コタツとみかん
***
刹那のもとへ、中東の一角で対立する部族同士によるちょっとした小競り合いがあった、という知らせが入った。
「情勢は?」
「もう鎮静化に向けて動いているわ。アザディスタンの要請を受けた連邦が、一早く手を打ったようね」
ソレスタルビーイングの戦術予報士は、若干の苦笑いを浮かべながら軽く肩を竦めてみせた。こちらの手は借りない、介入も許さないという、それは地球連邦政府の意思表示の現れでもある。
《イノベイド》と《アロウズ》を滅ぼしたあとでも、ソレスタルビーイングが世界の厄介者であることに変わりはない。影響力が強すぎても火種のもとで、かといって弱すぎればまた同じことの繰り返しである。天秤を水平に保ち続けること。それが、現在の刹那たちに課せられた使命でもあった。
「俺たちが動かずに済むのなら、それに越したことはない」
「そうね。……気になるようだったら、様子を見てきてもいいわよ? ありがたいことに今とっても暇だから」
スメラギ・李・ノリエガは、両手を広げて明るく笑ってみせた。
空の上をプカプカ浮かんでいるだけの現状を皮肉に笑えるほど、世界は平和だった。
開け放しの窓を見て、相変わらず無用心な王宮だなと刹那は思う。
テロリストの侵入を易々と許す警備の薄さは、しかし、今の主の性格をよく表しているようでもあった。
月明かりに、刹那の影が揺れる。床に伸びた黒い影に気づいた部屋の主が、書き物をしていた机から顔をあげた。驚くでもなく静かな佇まいに、もしかしたら刹那の訪問をすでに予想していたのかもしれない。
「驚かないんだな」
「刹那……。あなたがくるような気がしていたのよ」
小さく笑った拍子に、彼女の長い黒髪がさらさらと流れた。
「部族間の騒動は、連邦軍と仲介者の人達が上手く治めてくれたわ。少し怪我人は出たけれど、大丈夫、誰も亡くなっていないの」
平和を謳い、争いを無くすためにアザディスタンの王女・マリナは動く。その意志は鉄壁を誇り、刹那がどれだけ否定をしようとも揺らがなかった。彼女の芯を折らない強情さに反発を覚える一方で、そこに強く惹かれたのも確かである。
マリナ・イスマイールの存在は、今の刹那を形作る大切なパーツの一つになっていた。
「アザディスタンはどうなんだ?」
刹那が問えば、マリナは少しだけ肩をすぼめて小さくなった。至らない自分を責めているようにも見える。
「まだ、安定には程遠いわ。……でもね、刹那。連邦の援助が徐々に行き渡っていって、保守派のテロの回数も以前と比べたら格段に減ったのよ? 少しずつ、少しずつよくなっているわ、あなたの故郷も」
「そうか……」
あの、血で血を洗うような日々から脱却できていることは、刹那の心を明るくさせる材料だった。銃を取って銃口を突きつける必要がないだけで、人々は明日のことを考えられるのだから。
ふと、何かに気づいたような顔をしたマリナが、刹那を見上げてきて言った。
「私の力はアザディスタンを平穏へ導くことで精一杯。あなたのような生き方を選ぶことはできないわ。けど、私の努力が少しでもあなたの杞憂を取り除けているのなら、私はこのまま頑張れると思うの。──ねぇ、刹那。あなたはあなたの幸せを見つけることができた?」
彼女の問いかけに、刹那は逡巡する。
真っ先に頭の中に浮かんだもののことを考え、思い出したらすぐにでも帰りたくなった。あの場所へと。
「──……」
刹那の答えは、柔らかく吹いた風とともに宙を舞った。
***
2313年の最後の一日も、無事に暮れようとしていた。
経済特区・東京の12月31日は、大晦日とも呼ぶらしい。刹那の日本に関する知識は、大抵の場合で友人の沙慈からもたらされたものである。その沙慈は今もスペインにいて、恋人のルイスと共に年明けを迎えることになっているそうだ。
別に羨ましくはない。何故なら刹那も同じであるから。
「ただいま」
自宅に戻って挨拶をするのも久しぶりだった。平和とはいえ、ソレスタルビーイングの一員として待機行動をしている身では、ずっと家の中に閉じこもっているわけにはいかないのだ。
「……いないのか?」
いつもなら「お帰り」と出迎えてくれるのに、その気配すらなかった。リビングルームの明かりも灯っていない。この時間に出かけるとしたら買い物へでも行ったのだろうか。
素直にガッカリとした気持ちで、刹那はドアノブを引く。そこで足を止めた。何かが床の上に横たわっている。
「……」
留守を預かる男は、ちゃんとここにいたのだ。ただし、コタツの中で丸くなって眠っているという有様であったが。
