロイセンは目を見開き、なにかいいたそうに口をぱくぱくさせた後、だまって彼女に手を伸ばした。
「…なれねえことするからだ、バカ」
無骨な指が、なにか熱いものにでも触れるかのようにおそるおそるといった様子で彼女の頭におかれ、そっと雪を払う。
びっくりしたように見上げてくるハンガリーから目をそらし、プロイセンはあいかわらず不機嫌そうにしかめた顔のままふいとそっぽを向く。
間に挟まれたイタリアの位置からは真っ赤に染まったその耳が見えて、彼はほっとする反面、なんともいえないむずがゆい空気に、眉を下げて「ヴェ、」と鳴いた。
「ハンガリー!?来ていたのか、遅いから心配し、」
「ヴェスト、車かりるぞ。こいつ家まで送ってく」
「…今からか?」
たしかに高速を飛ばせば国際線の最終便にギリギリ間に合わないこともないが、はるばるやってきた彼女に対しそれではあんまりだろう。
うちに泊めてやったほうが、と言いかけたドイツをイタリアが大声でさえぎる。
「行ってらっしゃい。気をつけてね~」
手を振る彼に見送られ、今日は妙に静かになってしまったふたりは、気恥ずかしげな空気をまとったまま、ドアの向こうに消えていった。
遠ざかるエンジン音を聞き届け、すべての片づけを終える頃、時計の針はまさに24時をさそうとしていた。
それを見上げて、ぼそりとドイツがつぶやいた。
「…今年は、いい日だった、と、思っていいのだろうか」
それが「誰にとって」かは聞くまでもなく。
おそらく本日、最も振り回されたのはドイツであろうに、なおもそんなことを言う。そんな愛すべき友人の背中に、イタリアは思い切り抱きつく。
「もちろん…最高だったんじゃない?」
「…そうか」
朴念仁の彼が珍しく、嬉しそうに口元をほころばせる。
それをみとめてイタリアはさらに嬉しそうに笑うと、おおきく伸びをした。
「じゃあさ、片付けはもうそれくらいにして、戸締りして寝ようよ」
「待て、どうやら兄貴は家の鍵をもって出ていないようだ」
イタリアが振り向いて、ほとんど呆れたように言う。
「これで今日、帰ってくるような男はむしろ、締め出しちゃえばいいと思うよ」
一拍置いてその意味を理解したドイツは瞬時に赤くなり、しばらくうろうろ目をさまよわせた後、おもいきり破顔した。
「まあ、その……そうだな、確かに、それは俺も同感だ」
END