オッフェンブルグの戦い
ベルガが征服されたという第一報がアルヴァレスの耳に届いたのは、征服されてから三日後の事だった。
その報を聞いたアルヴァレスは体中を駆け巡る衝動に従うまま戦時中というのも厭わずにベルガへと馬を走らせたが、そこはもう彼の知る故郷ベルガではなかった。
賑やかな声に満ちていた家は焼け落ち、深く緑色に茂っていた森の木々は唯の黒い炭と化し、どこまでも鮮やかな夕陽の色に染まっていた空は、雲すらも立ちこめる黒煙の色に浸食されてしまっていた。
そして、彼女と約束を交わしたあの丘。不思議と約束の丘だけは、あの時のまま静かに風に揺れている。
けれど、約束を交わした相手がいなければ意味がないではないか。一人ではなんの意味もない。彼女とこの丘を眺めなければ、意味がない。
許せなかった。
許せなかった、許せなかった。
只、許せなかった。
だから、アルベール・アルヴァレスは剣を取った。復讐という醜いモノの為に、彼は剣を取った。
プロイツェン領オッフェンブルグ。
そこは先の戦いで収めた大勝利の余韻に浸るように、昼夜問わず小さな宴を繰り返していた。
何せ戦いは始まったばかりなのだ。小国を一つ征服した程度で喜んでなどはいられない、のだが。如何せん兵士というのは英雄などとは違い自らの努力を褒め称えて貰いたい生き物。
これから戦は大きくなるというのにその小さな宴はじわじわと食糧を削っていった。
「ゲーフェン!おい!ゲーフェンバウアー!」
ゲーフェンバウアーと呼ばれた青年はうんざりしたような表情を浮かべながらも、声の主の方を振り返った。
声の主は大きな図体で大きな酒樽を担ぎながらこちらへ駆けてくる。そうしてゲーフェンの元まで来るとその酒樽を嬉しそうな顔で肩から地面へと下ろした。
「ゲーフェン、全然飲んでないじゃないか。折角の宴なんだ!もっと飲め!」
はぁ、とゲーフェンは溜め息を吐く。この男はたったそれだけの為に重い酒樽をここまで運んだのか。いや、きっとこの男にとっては重くもなんともないのだろうが。
「生憎、私は葡萄酒の方が好みでね。発泡酒は喉が痛くて敵わない」
肩を竦めながらそう言うと男は野太く笑い、ゲーフェンの肩を叩いた。
「相変わらず、お前の家は凄いな」
男が苦笑いをしながら、異常に人が溜まっている箇所を顎で指し示す。あぁ、と此方もまた苦笑いをしながら葡萄酒を注がれたグラスを口へ傾けた。
人溜まりの中心にいる人物、ゲーフェンの父と兄。あの二人は戦で勝利を収める度にああやって人溜まりができる。
父は将軍で兄はその武官…つまり副将軍。先の戦でも先方を父が蹴倒し、後方を兄が守りきった。二人の武勇はまだこの軍の中でしか伝わってないものだが、いずれは国全土に伝えられるに違いない。
ふと見ると、その人溜まりから此方をじっと見つめている影がある事に気が付いた。その影はゲーフェンと視線が合うやいなや、此方へと駆けてくる。
「…兄上」
その影はゲーフェンの弟であった。ゲーフェンと同じ漆黒の髪を震わせながら彼は自分の兄を見据た。
「僕は兄上を尊敬しています。兄上は父上以上の武勇と知識を兼ね備えている事を、僕は知っています。…何故、戦でそれを振るわないのですか」
ふぅ、とゲーフェンは静かに溜め息を吐き、またその話か、と弟を嘲笑する。
幾度もその質問には応えてきた。それをまた説明しなければならない程に、この弟は理解力に乏しいのだろうか。
そう言いまた嘲笑を浴びせると弟は眉を吊り上げながらゲーフェンを睨んだ。そんな怒りの籠もった視線を向け、よくもまぁ尊敬しているなどと言えたものだ。
――例えば。
蟻一匹の命を奪うのに自身の力と知恵、全て出し切る人間がいるだろうか。
つまりはそういう事。自身より格下だとわかりきっている相手に全力を注ぐ必要などない。
大体、ゲーフェンの場合はそんな事しなくとも父と兄が勝手に相手を倒してくれる。自分はそこから洩れたのを倒せば良いのだ。それに全力を注ぐなど、無駄に疲れるだけである。
それを幾度も説明しているのに未だにこの弟は理解出来ず、全力を出せと催促してくる。愚考。そんな二文字がゲーフェンの頭をよぎった。
これでも血の繋がった可愛い弟なのだ。そんな事を言うと可哀想だから、絶対に、一生、言ってやらない。
「……もう結構です。突然お声を掛けて申し訳ありませんでした」
弟は踵を返し、元居た人溜まりの方へと駆けて行った。その様子を隣でずっと見ていた男が、あ〜ぁ、と声を漏らす。
不快そうな表情をするゲーフェンに苦い顔をしながら酒樽を割った。
そこからグラスに酒を注ぎ一気に飲み干すとゲーフェンの方に視線を移し唇を開く。
「お兄ちゃんに冷たくされて、可哀想になぁ」
「ふん。あやつは少々間違った思考を持っている様だからな。それを正してやったまでよ」
と、此方もグラスに注がれていた葡萄酒を口に運ぶ。ゲーフェンは喉を鳴らすとグラスの葡萄酒は底を尽きてしまった。
渋々とグラスを差し出すゲーフェンに、男は笑いながら酒を注ぐ。
「それにしても、彼方さんも何を考えているんだか。聖戦だとか何とか言ってプリタニアに喧嘩をふっかけるなんてな」
「フランドルの王は頭に蛆でも湧いているのだろう。聞くところによると、イタニアの王はイタニア最高の歌姫を王妃を迎えると宣言したそうだが、結局迎えた王妃も自分の部下に暗殺されたらしい」
「はぁ…お偉いさんの考える事はわからんねぇ」
「違いない」
口を緩ませグラスを傾ける。
やはり、発泡酒は好きになれそうにない。
作品名:オッフェンブルグの戦い 作家名:nago