待つのはいいですけれど
そして、夏になった。
暦上は夏であり、この日はハレの日だ。七が二つ並ぶ日で、憶えやすく、縁起よい。
「曇っていては河も見えませんし、橋も掛からないでしょうし」
今回は、もしくは今回も曇りで、天上の二人はよほど運がない。しかし一方で、二人の逢瀬を隠すための雲である、と言い伝える地方もあるので、それに倣えば運があるのかもしれない。どちらにしてもこじつけの類であるが、日本はこういうメルヘンな話は嫌いではない。
「それにしても……今日は暑いですね」
まだ熱帯夜ではないらしいが、じめっとした空気は、夜になっても地上が冷えていく事を拒んでいた。その空気は鬱陶しさと共に満足感のようなものを含み、日本の心身を晴れやかな気分にしていた。
「そうですね、今夜は外出しましょう」
なんだかそちらの方がいいような気がして、日本は立ち上がった。
浴衣を着ると財布と携帯電話を懐にしまう。
そして、玄関を開けた。足元に暗闇が差し掛かる。門のから玄関前まで、影が伸びていた。
「遅い」
影の主はそう言った。
日本は固まった。頭がついていかない。本物かと疑ったが、あの翠の瞳は、イギリスの持つ色そのものだ。
「それ、私の言葉なのですが」
「ああ?そうか?」
浴衣姿のイギリスは、穏やかにそう答えた。
対して、日本は何とか頭を働かせている。
「そうですよ。私が言いたいです。なんですか、どこに行ってたんですか今まで」
「色々あったんだよ。無人島とか、山とか」
「サバイバル訓練でもしてたんですね」
「違うわっ」
この軽い受け答えは、まさしくイギリスとよくやっていた、電話口での会話だ。
「なんだ、生きてたんですねどうやって我々が死ぬのかわかりませんがとりあえず生還おめでとうございます?」
「疑問かよ。でも、約束通りだっただろ」
「橋の上ではないんじゃ」
言いかけてはたと気がついた。天空を見上げる。曇り空は、河に掛かった橋を見せてはくれないが、一説によれば、雨でもない限り掛かるらしい。
「雨が降ったらどうする気だったのですか」
「俺が聞いた話だと、雨でも会えるらしい」
卑怯だなと日本は思った。これでは彼の思い通りではないか。
「とにかく、間に合ってよかった。季節は一方通行だから」
「何故姿を消していたのか聞いていませんが」
「……その……一方通行だから?」
日本は冷や汗を垂らした。意味がわからない。どうしようこの人。
「秋と夏は隣だけど、秋から夏までは遠いだろ。つまり、今まで隣りだったけど、そこから違うところに近付きたかったっつーか。あとええと、自分との賭けみたいなもんで、我慢できたら言おうって」
ごにょごにょと恥ずかしそうに彼は言う。視線を逸らして。顔が少し赤いのは街灯のせいではない気がする。
「ええとつまり、つまりだな」
一拍置いて唾を飲みこみ、イギリスは日本に向き直った。
「好きだ」
目を見開いた姿で日本は固まった。驚いた。まさに驚天動地。
なにを、なにを。
なにを今更。
「そんなの、私だって」
作品名:待つのはいいですけれど 作家名:sasara