共に暮らすようになってから数ヶ月が過ぎ、だんだんと相手のことが分かるようになってきた。初対面では警戒心バリバリだった彼も、今では刹那の帰宅にも気づかず熟睡できるほどの無警戒である。変な日本の知識をふんだんに持っており、そもそも最初に『大晦日』という単語を発したのも彼だった。刹那はそれが正しいかどうかを沙慈に確認したのだ。
見下ろす床の上で、本当によく眠り続けている。まったく強盗が押し入ってきたらどうするつもりなんだと腹も立ったが、安心しきっている姿に妙な安堵感も覚えていた。
ここが、戦いとは無縁であることの象徴とでもいうように。
「起きろ、グラハム」
「……ん……、刹那?」
ゴロンと寝返りを打って仰向いた身体が、声の主を探して視線をさまよわせる。暗がりに見つけた刹那の姿に、ニッコリと微笑んでみせた。その嬉しそうな笑顔に、何もかもを騙されてもいいような気分になる。
「お帰り、刹那。……なんだ、もう、すっかり暗いな」
軍人特有の目覚めの良さで、グラハムはすぐに身を起こした。乱れた髪の毛を軽く手櫛で整えながら、外の様子に目をやっている。
「いないのかと思った」
「ああ、すまない。コタツとは素晴らしい暖房器具だなぁ、刹那。ついついうたたねしてしまうのだよ」
悪びれるでもなく語るグラハムに、刹那は溜息をつきたくなった。久しぶりに帰ったのに、まるで昨日も会ったかのような話し方だ。熱烈な歓迎を望んでいたわけではないが、あまりにも素っ気無い。面白くないような苛立ちを抱えていると、グラハムが自分の横のスペースをポンポンと手で叩いていた。
「刹那も早く入るといい。暖かいぞ」
「……それもいいが、食事はどうした?」
グラハムは「ああ」という顔をする。
「君は腹が減っているのか。何か食べたいものはあるか? 作るなり買うなりできるぞ?」
「……なんでもいいから作ってくれないか」
それほど空腹でもなかったが、刹那はリクエストをした。なんだろう。上手く気持ちを伝えることができない。嫉妬とも独占欲とも言える、おかしな感情が渦巻いている。
グラハムはすべてを見越したように笑ってみせた。
「了解した。では冷蔵庫の中身を確認しよう。ああ、そうだ。夕飯はリクエストどおりに作るが、量は控えめにするからな」
「何故だ?」
「決まっている。今日の夜は蕎麦を食べるからだ!」
「……そば?」
グラハムの意味不明な言語に、刹那は心底うんざりといった感じに眉を顰めた。苛立ちが最高レベルにまで到達しそうになっている。
刹那のもとへ、中東の一角で対立する部族同士によるちょっとした小競り合いがあった、という知らせが入った。
「情勢は?」
「もう鎮静化に向けて動いているわ。アザディスタンの要請を受けた連邦が、一早く手を打ったようね」
ソレスタルビーイングの戦術予報士は、若干の苦笑いを浮かべながら軽く肩を竦めてみせた。こちらの手は借りない、介入も許さないという、それは地球連邦政府の意思表示の現れでもある。
《イノベイド》と《アロウズ》を滅ぼしたあとでも、ソレスタルビーイングが世界の厄介者であることに変わりはない。影響力が強すぎても火種のもとで、かといって弱すぎればまた同じことの繰り返しである。天秤を水平に保ち続けること。それが、現在の刹那たちに課せられた使命でもあった。
「俺たちが動かずに済むのなら、それに越したことはない」
「そうね。……気になるようだったら、様子を見てきてもいいわよ? ありがたいことに今とっても暇だから」
スメラギ・李・ノリエガは、両手を広げて明るく笑ってみせた。
空の上をプカプカ浮かんでいるだけの現状を皮肉に笑えるほど、世界は平和だった。
開け放しの窓を見て、相変わらず無用心な王宮だなと刹那は思う。
テロリストの侵入を易々と許す警備の薄さは、しかし、今の主の性格をよく表しているようでもあった。
月明かりに、刹那の影が揺れる。床に伸びた黒い影に気づいた部屋の主が、書き物をしていた机から顔をあげた。驚くでもなく静かな佇まいに、もしかしたら刹那の訪問をすでに予想していたのかもしれない。
「驚かないんだな」
「刹那……。あなたがくるような気がしていたのよ」
小さく笑った拍子に、彼女の長い黒髪がさらさらと流れた。
「部族間の騒動は、連邦軍と仲介者の人達が上手く治めてくれたわ。少し怪我人は出たけれど、大丈夫、誰も亡くなっていないの」
平和を謳い、争いを無くすためにアザディスタンの王女・マリナは動く。その意志は鉄壁を誇り、刹那がどれだけ否定をしようとも揺らがなかった。彼女の芯を折らない強情さに反発を覚える一方で、そこに強く惹かれたのも確かである。
マリナ・イスマイールの存在は、今の刹那を形作る大切なパーツの一つになっていた。
「アザディスタンはどうなんだ?」
刹那が問えば、マリナは少しだけ肩をすぼめて小さくなった。至らない自分を責めているようにも見える。
