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添臥と寒暁

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「先生? どうしてこっち向いてくれないの?」
 准の掛けた声に、糸色は准に背を向けたまま、ふるふると小さく首を横に振る。
 一つ布団の中、互いに浴衣一枚身につけただけの寝間着姿で一緒にいて、ちょっと前まではその浴衣すら身につけずに裸で抱き合っていたのに。彼はさっきから、准に背を向て長い手足を縮こまらせて、所在なげに布団の隅で小さくなっている。
 冬の最中の今夜はとても寒くて、そんな端の方にいてはきっと体が冷えてしまうだろうに。糸色は布団の半ばくらいにいる准から少しでも距離を取ろうとするように、申し訳なさそうに隅っこで壁を向いている。
「先生?」
 ほんの少し前には、彼は全部准に見せてくれていた。
 抱き合って、体温を分け合って、准は綺麗な白い肌のあちこちに触れて、口接けた。
 そうして、高まる熱が一番熱くなる場所をひとつに繋げて、快楽を分かち合う時間を過ごしたのだ。
 准が彼とこんな風に触れ合うようになってから、まだ余りたくさんの日は経っていない。
 想いを告げ、彼がそれを受け入れてくれたからこんな風に抱き合うようになったのだ、ということは間違いないのだけれど、まだお互いに、こういう時には少し緊張感が残っているところがある。
 彼は恥ずかしい気持ちが先に立ちすぎる性質のようで、どうにかして准の耳目から、自分が抱かれる時の反応を隠し立てようとする。
 准の方もまだ年若くて大した手管など持っていないから、どこに触れれば、どんな風に口接ければ彼が心地よくなってくれるのか、まだ手探りのことばかりで、自分だけが充足してしまっている引け目を感じることが少なくなかった。
 けれども今日は、彼はいままでにない姿を准に見せてくれた。いつも控えめな吐息を押し殺そうとしてばかりいたこの人が、今日は甘い声や、悶えるようにくねる体や、縋り付くように差しのばす腕を准の前にさらけ出してくれていた。
 久藤くん、久藤くん──と、涙まじりに呼ばれた声が、まだ准の耳の底へ甘やかに響いている。
 ふたりしてきつくきつく抱き合いながら、最奥まで繋げた場所が熱に溶け落ちた時の感覚は、快楽に心が溺れて果てるかと思うくらいだった。
 いつにない姿を准に見せてくれたのは、彼が今日は殊に感じやすい日だったのか、少し准に気を許してくれるようになったからか、ひたすらにこの人に心地よくなって欲しいと願っている准の心が、彼の快楽をようやく探りあてることが出来るようになったからか。
 愛おしい白い体を強く抱きしめて快楽の余韻に浸りながらそんな風に考えて、准はいつにも増して嬉しい気持ちでいたというのに。
 汗に濡れた体を清め、寝間着を纏って寝支度を整え、ひとつの寝床で身を寄せ合って眠りに就こうかという段になって、糸色は急に、准に背を向けて寝床の隅で身を竦めてしまった。
 不思議がる准が呼びかけても、髪を撫でても、こちらをちらとも見ようとせず、ただ無言で首を横に振り続けるばかり。
「……どうしたの? 僕、なにか先生に嫌なことしちゃいましたか?」
「ち……違います」
 さっきと変わらず首を振りながら、けれどようやく、掠れた声で答えを返してくれた。
「じゃあどうして? 具合でも悪いんですか?」
「違うんです。お願いですから──私のことは放っておいてください」
「先生──」
 いよいよ身の置き所がなくなったように、布団の端から転び落ちそうなところまで躙っていって、そこで小さく体を縮めて肩を震わせる。
 頼りなげな風情に胸が締め付けられる思いがして、そっと震える肩に手を添えれば、糸色はびくりと背中を強張らせた。宥めるように、肩から背中に掛けてゆっくりと撫で下ろす。何も云わずにそうしてしばらく背中を撫でていると、やがて少しだけ、彼の体の緊張が解けるのが分かった。
「私……みっともなかった──でしょう?」
「……何が?」
 意外な言葉に、准は驚いて眉を上げた。
「だって、あんな──あんなこと……あんな風になるなんて、私……」
 泣きそうな声でそう云って、糸色は更にぎゅっと身を縮こまらせる。
「どうしてそんなこと思うの? さっきの先生、すごく可愛かったですよ」
「……や」
 どうやら彼は、さっき抱き合った時、いつになく素直に准に見せてくれた艶めいた振る舞いに恥じ入っているらしかった。
 抱き合っている最中には押しとどめられなかった媚態を、熱が退いた後に思い出して、身の置き所のない気持ちに陥ってしまったと云うことだろうか。
 ただ気持ちよくなって欲しいという思いで彼に触れて、抱きしめて、口接けたことに、そんな風に夢中になってくれたのだとしたら、それはとても、准にとっては嬉しいことなのだけれど。
「あの──見ないで……ください……」
 消え入りそうな声で云って、そうしてまたちょっとずつ、准から逃げるように壁の方へと躙っていってしまう。彼にとっては、我を忘れた姿を准に晒してしまうことは、絶え難いほどにはしたない真似だったのだろう。
「先生──好きです」
 こんな時、准は自分の持ちうる彼への思いを表す言葉の少なさを残念に思う。
「好き──」
 けれどこれより云いようがない。
 まだ全部准に預けてはくれないことは少し寂しいけれど、慎ましやかな彼の羞じらいを准は愛おしいものだと思う。
 それでもいつか、彼が何も躊躇うことなく、准にみんな任せてくれる日が来るといいとも思う。
 そんな思いの生まれ来る元ははどちらも、ただ准がこの人のことを好きだという、胸の奥に大事に抱いた恋情からであるのだから。
 黙り込んだままの糸色の髪をそっと撫でてから、准は一旦寝床から出て立ち上がった。そして豆球の薄明かりだけになっていた部屋の灯りを落とし、部屋を闇で覆い隠すと、糸色が寄っていったのと反対側の布団の端の方へ座って、彼の背中へ声を掛ける。
「先生。そっち向いたままで良いから──もう少しだけ、こっちに来てくれますか?」
 これだけ暗いと、もう向かい合っても表情は定かには分からない。それに少し気を楽にしたのか、糸色は布団からはみ出して壁際にまで行き着いてしまいそうなくらいだった位置から、少しばかりこちらへ戻ってきた。
「あんまりそっちに行き過ぎると、寒いですよ。今日は冷えますから、ちゃんとお布団に入ってください」
「……はい」
 出来るだけ穏やかな声でそう促すと、糸色はまた消え入りそうな小さな声でそう答えた。小さな頷きの気配が背中越しに分かって、またちょっと少し、彼の体が准の方へと戻ってくる。
「先生が見られたくないなら、無理にこっち向いてくださいとは云いません。でも、このままでいいから、ここに一緒にいても──いいですか?」
 もしこの問いに否の答えが返って、自分が居ると彼の心がどうしても落ち着かないと云われたなら、今日は自分は別室で休むことにしよう。そう思いながら問うたのへ、糸色は躊躇う素振りは見せないで、すぐにこくりと頷いてくれた。
「……良かった」
 たとえこちらを向いてはくれなかったとしても、すぐ傍に好きな人の気配を感じながら眠りにつけるのはとても嬉しいことだから。
 准は部屋の中の冷えた空気があまり入りこまないようにちょっとだけ布団を持ち上げて、彼のいる寝床の中に再び潜り込んだ。
作品名:添臥と寒暁 作家名:ヒロセ