『その日』
どうやら今年は、例年とはまったく違うめぐりあわせのようだった。
時計の針が14時を過ぎた頃から、ドイツの家は、予想外の来客を次々と迎えることになる。
まずスペインとフランスがビール樽を抱えて遊びに来た。
次にやってきたのはオーストリアだった。憮然とした顔で「道に迷いました」と宣言した彼は、なぜか居間でオットー・ニコライの曲を見事に奏で、照れたようにさっさと帰っていったが、一時間後にやはり戻ってきた。今度こそ本当に道に迷ったようだった。
それから、宅配屋がやってきた。荷物の差出人は日本で、立派な桐の箱にはマンジュウとかいう甘い菓子がどっさり入っていた。
さらにイギリスがお約束どおり異臭を放つ真っ黒い塊を差し出し「べつにお前らのために焼いてきたわけじゃねえけどな」とツンツンしたり、誰もいないのにテーブルの上に、どこからか純正ブランドのメープルシロップが忽然と現れたり、花束を抱えたロシアがやってきてプロイセンの右のまつげが3本抜けたり、かとおもえばドアをガリガリひっかく音がして恐々見てみたらベラルーシがいて、プロイセンの左まつげがさらに5本抜けたりした。
他にもなんだかんだと客人は絶えず、日暮れ頃にはベルリン郊外の静かなドイツの家は、すっかりカオスな宴会場と化したのだった。
そんなこんなで時刻はすでに夜の21時。
怒涛の宴会が続くリビングを抜け出したドイツが、イタリアを廊下に連れ出し声をひそめた。
「さっきから、兄貴の様子がおかしいようだ」
イタリアはガラス戸ごしに、こっそりとリビングのプロイセンに目をやる。
散々飲んで騒いだあとだから、小休止でもしているのだろうか。プロイセンは玄関に一番近いソファに陣取って、ベルリッツを抱きかかえている。愛犬を撫でる手の動きが若干せわしないようだが、特に様子がおかしいようにも見えない。
「…一心不乱にブラッシングしているだけに見えるけど」
「いや、兄貴のあんな様子は1916年ベルダン攻略失敗の時以来かもしれない」
「は!?それけっこうすごくない!!?なんで!??なんかあったの?」
「…わからん。さっき官邸に電話をかけてみたが、特に目だったニュースはないようだ」
そのときふいにイタリアがはじかれたように顔をあげた。
「ねえドイツ、ハンガリーさんって来てる?」
「いや…?そういえば今日はまだ」
リビングには、『その日』いつも訪れるはずの、彼女の姿だけがなかった。
時計の針が22時を指す。
プロイセンはあいかわらずソファに座ったままだ。
黙々と3匹めにとりかかる彼の足元には、すでにふわふわのモフモフにされたベルリッツとブラッキーが嬉しそうにまとわりついている。
ドイツが額にじっとりと汗を滲ませてささやいた。
「本当に様子がおかしい。どうやら非常事態のようだ」
「はあ。よくわかるねー。俺、全然いつもと同じに見えるけど」
「訓練されたドイツ軍人は指揮官の細かな変化も見逃さないものだ。あんな顔は、ヴェルサイユ条約締結前夜くらいしか見たことがない」
「そこまで!!???いやいやいやいや恋人に誕生日忘れられたくらいでそんな」
とたんにドイツが口をつぐんだ。
しばしの生真面目な沈黙の後、青い瞳が不思議そうにイタリアを見返す。
「すまんが、恋人とは、なんのことだ?」
「いや、…ハンガリーさん」
「ハンガリーがどうした」
「え、付き合ってるんじゃないの?」
「えっ誰と」
「プロイセン…」
「えっ」
「……、えっ?」
指揮官の心理を読むことには長けていても色恋沙汰の機微には全くもって疎いドイツだった。
混乱したドイツが、日本に電話してセキハンの炊き方を聞いたり、こういう場合は家族として挨拶に言ったほうがいいのかと、書庫にマニュアル本を探しにいったりするうちに、宴会もお開きムードになり、帰り支度をする者、さらに外に飲みに繰り出す者、三々五々散らばっていく。
最終的に家に残ったのは、家主である兄弟と、泊まっていく気満々のイタリアだけだった。