「まだ、安定には程遠いわ。……でもね、刹那。連邦の援助が徐々に行き渡っていって、保守派のテロの回数も以前と比べたら格段に減ったのよ? 少しずつ、少しずつよくなっているわ、あなたの故郷も」
「そうか……」
あの、血で血を洗うような日々から脱却できていることは、刹那の心を明るくさせる材料だった。銃を取って銃口を突きつける必要がないだけで、人々は明日のことを考えられるのだから。
ふと、何かに気づいたような顔をしたマリナが、刹那を見上げてきて言った。
「私の力はアザディスタンを平穏へ導くことで精一杯。あなたのような生き方を選ぶことはできないわ。けど、私の努力が少しでもあなたの杞憂を取り除けているのなら、私はこのまま頑張れると思うの。──ねぇ、刹那。あなたはあなたの幸せを見つけることができた?」
彼女の問いかけに、刹那は逡巡する。
真っ先に頭の中に浮かんだもののことを考え、思い出したらすぐにでも帰りたくなった。あの場所へと。
「──……」
刹那の答えは、柔らかく吹いた風とともに宙を舞った。
***
2313年の最後の一日も、無事に暮れようとしていた。
経済特区・東京の12月31日は、大晦日とも呼ぶらしい。刹那の日本に関する知識は、大抵の場合で友人の沙慈からもたらされたものである。その沙慈は今もスペインにいて、恋人のルイスと共に年明けを迎えることになっているそうだ。
別に羨ましくはない。何故なら刹那も同じであるから。
「ただいま」
自宅に戻って挨拶をするのも久しぶりだった。平和とはいえ、ソレスタルビーイングの一員として待機行動をしている身では、ずっと家の中に閉じこもっているわけにはいかないのだ。
「……いないのか?」
いつもなら「お帰り」と出迎えてくれるのに、その気配すらなかった。リビングルームの明かりも灯っていない。この時間に出かけるとしたら買い物へでも行ったのだろうか。
素直にガッカリとした気持ちで、刹那はドアノブを引く。そこで足を止めた。何かが床の上に横たわっている。
「……」
留守を預かる男は、ちゃんとここにいたのだ。ただし、コタツの中で丸くなって眠っているという有様であったが。
共に暮らすようになってから数ヶ月が過ぎ、だんだんと相手のことが分かるようになってきた。初対面では警戒心バリバリだった彼も、今では刹那の帰宅にも気づかず熟睡できるほどの無警戒である。変な日本の知識をふんだんに持っており、そもそも最初に『大晦日』という単語を発したのも彼だった。刹那はそれが正しいかどうかを沙慈に確認したのだ。
見下ろす床の上で、本当によく眠り続けている。まったく強盗が押し入ってきたらどうするつもりなんだと腹も立ったが、安心しきっている姿に妙な安堵感も覚えていた。
ここが、戦いとは無縁であることの象徴とでもいうように。
「起きろ、グラハム」
「……ん……、刹那?」
ゴロンと寝返りを打って仰向いた身体が、声の主を探して視線をさまよわせる。暗がりに見つけた刹那の姿に、ニッコリと微笑んでみせた。その嬉しそうな笑顔に、何もかもを騙されてもいいような気分になる。
「お帰り、刹那。……なんだ、もう、すっかり暗いな」
軍人特有の目覚めの良さで、グラハムはすぐに身を起こした。乱れた髪の毛を軽く手櫛で整えながら、外の様子に目をやっている。
「いないのかと思った」
「ああ、すまない。コタツとは素晴らしい暖房器具だなぁ、刹那。ついついうたたねしてしまうのだよ」
悪びれるでもなく語るグラハムに、刹那は溜息をつきたくなった。久しぶりに帰ったのに、まるで昨日も会ったかのような話し方だ。熱烈な歓迎を望んでいたわけではないが、あまりにも素っ気無い。面白くないような苛立ちを抱えていると、グラハムが自分の横のスペースをポンポンと手で叩いていた。
「刹那も早く入るといい。暖かいぞ」
「……それもいいが、食事はどうした?」
グラハムは「ああ」という顔をする。
「君は腹が減っているのか。何か食べたいものはあるか? 作るなり買うなりできるぞ?」
「……なんでもいいから作ってくれないか」
それほど空腹でもなかったが、刹那はリクエストをした。なんだろう。上手く気持ちを伝えることができない。嫉妬とも独占欲とも言える、おかしな感情が渦巻いている。
グラハムはすべてを見越したように笑ってみせた。
「了解した。では冷蔵庫の中身を確認しよう。ああ、そうだ。夕飯はリクエストどおりに作るが、量は控えめにするからな」
「何故だ?」
「決まっている。今日の夜は蕎麦を食べるからだ!」
「……そば?」
グラハムの意味不明な言語に、刹那は心底うんざりといった感じに眉を顰めた。苛立ちが最高レベルにまで到達しそうになっている。